不安に耐える力は、単なる”技術”である(抗うつ剤なしに不安を解消する方法5)
成功したい、と願うことがある。
しかし成功にはいろんな種類がある。
成功…
そう書くと頭に描かれるのは、
男性であれば、札束、豪邸、腕時計。はべらかすボイン(死語)のおねえちゃんたち。
女性であれば、札束、豪邸、そして宝石にまみれ、エステ三昧の日々。
世間の人から、尊敬の眼差しで見られる。
颯爽と風を切る。
権力を持つ。
支配される側ではなく、支配する側になる。
大きな報酬を受けとる。
まあ、成功のイメージとはこんな感じだろうか。
それを追い求めて、がむしゃらに頑張っているのに、
なぜ苦しく辛くなるのか?
努力をしているのに、なぜこんなに苦しいのか?
○扁桃核はいわゆる「成功」を追い求めること、「成功」を維持することを、必ずしも幸福と感じない。
成功の種類によるのだが、
上記のいわゆる「成功」をつかみそうになったとき、
脳は承認欲求その他を満たされ、快感を覚える。
しかし、それを追い求めているうちに場合によっては、
怖くなる。
苦痛を感じる。
不安になる。
逃げたくなる。
けれどもチャンスを失いたくないし、手に入れたいからしがみつく。
時には相手が不条理な言い分を強制しても、
それを続ける作業に無理難題があっても、
騙されても、
成功を手に入れたいから、我慢する。
心のなかは不安でいっぱいだ。
それに不快でもある。
「成功」の報酬を与える相手に、まんまと支配されるからだ。
頭では、
成功=幸せ。
けれども扁桃体を注意して観察していると、
どうも幸せだと感じていない。
扁桃体は、
お金などの数字の報酬のみを追い求めたり、
承認欲求を満たすために支配されることを受け入れることが、
非常に「不快」
なのである。
リスクが大きいからである。
○お金とはなにか。
別にカネのプロでもないし、成功者でもないので、偉そうなタイトルに自分でも引くが…
一般的に知られていることをのべると、
お金そのものは単なる「数字の報酬」である。
紙幣は国家が作っているのではなく、
民間人が作っている。
国が、紙幣を作る権利を有しているある民間人に、
お金がこれだけ必要だ、と頼むと、
その民間人がカネを創って売る。
紙幣は紙とインクで出来ている。
印刷されてできあがったものを、その某民間人がただ同然で買い、
国家に与える時に、
一万円札なら、一万円プラス利子をつけて売り付ける。
この某民間人はカネという”幻想”を信用に変える権利を有しているから、
好きなだけお金を刷れる。
好きなだけである。
某民間人が、である。
これがお金。
お金の量は、つまり、「架空の数字」である。
身長や体重と違う。
実在しない価値なのだ。
これを求めるためだけにしゃかりきになると、
脳はピンと来ないから、理由のわからない目標に右往左往することに、
非常にストレスを感じる。
またお金と承認欲求に行動が支配されてしまうため、
扁桃体が、それを逃してしまうことを恐れるようになる。
○お金やいわゆる一般にイメージされる成功ではない”成功”
支配されるために生まれてきているのではない。
大量のお金やモノは、ひとときの喜びと興奮を与えるが、
魂を動かすのは、
人である。
善をといているのではない。
単なる性質である。
どうも扁桃体が喜びを感じるのは、
人対人から生じるよい感情のようだ。
誰かがこうしたら喜んでくれた。
誰かを助けることができた。
こうしたら、嬉しそうな顔をしてくれた。
そうすると、自分の心も同じように動くのである。
満たされる。
大事をなさなくてもいい。
守ってやった。
励ましてやった。
一緒に楽しんでなにかをした。
喜ばせた。
これらが扁桃体が、高次の喜びを感じる要素なのだ。
生物としての共同体だから、なるべく良い関係で共存することが、
一番死ぬ確率が低いからだ。
私は無宗教であるが、
聖書に書かれていることも知っている。
聖書では、このような脳の性質について説明している。
