passyoo(パッショ)の日記

不安、うつ、抗うつ剤を克服した経験をつづったサイトです

人生をやり直すのは、いつからでも遅くない

 

「人生をやり直すつもりで頑張ります」

と書いて、

学生時代の世話になった教官に年賀状を出した。

 

すると、葉書の返事が返ってきて、

「富士山もいつまでもこの姿ではありません云々」

と書かれていた。

 

私はマイナス思考の持ち主なので、

 

「初老のくせに調子に乗るな、あがくな、顔だって老けるし」

といさめているように思われた。

 

七十代の教官の言葉である。

 

 

新年早々がっくりだわ‼

貴様それでも教師か!💢

 

 

 

抗うつ剤を辞めてから仕事を探し、職に就いたが、

仕事をしないかという依頼はちゃんと来る。

 

この職を初めたのは四十半ばの時から。

出産も四十半ば。

以前の職よりも楽しいしやりがいはある。

不安定なので、ハラハラすることもあるが、

現在でも年齢を理由に断れたということは、ほとんどない。

 

社会的に高齢化が進んでいくので、

徐々に労働力から「年齢」のタグが外れていくのではないかと思っている。

 

人の価値観を主軸にして生きていると、いろんなものが怖くなる。

特に年齢についてはどう努力しても、解決のしようがない。

 

しかしネットで検索すると、

遅くからでもいろいろな功績を残している人はたくさんいる。

 

 

自分が自分の人生のハンドルを握る、

主役になると決意してみよう。

 

心弾む生き方を選んでもいい。

 

 

 

  

「今この瞬間を生きる」

 

「リスクを取ろう、恐れを捨てよう」

 

「新しい人や出来事を、いいね!と言って受け入れよう」

 

固定観念を捨てよう」

 

 

こうだ、という自分の価値観の檻から一歩踏みだそう。

 

 

あなたが今の状況から解放され、少しずつでも楽しく、

明るく、喜びをもって生きることが、

たくさんの人の希望になるのだ。

 

今はそういう機会がなくても、

自分を取り戻した生き方をすることができた、という事実を、

誰か同じように苦しんでいる人や、辛い境遇にある人に伝えることができる日が

必ずやってくる。

 

あなたの喜びが、

誰かの喜びになるのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

素晴らしい日々が待っている

明けましておめでとうございます!

あなたに素晴らしい日々が訪れるよう、祈念しております!

 

 

「祈り」というのは必死でやれば結構叶うものだと思っています。

それは宗教とは無関係、別のものです。

 

 

あくまで私自身の考えですが、神というものと宗教とは全く相容れないものだと考えています。

神というものは(神と書くとイメージ的に語弊があるが)、

あくまで個人との関係の中に存在するものだと思っています。

個人の辿ってきた道や、個人の微妙な善悪の基準、そしてその人そのものの尊厳を尊重するものだからです。

 

(神というものには、今日はこれ以上は触れないようにします)

 

なぜ祈りが効くのか?

 

絶望して心がズタズタに切りさかれ、人間らしさまで失った日々に、

私は必死で祈りました。

 

ほんとうに必死で祈ったときに、

不思議なことに、

現実として、

ゆっくりであったり、気づきにくいタイミングであったりするが、

答えが返ってくるのを感じました。

 

答えといっても声や姿ではなく、

思いがけず耳にしたテレビの言葉だったり、実際に願いが叶ったり、

困難な状況が打開されていったり、そういうものです。

 

 

 

世界の多くの人々(宗教的なものであるかもしれないが)行動としての祈りを実践しているのは、なにか意味があることなのかもしれません。

 

 

 

 

それと、あとひとつ。

 

あなたのしあわせが、誰かの元気や希望になることを信じて欲しい。

 

これは間違いない事実なのです。

 

あなたには、いろんな苦しいことがあったはず。

もぎとられたように感じたり、怖くなったり、悲しくなったり、と。

人知れず心のなかで闘いながら、生きてきた。

 

