不安に耐える力は、単なる”技術”である(抗うつ剤なしに不安を解消する方法7ー2)
人間は、収入や成績等で示される成功のみに焦点をあてがちである。
主に”数字”の報奨のみに着目してしまう結果、
それが得られないと、
自分に価値がないと思い込んでしまったり、うつ状態になったりしてしまう。
前回、そのような状態で苦しい時に、
どう対応すれば不安が減るのかすこし書いた。
具体的にはどうしたらいいか、この記事で、もう少し詳しく書いていこうと思う。
○収入や成績等の数値、または社会的評価というものは、ひとつの価値基準でしかない。
と、わかっているつもりでも、
上記についてある程度のものを手に入れなければ、
自分が人より劣っているとか、
価値がないとつい考えてしまう。
またはそれを追い求めるために不安になったり、恐怖感を覚えたりする。
わかっていても、
どうしても極端に考えてしまう。
一度刷り込まれた考えは手放しにくいからだ。
そこである例を提示しよう。
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Q:あなたに提案がある。
たとえばあることをしたら、社会からものすごく誉められ、1億円もらえるとする。
…そのあることとは、
あなたの心臓を売ることである。
さてあなたはどうしますか?
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ちょっと今観ているDVDの影響のせいか(←何観てる)エグい例えになるが、
あなたなら、この場合どうするだろうか。
もちろん二択でお願いします。
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答え:
A:心臓を与え、1億円もらい、社会的に絶賛される。
B;断る。
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どちらを選びましたか。
即答でBでしょう。
わかっているはずである。
成功も社会的評価も大金も、
脳にとって、
効力のあるテリトリー範囲には限りがあるのだ。
心臓を他者にくれてやるから、それで幸せになろうよ?
と脳に提案しても、脳は絶対に納得しないのである。
それら数値による成功、もしくは他者からの社会的評価という成功は、
ある種の共通幻想にもとずいたものでしかない。
架空のものでしかないのだ。
つまり、カネと社会的評価などの価値基準A以外に、
なにか別の価値基準Bを、自分のなかに持っているということである。
○別の価値基準Bとは?
自分が社会的に価値がないから、人間として価値がないと考え、苦しくなったり、それを手に入れられない危うさから、不安になったりしたとき、
どうすればいいのか?
前回の記事に書いた。
”あなたの魂が、なにを得たのかに焦点をあててほしい”
と。
過去から現在に至るまで。
今日という日のなかにおいて、振り返ってみよう。
以下は、あくまでも例にすぎないが列挙してみる。
憧れの土地に旅をして、素晴らしい光景を目の当たりにし、悩みを忘れて感動した。
好きな歌手の新曲を聞いて、胸が揺さぶられた。
落ち込んでつらいとき、知人に励ましてもらった。
恋人から初めてのプレゼントをもらった。
母親などの家族にプレゼントを買ってやると、すごくいい表情で喜んでくれた。
子供が生まれた。
自分の赤ちゃんのほっぺの感触がやわらかく、まなざしがキラキラとしていとおしく感じた。
自分になついてくれていた行方不明のペットが見つかった。
ほんとうに好きな人ができた。
その人が自分に笑いかけてくれた。
自分の成長を親が喜んでくれた。
古い友達と再開し、海や山などでキラキラとしたすばらしい時間を過ごした。
見知らぬ土地で一人ぼっちでいたが、ようやく新しい友人ができた。
等々。
こう羅列すると気づくはずである。
これらのことは、あまりカネや社会的評価とは関係ない。
よいことだけではなく不思議ともう戻らない日々のことを考えても、
特有の気分になる。
学生時代の卒業式。
亡くなってしまった優しい友人。
もう行くことのない土地の風景。
別れた恋人。
これら、魂を揺さぶるような出来事に着目してほしい。
カネというものはデフレやインフレが起きたらすぐさま価値が変動する。
カネや社会的評価というものだけを人間の価値基準として追い求めた時、
行き着く先はどうなってしまうか。
”基軸通貨”と”戦争”という言葉を検索して読んでほしい。
ひとつの価値だけに絞ると、
生命体としては非常にうまくいかなくなってしまうのだ。
○あなたにとって一番の成功とは
一番の成功。
それはあなたが生まれたことだ。
あなたが今日という日まで生き続けていること。
これはものすごいことなのである。
なぜなら、あなたがそこにいること。
それが私にとっての喜びだからだ。
そんな風に思わぬところで、
あなたは誰かの胸に灯火を照らしているのだ。
○値札を外し、エネルギーとして見てみる。
前回紹介した私の経験に戻るが、
友人が親身になって励まし、仕事の案件まで紹介してくれた。
それが何かを得たことだ、と改めて認識したとたん、
ものすごく気持ちが満たされ、不安が軽減した。
なぜなのか。その理由は?