「おカネや支配というものをやみくもに追っていると、
あなたの扁桃体が苦痛を感じてしまうので、
追い求めるならべつのものをおすすめするけど?」
もし本当の充実感や、偽物でない喜びを追い求めるのなら、
それが脳にとっての”成功”であり、
一般的なイメージの成功とは違う、
ということを知恵者がアドバイスしているのである。
これにならなければ、自分は仕舞いだ。
と、思うのは、成功っぽくても、成功ではない。
こうしてみたい、こうするとなんだか嬉しい、楽しい。
こうするのをサービスとして人に提供したい。
こうやって家族や大切な人を喜ばせたい、
と思うのは、あなたなの根元的な欲求を満たす”成功”だ。
根元的な欲求が、
つまり人に与え、人から与えられる喜びなのだ。
宗教とは関係なくて、
神がいないとしても、これが脳の本質であり、
追い求めることでうつ状態になったり、
自分を犠牲にして支配を受け入れる成功は、扁桃体にとっての”成功”ではないので手を引いていい。
不安に耐える力は、単なる”技術”である(抗うつ剤なしに不安を解消する方法4)
不安という感情は苦しいので、どう押さえ込もうかとついやっきになってしまう。
押さえようとしても簡単にはいかないので、消耗もする。
けれども、不安という感情はわるいものではない。
不安も恐怖も、前進できる方向にギアチェンジできれば、
とてつもない爆発力をもって、
物事を成し遂げることが可能になる。
うまく使えば、偉業を果たすエンジンにもなりうる。
不安は大きな推進力になるのだ。
だから、不安が生じてどうにもならないときには、
「これはわるい感情ではない」
と改めて自分に言い聞かせてみる。
さらに、ああなったら、とかこうなったら、というマイナス思考の渦にいるとき、
「ではこの不安をどうやって生かせばいいか?」
もしくは、
「この不安に対して、どうやって対応したらいいか?」
と脳に問いかける。
以前にも書いたが、脳は命題を与えると即座にその方向に向かおうとする。
問題を解決しようと働いてくれるのだ。
だから、
「この不安をどう和らげたらいいか」
「この不安を、よりよい生活を送るためにどう利用すればいいいか」
と自分の脳に問いかけるのである。
すると、脳はあまたある日々の情報の中で、
それに対応できるような情報を取捨択一し始める。
行動も少しずつ調整されていく。
無意識下であったり、意識下であったり状態はさまざまだが、
とにかく脳は必ず問題を解決しようとする。
これは生命の本質なのだ。
生命は進化という偉業を成し遂げてきた。
多様に分化もしてきた。
生き残るためにどうすればいいか、という命題のもとに。
それには時間が必要なこともある。
自分の行動力がカギになることもある。
それでも結果はかえってよい方向へ変わっていく。
先がどうなるのか、失敗しないか不安な気持ちはものすごくわかる。
いたいほど、理解できる。
最悪のパターンにならないか、傷つかないか…
私も往々にしてそれが怖くなり、右往左往することも多々ある。
しかしひどい不安を乗り越えたあの日々があったからこそ、
あれ以上の苦痛はなかなかもう来ないとわかっている。
地獄の底で苦しんだことが、結果として強さに繋がっている。
あれを乗り越えたから、まあ、これも乗り越えられるだろう、と
どこかでこんな自分でも信頼することができる。
不安は強さを培い、
具体的な行動を起こさせ、
その人を逞しくさせるのだ。
いい方向に使えば、爆発的なパワーになるよいエネルギーだ。
苦痛が大きいから、それをどうにか和らげたいだけであって、
決して無駄なエネルギーではない。
不安をどうやって使うか、
これを頭の片隅にインプットしておくと、
また展望も不思議に変わっていく。
それに、一生懸命なあなたのことだ。
必ず、やりとげることができるだろう。
そして、そういう姿は周囲にも、
ちゃんとどこかで伝わるものである。
自分に誇りを持つこと。
そんなにわるいことは起こらないから大丈夫だ!