けれども傷つけられて立ち直れなくても、

絶望のさなかにいても、

 

あなたがやがてその嵐を通り越し、

短い時間であっても、幸せを感じ、元気になり、希望を持つということが、

同じように傷つき苦しんでいる人たちにとって、どんなにかかけがえのないことか。

 

 

誰かそういう良い方向へ行った人がいる、という話を耳にするだけで、

苦しんでいる人たちにとっては、大きな助けになり、力になるからです。

 

 

あなたがしあわせを感じ、喜びを感じることこそが、

誰かの役に立っていること、

生きる大きな原動力になることを、

どうか理解してください。

 

 

あなたは素晴らしい人なのです。

素晴らしい日々を生きる資格があるのです。

ドアを開けて、輝く世界をその目で見てください。

 

 

ちょっとしたことでもいいので、楽しいと思うことをやってみてください。

 

 

その事実が、誰かのパワーになるからです。

 

 

 

魂の仕事

 

お金持ちや成功者、

ちょっといい家や車、

社会的に権威のある職業。

 

そういうものに刺激され、自身が情けなく、どっと落ち込むこともある。

自分の生き方を省みて、さらに現在の自分の年齢を改めて考え、

どうしてもっと頑張って良い生き方をしなかったのだろう、と苦しいほどに悔やむ。

 

小さな失敗ではない。

長い長い時間を無駄にしてしまったのである。

辛いことがあったとはいえ、抗うつ剤と安定剤に依存し、

逃げて逃げて逃げ続けた月日が長すぎた。

 

このまま人生を終わっていくのは悲しい。

しかし年齢的に打開策はないように思われ、絶望する……

 

 

 

絶望とは恐ろしい苦痛だ。

狂うこともできず、逃げることもできず、始終つきまとう。

何をやってもむなしくて、すべて無駄に思える。

自分の人生を大切に生きたかった、それなのになぜこんなことに、

こんな状態に陥ってしまっているのだろう?

 

そういう風に感じる瞬間は、今でも訪れる。

 

しかし最近、いろいろなことがきっかけで、気づいた。

 

お金や地位というものといものに惑わされた生き方をして、

それらを追い求めていたら、どうなっていただろう?

そもそもそういう風に生きようとして失敗したのだ。

ストレスや人間関係につぶれてしまった。

 

個人の価値観はさまざまだが、

金も権威も人間の約束ごとであり、

死んだら消える幻にしか過ぎない。

上には上がたくさんいるし、

人生の大半を費やして驚くほどの素晴らしい業績をあげても、

注目を浴び、称賛を得られる時期は、ほんの一瞬でしかない。

次の年になったら、皆興味も関心も薄れている。

 

 

私はこういった成功や称賛というものに固執することが多々あった。

そのいっぽうで、

あの調子のわるい時代やら、

生きたまま火炙りにされるような肉体的な苦痛の日々を何年も何年も生きたとき、

「どうかお願いだから」

と心から願ったことは、

私を支えてくれた人や、私を生み育てた人や、

私という人間を親として選んできてくれた小さな命と、

ふつうに朝御飯を作って食べたり、

ふつうに、どこか公園や緑のきれいな場所へ楽しく出かけたり、と言った、

ほんとうに些細なことだった。

 

お金や権威や称賛を求めるから、大切なものに気づかずぞんざいに扱って後悔したり、

持っていないことや能力がないことに傷つき、

飢えたように苦しみ、自己嫌悪に陥るのだ、と気づいた。

 

向上心は大事だが、この年になるといろんなものを諦めなければならない。

そういった時に、何が自分をもっとも満たすのか、とふと気づいたのだ。

 

物質やかりそめの権威ではなく、真の仕事、

人間としての仕事をしている人が居る。

それは技術や収入の大きさではないのだ。

 

報酬を得るための勤労としての仕事という意味ではなく「魂の仕事」だ。

私はそういう魂の仕事ができたら、どんなにか幸せだろう、といつも思う。

 

