passyoo(パッショ)の日記

不安、うつ、抗うつ剤を克服した経験をつづったサイトです

不安に耐える力は、単なる”技術”である(抗うつ剤なしに不安を解消する方法5)

 

成功したい、と願うことがある。

 

しかし成功にはいろんな種類がある。

 

成功…

 

そう書くと頭に描かれるのは、

男性であれば、札束、豪邸、腕時計。はべらかすボイン(死語)のおねえちゃんたち。

 

女性であれば、札束、豪邸、そして宝石にまみれ、エステ三昧の日々。

 

世間の人から、尊敬の眼差しで見られる。

颯爽と風を切る。

権力を持つ。

支配される側ではなく、支配する側になる。

大きな報酬を受けとる。

 

まあ、成功のイメージとはこんな感じだろうか。

 

 

 

それを追い求めて、がむしゃらに頑張っているのに、

なぜ苦しく辛くなるのか?

努力をしているのに、なぜこんなに苦しいのか?

 

 

 

扁桃核はいわゆる「成功」を追い求めること、「成功」を維持することを、必ずしも幸福と感じない。

 

成功の種類によるのだが、

上記のいわゆる「成功」をつかみそうになったとき、

脳は承認欲求その他を満たされ、快感を覚える。

 

しかし、それを追い求めているうちに場合によっては、

怖くなる。

苦痛を感じる。

不安になる。

逃げたくなる。

けれどもチャンスを失いたくないし、手に入れたいからしがみつく。

 

時には相手が不条理な言い分を強制しても、

それを続ける作業に無理難題があっても、

騙されても、

成功を手に入れたいから、我慢する。

 

心のなかは不安でいっぱいだ。

それに不快でもある。

「成功」の報酬を与える相手に、まんまと支配されるからだ。

 

頭では、

成功=幸せ。

 

 

けれども扁桃体を注意して観察していると、

どうも幸せだと感じていない。

 

 

扁桃体は、

お金などの数字の報酬のみを追い求めたり、

承認欲求を満たすために支配されることを受け入れることが、

非常に「不快」

なのである。

 

リスクが大きいからである。

 

 

○お金とはなにか。

 

別にカネのプロでもないし、成功者でもないので、偉そうなタイトルに自分でも引くが…

 

一般的に知られていることをのべると、

お金そのものは単なる「数字の報酬」である。

 

紙幣は国家が作っているのではなく、

民間人が作っている。

国が、紙幣を作る権利を有しているある民間人に、

お金がこれだけ必要だ、と頼むと、

その民間人がカネを創って売る。

 

紙幣は紙とインクで出来ている。

印刷されてできあがったものを、その某民間人がただ同然で買い、

国家に与える時に、

一万円札なら、一万円プラス利子をつけて売り付ける。

 

この某民間人はカネという”幻想”を信用に変える権利を有しているから、

好きなだけお金を刷れる。

 

好きなだけである。

某民間人が、である。

 

これがお金。

 

お金の量は、つまり、「架空の数字」である。

身長や体重と違う。

実在しない価値なのだ。

 

 

これを求めるためだけにしゃかりきになると、

脳はピンと来ないから、理由のわからない目標に右往左往することに、

非常にストレスを感じる。

 

またお金と承認欲求に行動が支配されてしまうため、

扁桃体が、それを逃してしまうことを恐れるようになる。

 

 

 

○お金やいわゆる一般にイメージされる成功ではない”成功”

 

支配されるために生まれてきているのではない。

大量のお金やモノは、ひとときの喜びと興奮を与えるが、

 

 

魂を動かすのは、

人である。

 

 

 

善をといているのではない。

単なる性質である。

 

どうも扁桃体が喜びを感じるのは、

人対人から生じるよい感情のようだ。

 

 

誰かがこうしたら喜んでくれた。

誰かを助けることができた。

こうしたら、嬉しそうな顔をしてくれた。

 

そうすると、自分の心も同じように動くのである。

満たされる。

 

大事をなさなくてもいい。

 

守ってやった。

励ましてやった。

一緒に楽しんでなにかをした。

喜ばせた。

 

これらが扁桃体が、高次の喜びを感じる要素なのだ。

 

生物としての共同体だから、なるべく良い関係で共存することが、

一番死ぬ確率が低いからだ。

 

 

 

私は無宗教であるが、

聖書に書かれていることも知っている。

 

 

聖書では、このような脳の性質について説明している。

 

「おカネや支配というものをやみくもに追っていると、

あなたの扁桃体が苦痛を感じてしまうので、

追い求めるならべつのものをおすすめするけど?」

 

 

 

もし本当の充実感や、偽物でない喜びを追い求めるのなら、

それが脳にとっての”成功”であり、

一般的なイメージの成功とは違う、

ということを知恵者がアドバイスしているのである。

 

 

これにならなければ、自分は仕舞いだ。

と、思うのは、成功っぽくても、成功ではない。

 

こうしてみたい、こうするとなんだか嬉しい、楽しい。

こうするのをサービスとして人に提供したい。

こうやって家族や大切な人を喜ばせたい、

と思うのは、あなたなの根元的な欲求を満たす”成功”だ。

 

根元的な欲求が、

つまり人に与え、人から与えられる喜びなのだ。

 

宗教とは関係なくて、 

神がいないとしても、これが脳の本質であり、

追い求めることでうつ状態になったり、

自分を犠牲にして支配を受け入れる成功は、扁桃体にとっての”成功”ではないので手を引いていい。