不安に耐える力は、単なる”技術”である(抗うつ剤なしに不安を解消する方法3)
前回の記事で、”かもしれない認知療法”について書いた。
今回は、この”かもしれない”の効果について少し書いていこうと思う。
○不安な時は、脳が「思い込み」をしている時
先行きについて考えた時、思わず不安になることもあるかと思う。
先行きだけに限らず、なにがしかの不安がもやもやと続いている時は、
大抵、脳は「思い込み」をしている。
こうなったらどうしよう、と言語上は思考しているが、
その「こうなったら」の部分が、
本当は「こうなりそうだから」「こうなるにちがいない」
と思い込んでいるのである。
「こうなるにちがいない」から不安だ、と思っているのである。
そのように苦しくなった時には、
不安の情動にのまれているため、
大脳新皮質のチェック機能が働いていない。
それなので、もやもやとした不安を感じたときは、
→私はいま、そうなると思い込んでしまっている。
だから不安を感じているのだ。
と心のなかで自分に伝えてみよう。
高い確率でこうだろう、とか、
ふつう世間ではこう言われている、
などの根拠が自分の中にあるのかもしれないが、
いい意味で、あなたの情報が世界のすべてではない。
いろんな人にきけば、それこそ、いろんなケースやパターンがあるということに気づくはずであるし、
実際そうなのである。
本当に無限といっていいほど、いろんなケースがあるのである。
この多様性が、人間社会を図太く支えている骨子なのだから。
もやもやとしたりぐるぐるマイナス思考にはまったり、
絶望感を感じてしまう時には、
思い出してほしい。
「今、私の扁桃体は、悲観的な状態になると思い込んでいる。だから苦しいのだ」
と。
すると、少し気分が和らぐと思う。
その状態が絶対起こるとは限らないことを、本当はあなたは知っている。
○”かもしれない認知療法”の「かもしれない」効果について。
ポジティブシンキングをすることは重要だが、
なぜか「絶対いい方向に変わる」「絶対将来○○となる」
と無理矢理刷り込もうとすると、
かえって疲れたり、不安になったりする。
なぜそれよりも、
多少ファジーな「かもしれない」と唱えたほうが、
不安が減る効果が高いのか。
私は無宗教だが、聖書には、祈る時の方法として、
「奥まったあなたの部屋に入り、隠れたところにいる神に祈りなさい」
と書かれている。
このことばの神学的な解釈はさておき、
このように表現されているところに理由がある。
「奥まった部屋」「隠れたところにいる神」とは、
潜在意識のようなものではないか、と云われている。
自分の願いや祈りを叶えたいとき、
このように、そっとひそかに刷りこむように祈ると叶いやすくなる、
という方法を聖書はといているのだと私は思う。
「絶対○○になる!」と、
自分に無理に楽天的なことを言い聞かせようと、
脳は必ずいちど疑うのである。
それを盲信することによるリスクに着目し、
それにたいして警鐘してしまうのである。
油断してはダメだぞ、という風に。
これは、ホメオスタシスの働きによる。
ホメオスタシスとは、リスクを避けてその状態を維持しようとする働きである。
変化に対する抵抗である。
つまりリスクが怖いのである。
変化するためには、
当人がやらなければならないこと、乗り越えなければならないことが生じてくる。
これを意外にすんなりできるようにする機能が、
「かくれたところの神に祈る」
である。
「未来は案外、わくわくするものになるかもしれない」
「この年で仕事で成功するのは到底無理かと思っていたけれど、意外にいけるかもしれない」
「案外、簡単によくなるかもしれない」
「もうだめだと思っていたけれど、やり直せるかもしれない」
等々……
かもしれないといって、
あえて信憑性へのハードルを低くしてやる。
それにより、わるい方へ遮二無二働いていた論理的思考(思考のブレーキ)が、
外れやすくなるのである。
だから苦しい時、不安を感じてもやもやするときは、
まず思い込んでいると自覚すること。
そして真逆のことを「○○かもしれない」などと、
敷居を低くして脳に伝えること。
このことを、
何度も何度も自分に言い聞かせる。
しばらくすると、
楽観的な未来へのビジョンについて、
「そうなるかもしれないな」と思えてくる。
あなたがこういった記事を読んでいるということは、
あなたがいい未来を希求しているということ。
その力があるということ。
すでにギアはチェンジされているのだ。
不安に耐える力は、単なる”技術”である(抗うつ剤なしに不安を解消する方法2)
前回の記事で、不安を解消する簡単な方法について紹介した。
→不安に耐える力は、単なる”技術”である(抗うつ剤なしに不安を解消する方法1) - passyoo(パッショ)の日記
個人的には上記の方法は、
きつい時でも、エネルギーをあまり必要とせずに
やれるのではないかと思っている。
気力が無いときなどでも、この方法で乗り切っていくと、
不安に対する体力が身に付いていく。
もし一度でもできたら、自信を持ってほしい!