 

 

誰かが私を助けてくれたように、

苦しく醜くもがいている他人に、心からの暖かい言葉を与えてくれたように、

居場所をつくってくれたように、

希望を持たせてくれたように、

私も魂の仕事をいつかしたいと思うようになった。

 

こどもは無垢の心で与える。

幼いこどもの価値観が、生命としての正常な価値観なのだと時々思うことがある。

お金や等価交換と言った法則を知らず生きている。

こどもや、私に希望を持たせ励ましてくれた人たちのあたえるぬくもりは、

計り知れないほど純粋で暖かかった。

 

 

喜びを与え、安心を与え、癒し、輝きを与える人々。

その人たちのことを思うと涙が流れる。

自分の情けなさが浮き彫りになるが、不思議に卑屈になるのではなく、

見習いたい、と思う気持ちが強くなる。

 

人間には心がある。

かたちがないからホンモノなのである。

人間は本当は、モノのやり取りにだけ充足してはいきられない。

人間の心が心に与えることでしか、真の充足は得られない。

 

生活していく上ではお金も必要だから、

勤労としての仕事と

魂の仕事。

これからはこの二つを、

自分の小さな規模であっても、

やっていけるようになりたい。

 

 

 

 

 

 

 

抗うつ剤と安定剤を辞めること

 

私は二十代後半からある事情によって、

不安と心配が多く、

仕事も生活もしていく上でも困難を感じていた。

相談しても特殊なケースであったため、解決は難しく、

とうとう苦しさに耐えられず、

抗うつ剤と安定剤を服用するようになった。

 

 

そのうち量も増し、眠さやだるさが日中激しくなっていった。

朝起きることができず、仕事もやめなければならなくなった。

 

三十代から四十代始めまでずっと、抗うつ剤と安定剤を飲んで生きた。

薬を飲んでいると、時間のたつのが驚くほど早い。

飲んでいない時の感覚と比べると、ほんの数時間しかたっていないようでも、

もう一日は終わっている。

 

こんな状態で家にこもり、社会と不安要素から逃げるようにして暮らした。

 

二十代にあることがきっかけで、心がこのような状態になった。

病気であるのかないのか誰にも判断はつかなかったと思うが、

振り返ってみると私自身の感覚としては、

病気ではなかったと思う。

 

薬は必要だったのかもしれない。

それほどまでに追い詰められていた。

 

不条理な出来事だった。

自身や人間の力では避けがたい問題が起きた。

普通の人には、まず起こらないような出来事だった。

 

 

その出来事は起きたら終わりというものではなく、

長く長く続いた。

どうなるかわからず、先が見えなかった。

自分の力がないことが辛く、

助けてやれないことが、ものすごく苦しかった。

そしてそんな不条理が起きることで、世界を恐ろしく感じた。

 

普通の暮らしをしている人には、まず感じられない恐怖だったと思う。

 

 

傷つきボロボロになった。

三十歳から四十代半ばまで、凍結するように暮らしていたのだ。

 

いちばんあぶらがのっているいいときのはずだったと思う。

特に女性は結婚をして子育てをして……

そうでなくても仕事などでキャリアを築いたり技術を磨いたり、

人生を活発に生き、その後の暮らしを決める最重要の時期といっても過言ではない。

 

その期間、私はひっそりと暗い田舎で寝たり起きたりをしていた。

親戚も誰もいない場所で静かにしていたかった。

抗うつ剤の副作用だと思うが、怒りっぽく攻撃性が強かったので、

人と関わるとトラブルを起こしそうになることが多々あった。

 

だから、潜むように暮らした。

 

不安や悲しみを医師に話すと、薬の量が増える。

悪循環だった。

 

今思えばただの離脱症状だったのに、自分では病気のせいだと思い込んでいた。

信じられないほど、さまざまな種類の薬をたくさん飲んでいた。

 倦怠感の強さは異常なくらいで、

 今にして思うと、薬の副作用だったと思う。

 