それが一種のエネルギーである、と認識できたからである。
相手から得たもの、またはすばらしい旅の経験、好きな音楽など、
値札をすべてはずし、
それらが何らかのエネルギーである、と見方を変えてみる。
カネも社会的評価もエネルギーである。
友人の励ましもエネルギーである。
自分の子供が生まれ、生きていることも。
恋人から愛を告げられることも。
親友と楽しい時間をすごし、心を高揚させることも。
もしくは好きな国や土地に行き、魅了され発見することも。
誰かから助けられることも、誰かを助けることも。
すべて一種のエネルギーである。
するとあなたはいろんなものを、
もうすでに得ていることに気づく。
これらは、生命の維持と継続にとって論理的に重要なこと。
センチメンタルな想い出話にとどまるものではない。
他者から助けられること、励まされること。自分が誰かを助けること。
カネのない時代には、もともと生命である人間は、それらを駆使して生き延びてきた。
それ以外にも、
好きな場所に行く。すばらしい景色を発見する。
美しい音楽を聞く。
誰かを愛する。
これらのことが心を躍動させ、脳を活性化し、生命活動の継続を強くさせてきた。
カネというシステムは人間の共同幻想にしかすぎない。
成績主義で価値が決まるのなら、トップの人間以外皆殺しでいいはずである。
しかしそれだと滅びてしまう。
互いがいろいろな分業をしているからこそ、自分も他者も生きられるのだ。
あなたが人生に、
つまり生きていることに愛情を感じている時、
こういった成果に対する感動は起こる。
扁桃体は、数値や言語の表現ができない。
だが、こういったすばらしい経験、
平凡であるかもしれないけれど、あなたにとって大切な経験について、
ちゃんと価値あるものを得たとして、
脳はしっかり”成果”として、反応している。
感動という心理表現によって。
これら扁桃体が好む”成果”は、
考え方によっては、
使えばなくなるカネとは違い、
生きるために真に価値のある成果であるとも、言える。
○まとめ
自分に社会的評価がないとか、収入を誰かと比べて落ち込んでしまい、
その苦しさから逃げられない時には、
カネと社会的評価以外の、価値基準に焦点を当ててほしい。
一本主義でやっていくと追い詰められてしまうのだ。
もともとの根元が、それだけではリスキーだとわかっているからだ。
だから、そのような苦しみにとらわれているときには、
もうひとつの扁桃体にとっての価値基準、
生命として、人生をいきる人間としての価値基準に焦点をシフトしてみよう。
このとき最も重要なことは、
それらも、成功体験だよ、
と言い聞かせるのである。
改めて実績を再評価し、
伝えてやるのである。
カテゴリーを二分しよう。
そうすると不安に覆い尽くされていた気分が、鎮静していく。
なんだか一般的な価値基準にだけ惑わされていたな、
と目が覚めたような感じになっていく。
○扁桃体の感じる成果、幸せ(扁桃体による成功)には、ある特徴がある。
魂が揺さぶられたり、切なくなったりする感情。
それらは、どこか尊い。
上質で、尊く感じられる。
なぜかというと、
そのことを通して、あなたは生きていることに愛情を感じたからだ。
あなたは自分の人生に愛を感じた。
自分の生と、自分以外の外的世界に、愛情を抱いたのだ。
そして非常に価値があるとわかっているから、
大切で尊く感じたのだ。
あなたが「生きていることを愛した」
それが扁桃体が揺さぶられた一番の理由なのだと思う。