<おさらい>
◇◇◇◇◇◇◇◇
1数値化する
2不安の収まった時を成功体験にする。
3不安が収まった時に報奨を与える。
・強い不安は”扁桃体”から生じている(言語が無い領域)。
・大脳新皮質は、その過度な情動をコントロールすることができる(言語化する領域)
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
そして不安に陥ったときに、
”いつかこの不安が収まる時間があるから大丈夫”
と言い聞かせると、
あら不思議。
不安の大きな波が減少するのを感じる。
不安感による苦痛がいつ収まるかわからないという点で、
扁桃体は怖くなり、パニックを起こしている。
それにたいして大脳新皮質として言葉でケアしてあげる。
大丈夫、以前もちゃんと収まっていったじゃないか、と。
実績の再評価である。
こうすることで、技術が定着化し、
脳はすごくすごく自信をもつ。
自信→安心だ。
どうなるかわからないような不安の苦しさは永遠ではない!
繰り返すことにより、
着実に、自分のなかに逞しい力が育成されていく。
さて、上記を基本に、また少し踏み込んだ方法を書いていこうと思う。
効果が高まるので、オススメである。
○認知療法を基本に、気軽にできる方法はないか?
大脳新皮質から、扁桃体へ、楽観的な別の見方を伝える方法が、認知療法だ。
別の楽観的な見方を紙に書いて、
感情の変化を記し、
減少した不安感の数値を書いていく。
(例;当初の不安感90%→
○○という見方だったが、
実は○○なだけかもしれない→
減少したあとの不安感40%)
これはいい方法である。
大脳新皮質が、本能的な情動に対して、
<思っているほどわるくない>
とか、
<こういう味方もできる>
など別の価値観をことばにして伝え、
思い込みを変えるべく扁桃体にインプットしていくからだ。
しかし、エネルギーの弱っている状態では、
なかなか取りかかれないのが実情だと思う。
そこでこのやり方を応用し、
弱体化した心に対して効果的にやっていける方法はないか、と考えた。
○”かもしれない認知療法”
たとえば面接に行き、
面接官に履歴書を見せて、
微妙な面持ちをされたり、ダメだしをされたり、結局就業を断られたりして、
落ち込んでしまったとする。
もう自分は社会でやっていくことができないのではないか、と不安になり、怖くなる。
ううん、ダメダメ。
そこで落ち込んでちゃド素人である。
上記の、
1微妙な表情、
2気落ちさせられる言葉
3社会でやっていくことができないのでは、
という点を、
すべて真逆に言い換える。
しかしただ真逆にして言い聞かせるばかりでは、
逆に落ち着かなくなる。
リスク管理ができなくなるからだ。
こうしたらもっといい結果が出る、
こういう手法は改めたほうが利益が出る、というリスクへの警鐘を無視すると、
いつまでも同じ問題にぶち当たることになる。
そうかといって、
過大に心が不安を感じてしまっているのを落ち着かせないままにすると、
次に取るべき行動に取りかかれない。
そこで”かもしれない認知療法”くんの出番である。
あなたの大脳新皮質が、扁桃体に言い聞かせるイメージを持って、
次のように自分に言い聞かせるのだ。
1妙な表情に見えたけど、内心はそう思っていなかったかもしれないよ?
2気落ちさせられる言葉は、私がとらえた意味とは違う意味かもしれないよ?
3社会的にやっていけない、なんてことはないかもしれないでしょ?