あることがきっかけで、抗うつ剤と安定剤をやめた。

やめなければならなかった。

どうしても、どんなに苦しくても、

私はやめなければならないと気づいた。

このまま逃げてばかりいては、人生がダメになってしまうと感じた。

人生などどうにでもなると思っていたけれど、

もう四十を過ぎていた。

<このまま私の人生は終わるのか?>

と思うと、ものすごく怖かった。

 

私という主体が、

時間の無駄使いをし、自分のお金で薬を買い、

悲しく嘆きながら寝たり起きたりで、死んでいくのである。

なにもなかったような人生だ。

 

一生懸命育ててくれた親や目上の人。

友人、明るい時代。

授かった健康。

それらが全部無駄になるのである。

無駄にしてしまったのである。

 

枯れ草のようにこのままなにも受け取らず、誰にもなにも与えず死んでいく……

 

ほかの人々が子育てから離れようとするとき、

私はまだ子供のひとりも居なかった。

 

 

薬を辞めることにした。

 

薬を辞めるのには、前に飲んでいた期間と量が関係するとある医師は行っていたが、

個人的にはそれよりも、トラウマや心の傷、問題の状況が関係すると思う。

その問題をどうにか解決、または対処できると自分の脳が納得したときに、

 

不安は解放に向かう。

 

 

私の場合はものすごく苦しい時期が1年半続いた。

しかし最終的に妊娠を確認し、まずまず希望の仕事も見つかったことから、

心はようやく普通に近い状態に戻った。

おいしいものを食べたいとか、買い物に行けるとか、そういうことである。

人間関係を楽しんだり、期待したり、些末なことに怒ったり……

そういうあたりまえの、しかし、ありがたい状態に。

 

 

断薬した直後は、モールなどで買い物も普通にできなかったから、

普通に買い物をしている大多数の人たちを見ると、非常に不思議な気持ちになった。

そして他者とあまりに違う自分の状態と人生に、

恐怖を感じた。

悲しくて、こわくて、不安で、罪悪感でいっぱいで……

それが私の感情の大部分を占めていた。

 

 

薬を辞めて、問題を打開していくうちに、

苦痛は人よりもやはり感じるのだけれど、

合間合間に普通の感覚や喜びが戻ってきた。

 

笑ったり、旅をしたり、買い物をしたり、

以前はパソコンもさわれなかったのだが、今はそれと関係する仕事をしている。

 

そんなふうに当たり前のことがどれほど輝いていて、大切だったか。

 

人間は自分に絶望してしまうと、心が闇に陥るのである。

あたりまえのことすらできなくなるのである。

それがうつ病であるのか、ないのか、私にはわからない。

 

ただ、自分の感覚からすると、どちらであっても、

確実に出口に向かう方法はある。

 

 

 

正直いって、今でも心は闇に陥る。

あの三十代から15年ほど続いた時間のロスのせいである。

抗うつ剤や安定剤を服用しなければ、

こんな風に浦島太郎のように、ぽっかりと穴があいた状態にはならなかったと思う。

仕方がない状況だったとしても、非常にこの点が辛い。

 

ほかの人にあった人生のいちばんいい時期で重要な時期が、

全くないのである。

自分の感覚としては、まだ30過ぎくらいだ。

けれどももう実際は、四十半ばまで来てしまった。

女性は、年齢についてものすごく悩む。

二十代のおわりから、いきなり四十代半ばに来てしまったような感覚なのである。

 

しかも自分自身の選択のせいで。

 

この悲しさと恐怖、やるせなさは今でも私の心を覆うことがある。

 

しかし物事に良し悪しを与えるのは主観であって、

現実とは異なる。

 

現実はただひたすらに無機質に起こっている。

 

 

 

この道をたどったおかげで得たかけがえのないものが、たくさんある。

 