そして上記について、かんたんに自分で理由を考えていくのだ。
結果が先で、道程があとである。
1の理由→
人間の内面は、自分自身でもよくわかっていなかったりする。
ましてや他人が正確に推し量れるものでもない。人の心は揺れ動くし、70億人いる人間の中で、たった一人でしかないその人の価値観が絶対であるわけではない。
だから考えたりつきつめたりしても無駄である。それにその人はそういう表情が癖なのかもしれない。自分も過敏になっているから、そう見えたのかもしれない…云々。
2の理由→
○○の仕事は未経験なんですね。○○はできないんですね、と言われたからといって、その人が自分をダメだと思っているのは考えにくい。
単に経験がないのを確認しただけである。
また数千、数万種などあまたある仕事の中で、これができないからといって人間性を否定するのには、無理がある…等々。
3の理由→
たった一個人の考え方次第で、自分が社会でやっていけないと確定されるのはおかしい。いろんな仕事があるし、いろんな考え方の人がいる。もっと大変な状況でも仕事を得ている人もたくさんいる。それに新しい技術や、資格を自分なりに身に付ければ、それを必要とする人も現れ、評価もいくらでも変わっていくはずである。
自分が世間のデータを持っていなかっただけで、「社会的にもうダメなのでは」と考えるのは、少し大袈裟だったかもしれない…などなど。
理由はあなたが納得できれば、なんでもいい。
ほかの可能性があり、それにも同程度の信憑性があることを、再認識できればいい。
この世に絶対はないのだから。
○不安が強い時は、「こうに違いない」と思い込んでいる時である。
不安や恐怖が強いは、必ずしもそうとは限らないと頭でわかっているのに、
「そうである」と扁桃体が思い込んでいる時である。
「そうである」としかどうしても考えられないのである。
理由がある。
扁桃体が「そうである」とあえて考えを固定化し、
それに対するリスク管理を求めようとしているのである。
しかし解決法や答えを簡単に見いだすことができないからこそ、強大な不安に陥る。
そういう時は、真逆の状況を想定し、
「かもしれない」と言い聞かせる。
理由や理屈は後付けでいい。
○○なのかもしれない、と認知の仕方を考えることで、
紙もペンも必要ない。
ただ最悪を考えている自分の思考について、
別の味方を柔らかく提示することで、
不思議と扁桃体は少し落ち着いてくれる。
そして実際、思ったよりわるいことはほとんど起きないものである。
それが次第次第にわかってくると、
不思議と自分を少しずつ信頼できるようになっていく。
薬ではなく、自分のやり方でできたことにより、
自分に自信を持ち始める。
快、不快も、扁桃体が感じることであり、
ほんとうは外界の基準にはあまり関係ないことが、
いい意味でわかってくる。
ちゃんと脳は学習してくれている。
あなたは自分で思うより、はるかにはるかにすごい人なのだ。
ぜひ試してみてください。
不安に耐える力は、単なる”技術”である(抗うつ剤なしに不安を解消する方法1)
あなたは今、ひどい不安にさいなまれ、気落ちしているかもしれない。
でも、大丈夫。
気を落とす必要はない。
不安に対処する力は、
いい意味で「単なる技術」にしか過ぎない。
つまり、必ず習得できるものなのだ。
人間関係、過去の出来事、環境、
そのようなものが起因となって、
不安を感じたり、恐怖を感じたりする。
不安や恐怖というものは、すさまじい苦しみを生み出す。
肉体的な痛みとは違うものであっても、
本人の中での苦痛は相当なものだ。
この感情の正体を知ると、
打開策も見えてくる。
つまり対応する方法を知ることができる。
以下、簡素に恐怖や不安の起こる脳の部位について書きます。
○恐怖や強い不安は、主に脳の「扁桃体」という場所で生じる。
この扁桃体は、大脳辺縁系という本能的欲求などの感情を生み出す部位の中にある。
扁桃体はマイナスの感情だけではなく、喜びや直感力なども呼び起こす。
意味不明の不安感や、思い込みなどによる恐怖感も、この扁桃体から生じる。
ここは言語を司る場所ではないため、
状況に比例せず、過大に不安を感じてしまう。
一方、ここから生じる不安感や不快感等を言語化するのは、
大脳新皮質という場所である。
つまり不安が非常に大きく苦しんでいる状態とは、
扁桃体から生じた不安を制御する大脳新皮質というルートを通らず、
脳が侵略されてしまっている状態である。
○ 恐怖や不安を制御できる場所は「大脳新皮質」にある。
ここは知性、理性、言語などを司さどる場所である。
とくに前頭葉に、不安などの不快な本能的情動を抑制するスイッチがあると考えられている。
つまり扁桃体で生じた原始的な感情の暴走は、
この部位を鍛えれば、制御・コントロールすることができる。
○では、どうやって?
激しく大きな不安や苦痛といった感情は、扁桃体で生まれる。
幼少期に70パーセント培われる部位であるため、
生死に関わるような過大な感情(本当はそうではないのに)として生じることが多い。
また心が傷つけられたり、にっちもさっちもいかないような恐怖心を感じたり、ひどい不安に陥っている時は、
感情が、情動を抑制コントロールする大脳新皮質を通らず、その情動が脳を侵略している状態だ。
たとえだが、子供のころなどに、
ちょっとした怪談などをテレビで観て過敏になっている時、
夜の庭などで白いものがひょろひょろと浮かんでいたのを見る。
それを見ると、思わず、もしや、幽霊なのでは! とたまらなく怖くなる。
正確な情報を把握できず、
恐怖の感情に、思わず脳がのっとられてしまっているのだ。
しかし冷静になって、昼間改めて同じ場所で同じ物を見ると、
それは単なる洗濯物だったりする。
「なんだ、かんちがいだったんだ」と、実体を知って、ほっとする。
その後、その白い物を見ても、もう正体がわかっているから怖くもなんともない。
これが大脳新皮質によって、
情動をコントロールできた状態である。
不安等が強くて日常生活に支障をきたしている状態は、
上記のように本能的に反応している状態だ。
頭のなかで猛獣が暴れている状態といってもいい。
そこで猛獣使い(大脳新皮質くん)の出番である。
○数値化する
以前、「罪悪感を半減させる方法」についての記事でも書いたけれど、
不快な感情を数値化してみよう!
数値はだいたいでいい。
「今の不安は80パーセントくらい。ものすごく辛いから」
と数値化する作業とは、
脳の中で自分の立ち位置を二分できた状態。
つまり、扁桃体によって支配されて判断がつかなくなったパニック的な状態から、
一歩抜け出せたのだ。
大脳新皮質のチェック機能を起動させた、というイメージだ。
数値化したとたん、少し気持ちが落ち着くのは、この効果による。
○不安が沈静化したことを、「成功体験にする」
脳はご褒美が大好きだ。
動物の例にはなるが、犬のしつけや訓練の際は、
できたときに誉め、おやつなどのご褒美により、報奨を与える。
水族館でイルカやアザラシなどが芸をしたあとも、
訓練する人間は、小魚などのご褒美を与えている。
あれはなにをしているのか、というと、
それが達成できたときに、扁桃体に「快」という報奨を与えているのだ。
最初はうまくできなくても、しだいに訓練の効果が強化され、
やがて上手にできるようになる。
大脳新皮質は、訓練する側であり、
扁桃体は訓練される側である。
具体的には、
あなたの不安や恐怖、怒りなどの収まった時を利用するのだ。
その状態の時に、
「私はあんなに辛かったのに、今、不安が収まっている」
と強く意識する。
「今は楽になっている。楽になる時間帯がちゃんとあるから大丈夫」
とノートなどに簡単にメモをとると、効果が強くなる。
さらに、どうやってそう状態になったのか方法まで書き込むと効果が倍増する。
○○したから、さっきの気分が落ち着いた。
○○を食べて気分転換をしたら、さっきよりずいぶん不安がなくなった。
時間が経ったら、理由はないけど、なぜか落ち着いた。
など。
単なる時間の経過で不安が減ることも、素晴らしい成功体験なのだ。
自然にしていても、不安を抑制することのできる、優れた機能を脳が発揮しているのだ。
また不安が減ったり落ち着いたりした時に、
好きな物を食べたり、好きなことをしたり、好きな場所へ行くなど、
自分が嬉しいと思うことをするのも効果がある。
不安が減った時に、すかさず自分にご褒美を与えるのだ。
すると脳の扁桃体は、
報奨を与えられたと感じて、
「快」の情動を発生させる。
成功体験にしてしまうのだ。
それによって、不安を制御する機能が強化される。
最初はなかなかスッキリいかなくても、
続けるうちに、必ず大きな効果を感じるようになる。
不安を消す「技術」が身に付いていくからだ。
まとめると、
1)扁桃体から生じた過大な不安等のマイナス感情を、数値化する。
2)不安が落ち着いたら、メモをしたり、強くその状態を意識し、
不安解消を達成したことを自分に印象づける。
3)不安が落ち着いた時に、自分に報奨を与える。
地味な作業だけれど、あなどってはならない!