この年齢になって授かった我が子はとても可愛らしく、

親がトシだから気を使っているのか(?)性格も穏和で優しい……

 

子供は兄弟でも全く違う。

その時その時の卵子の状態から、個性特性をもって生まれてくるのだ。

 

私は人にこれほど愛情を感じたことはなかったし、子供のほうが器が大きいと気づかされた。

 

幼い子供は私がどういう人間であって、どんな情けない暮らしをしてきた過去があろうとも、

私のことを愛し、大切に思ってくれる。

親がどんな人間であっても、受け入れてくれるのだ。

それが子供というかたちをした人間の愛である。

すべての人間が、もともともっている崇高な部分に気づくことができた。

 

若い時に、子供を授かっていたら、

傲慢な私のことだから、こういう風には感じなかっただろう。

ありがたみを知らないまま、子育てをしてしまっていたかもしれない。

 

仕事も、不安定といえば不安定だけれども、

同じところで勤めることができない性分だから、その点自由だ。

 

いろんな人と出会い、わたり歩き、いろいろな世界を見ることが可能な職についた。

もちろん女性だしトシなので不安は大きいが、年齢は関係ないと、師匠は言ってくれた。

収入は多くないが、どこへでも気ままにいける自由さが、ある主の豊かさであることは間違いない。

 

 

今でも苦しむことはあるけれど、

薬を飲んでいる時のほうが辛かった。

ものすごく辛かった。本当に、つらかった。

 

 

しかし私のような状態でも、この状態まで回復できたのだ。

ものすごいダメ人間の私が。

 

 

これは自分だけの力ではない。

励まし、希望を与えてくれた人々の力なのだ。

人間の明るさ、よい力、強さなのだ。

 

自身の苦しみから培い、

苦しんでいる人の闇に、

光を灯してくれた人たちのおかげなのだ。

 

 

そこから抜け出したいと思う方のために、

少しずつでもこのブログを書いていきたいと思っています。

できる限り、書いていきます。

 

希望を持てば、必ず返ってきます!

傷ついた心とは

誰にも理解できないほどの苦しさ。

 

なぜこんなことにという怒りと、

後悔、自己嫌悪。

 

何度も何度も苦しい夜を味わってきた心。

 

不条理に傷つけられた心。

 

大きな悲しさ。

 

絶望。

 

 

 

しかし、あなたの傷は、決して無駄にはならない。

傷ついた心にしか見えない光がある。

 

 

苦しさのなかで知った大切なものもある。

 

あなた以外の誰にも知り得ない、ほんとうの光だ。

 

 

 

闇は光を引き立たせるためにある。

 

あなたは決して闇に呑まれてはいない。

 

あなたは誇り高い人なのだ。

 

 

ごまかしが嫌いで、人生を愛そうとしてきた。

よりよく生きたいからこそ、激しく苦しむ。

 

 

あなたは必ず克服する。

 

かならず、たどった道がこれでよかったのだと思う日が来る。

 

 

いつか、きっと、

恐怖や不安は幻想だったと知る。

 

いずれ外に出ていけた時、

他者からの評価も、自分のふるまい次第で変わることを実感する。

 

 

あなたは自分の人生の主役になる。

 

 

あなたの傷は、あなたを偽物ではなく、

真に輝かせる。

まぶしく、ダイヤのように。

闇に浮かぶ、恒星のように。

 

 

 

あなたが楽しくいきることが、

あなたが明るくいきることが、

あなたのしあわせが、

私のしあわせだと知ってほしい。

 

 

あなたはなくてはならない存在だと知ってほしい。

 

 

 

 

私が抗うつ剤を止めていった過程 その12

 

 その医師の話を聞くと、不妊治療はなるべく避けたいと思うようになった。

 お金がかかったり、検査治療等々の負担が、自分の性格上かなりのストレスになることはわかっていたからだ。

 

 だから自然妊娠できれば、と強く望んでいた。

 