効果は絶大だ。
手応えがないようでも、水面下では、
そしてあなたがそこで培った素晴らしい技術は、
やがていろいろなところで、
あなたの人生をより良いものにしていく。
不安の制御のみならず、
やりたかったことを積極的に達成する力を、
いつのまにか身に付けている。
それは本当に本当に、
とてつもないほどの、
強靭な力だ。
真の力だ。
あなたが自身で育てた力なのだ。
それを応用すれば、
いろんなことができるようになる。
素晴らしい夢が叶っていく。
あなたは、その魔法の力を持つことができるのだ。
輝く櫂をもって、好きなものを探しに行ける。
その手で、世界を切り開いていけるのだ。
その力で、誰かを助けることができるのだ。
私が抗うつ剤を止めていった過程 その13
前向きな言葉、よい可能性について話してくれた医師の言葉によって、
私も少し希望を持ち、安堵することができた。
44才ではもう現実的に妊娠は難しい、ととくとくと語る医師もいれば、
44才でもまだ若い!卵巣は元気だ!まだまだ生める! と自身の経験から励ます医師もいる。
仕事でも同じ。
インターネットで調べると、40代からの仕事上での転機について、
もうろくな仕事は見つけられないとか、みすぼらしい先行きを書く人もいる。
しかし私が会った師匠は、50代でその道に入り、いまは講師として活躍し、かつ日本を代表するトッププロジェクトに携わっている。
この師匠は、「仕事はある」「年齢は関係ない業界もある」「転職するほど技術が上がり、賃金も上昇する!」と何度も何度もいっていた。
そんなものは夢にちがいない、と思って半ば失望し、
つまづいてもなお生活のためにやらなければならない四十代の生徒たちに、
師は常々言い聞かせていたのだ。
そしてその師の言葉通り、私も職にありつき、不安定ではあるが、
仕事を望む時には困らない状態になった。
そこにいた生徒たちの大半が、みな同様に仕事にありつき、前進している。
先日は、仕事でとてもいい話をいただいた。
普通ならまず経験できないような大きな事業に携わらないかというお誘いだ。
15年ほど抗うつ剤にすがり、
だらだら寝たり起きたりをし、田舎で人との関わりを全く避け、
人生に失望していたのに、
人間はここまで立ち直ることができる。
やろうと思えばできる。
それにはコツがいる。
不安な状態から、なにがしか不安が収まった時、
その状態の時を、強く意識するのだ。
「いまは収まった。あんなにきつかったけれど、いまは収まった」
という風に。
ノートに書いてもいい。
書くのが億劫な場合は、頭のなかでメモをとるようにイメージするだけでも違う。
収まった状態の時を強く意識するのだ。
またどうせ不安になるのではないか、
と考えがちだが、
それをあえて、
あれだけ不安になってもこうして収まる時間帯があるのだ
あれだけ不安になっても、○○したら収まったのだ、
と強く意識するのである。
これは結構効果がある。
脳の不安を抑制する機能が、強化されるのである。
その部分の働きが増強し、質量も増える。
自分でも学習することができる。
不安な時は、「これがいつまでつづくのだろう」
「またこうして不安が襲ってくるのではないか」
など先が見えないことも、大きな不安の要素でもあると思う。
けれど、息継ぎをするように、もしくは陸にあがって一休みをするように、
「不安が軽減したこと」
「不安を軽減するためにやったこと」
などを強く意識すると、
不安の最中にあっても人は逃げ場を得ることができる。
精神的にいつかは楽になる時間があるということが、
その人の本来の強さを高めていくのである。
小さな日記帳などにメモするのがおすすめだけれど、
私のように億劫に感じる人は、メモをとる映像をイメージしたり、
いま、こうして不安は減っている、かなり楽になっているから大丈夫、
と言い聞かせるだけでもずいぶん違ってくる。
だんだんと逞しさが身に付いて、
少しずつではあるが、切り抜ける方法も体感としてわかってくる。
どうせいつか立ち直る、と自然に思えるようになってくる。
私は重度のうつと診断されたくらいの状態だったので、
ここまでくるのには年単位だったし、
いまでも、その訓練をやっている途中だけれど、
かなり効果がある。
そして、そうやっていくうちに、
うつにかかる前、抗うつ剤をのみ始める前よりも、
もっと人生は素晴らしくなっている。
自分で切り開くということは、計り知れない可能性とパワーを得たということ。
あなたもそう。
きっと自分では気づかないうちに、
思いもよらないほどのことができているはずだ!
苦難、苦痛、悲しみ、絶望、
そういったものからは人は立ち直ることができる。
心は再生する。
そして少しでも前へ歩けるようになったら、
同じように苦しんでいる人たちに、暖かい言葉をかけてください。
そうすればますます、あなたのなかの強さと自信が、
増強されていくからです。
本人にとっては大変な道のりであっても、
乗り越えた人の顔、魂の輝きは、人々に感動を与えます。
某歌手もそうだったはず。
母親を殺されたあの女性シンガーです。
しかし彼女はさまざまな困難を乗り越えて、
いま、素晴らしく輝いています。そして第二の人生へ前進していこうとしています。
古今東西、苦難から立ち上がった人は、
たくさんの人に感動と元気を与えています。
人の心に光を宿すのです。