 医師の指示にしたがって三ヶ月ほどは自然妊娠を目指したが、とうとうあと一回となった。

 

 その頃、ちょうど春先だった。

 私が住んでいた田舎町は、すごく暮らしにくい場所だった。

 病院も仕事をする場所も近くにない。買い物も不便。

 

 抗うつ剤をやめる前は、そういう風に人に干渉されない場所がいいと思っていたのだが、

 気づくとこの暮らしにくさが自分の心の負担になっていた。

 

 その田舎の住民たちは乾いたように冷たく、その土地の人ではない住人を、「よそ者」とか「よそから来た人」と言って、壁を作ったり排除しようとしたりする土地柄だった。

 当時の私のような状態の人では、子育てするのもいっぱいいっぱいだったのだが、

 そういう事情を話しても、子供を施設に預けるしかない、と底冷えするようなことを役所の職員が言う状態だった。

 

 子供を施設に預けるわけにはいかない。

 

 

 仕事も見つけにくいから、かなり気が重かったが、思いきって少し町のほうへ引っ越しをすることにした。

 

  うつ状態になっていると引っ越しは苦痛であるが、個人的には引っ越して大正解だったと思う。

 引っ越したことで、人間関係もかわる。

 その環境の変化がかえってよかったのだと思う。

 

 

 そうしてバタバタとしつつも、ラスト3回目の妊娠にトライした。

 すると引っ越してすぐ、生理がいつもより遅れていることに気づいた。

 

 市販の妊娠検査をし、結果はまだ見ないようにして、子供を車にのせてドライブした。

 そして車内で結果を確かめた。

 

 

 

 妊娠反応があった。

 

 

 

 その時は、なにか悲しさや絶望を通り抜けたような、不思議な雰囲気を感じた。

 

 

 

 その時私はすでに44才になっていた。

 

 

 

 希望を持たせてくれた人たちのおかげだと思った。

 人の心もからだも、希望に反応するのだ。

 ちゃんと反応してくれるのだ。

 何より、他者からの前向きな言葉が、生命としての底力を呼び起こしてくれたのだ。

 

 

 私は最大のトンネルを抜けたような気持ちになった。

 

 

 苦しい時もある。その時は本当に辛くて、

 その考えが頭から抜けない。

 どうなっていくのか、どうしてこんなことになってしまったのか、

 と、とてつもない恐怖を感じる。

 

 

 しかし、ほとんどの恐怖や不安は、自分で作り出した幻想に近い。

 思い過ごしなのだ。

 悲観的な世界は、頭の中で作っているイメージでしかない。

 頭の中の現実と、実際の現実は異なる。

 あなたは素晴らしい人生を生きることができるのだ。

 

 

 

 ついでに言うと、「確率」というものも、あてにはならない。

 いい意味でだ。

 

 他者は他者、自分は自分だ。

 他者がこうだったから、自分も百パーセントそうなるとは限らない。

 

 

 

 もしあなたがいま、苦しくて仕方ないのなら、

 または大きな悲しみにうちひしがれているのなら、

 

 他者に手を伸ばしてほしい。

 

 自分を苦しめていた絶望が、

 なにかに置き換えられるからである。

 

 

 これは人間に与えられた、最大で最高の交換作用なのだと思う。

 「人間」は変換することができるのだ。

 そのすぐれた意思の力で。

 

 つらかったというエネルギーを、人間のしあわせに換えることができるのだ。

 

 

 

 あなたは十二分に苦しんだのだ。

 誰にも理解されず、もがいてあがいて、人に知られないように泣いて……

 そして、ぼろぼろに傷ついた。

 

 

 だからこそ、

 苦しんでいる人を助けることができる。

 あなたの痛みは、その人たちの傷んだ胸を、的確に癒すことができる。

 

 

 

 あなたにはすぐれた資質があるのだ。

 その傷が、きらきらと光を反射するように、

 人を助けるための強靭な力になるのだ。

 

 

 

 

 あなたはヒーローになるのだ。