不安に耐える力は、単なる”技術”である(抗うつ剤なしに不安を解消する方法11)
他者の評価をどうしても気にしてしまう。
そんな苦しみのせいで人は往々にして、
辛さを味わう。
「あの人はあんな表情をしたが、私のやり方がまずかったのだろうか」
「欠点を見抜かれて、きらわれてしまったのだろうか」
「○○を断られてしまった。私が○○だったからか」(←下ネタではない)
私も腐るほどある。
今でも、毎日、身近な他者からの評価を気にし、
気分を上下させている。
誰かの態度や、言葉などが原因で、
自分は価値がないのだと考え、落ち込んでしまう。
・人とは違う状況、選択、能力についての、劣等感。
・自分がダメな人間だと思われ、
毎日、ふとした瞬間にそれを自覚し、苦しい。
・後悔や不安や自己嫌悪にさいなまれている。
そういった苦しみには、
どう対応すればいいのか?
○他者からの評価を気にする理由は?
他者からの評価を得たいのは、自身の承認欲求を満たしたいからである。
これは別に特異な欲求ではなく、
自分の存在が価値のあるものでありたい、と誰もが思う、
メジャーで根本的なもの。
「自分という者を、他者から認めてもらいたい。劣っているとは思われたくない」
と感じるのは、
脳が生存する確率を高めるために、
ひとまず尺度を外界に求めたのが理由であろう。
しかし、現在では一般的に食料は太古より簡単に手に入るため、
生存云々については、あまり危惧されなくなってきた。
だから現実として、
「他者からの評価が高いか低い」は「生存率に直結しない」
のである。
ではなぜ、他者からの評価を気にするのか?
自分のなかで、
自身の存在価値=他者からの評価
である、と錯覚してしまっているからだ。
○他者の評価の正体は?
結論から書くと、
「無」
だと解釈しましょう。
「無いものに等しい」
「紙人形」
「永遠に解けない謎」
だ。
他者の反応や表情などで、右往左往する。
先がこわくなったり、不安になったり、羞恥心がこみあげ、苦しくなる。
なぜかというと、ほっとくと脳は、勘違いをしたまま、思考してしまうのである。
間違った理論のまま突っ走り、感情を引き起こし、行動を制限してしまいがちなのだ。
だからここで自覚が必要なのだ。
「猛獣」と「猛獣使い」を思い出してほしい。
自分に言い聞かせるのだ。
他者の評価が「無」ってなに?
ということを説明すると、
他者が本当は何を考えてどんな感情になったか、
あなたは百パーセント正確に言い当てられるだろうか?
または、
「百パーセント正確に言葉で説明してくれ」とその人に、お願いしに行けるだろうか。
non(否)
である。
他者が何を考え、どういう感情になったか、
あなたが生きている間も、未来においても、誰にも完璧に証明できない。
たとえば、
自分自身が、二週間前の○時○分に何をどう考え、どんな感情になっているか、
あなたは百パーセント正確に覚えているだろうか。
あなた自身が誰かに対して、または何かに対して、
ある感情を抱いたとしよう。
しかしその感情はいつまでも同じではないし、
自分がどういう感情なのか、どうしたいのか、
自分でも説明のつかないことも結構多い。
そんな風に、感情というものは、つかみどころがない代物で、
これを軸に「価値」を設定してしまうと、
非常に厄介な状態になりかねない。
○他者の評価を自分のすべての軸にするのは危険
一例だが、
エリートコースを歩み、がむしゃらにやってきて、
人がうらやむ日本のトップの○○役職などについた人がいる。
その人はその上からの評価と報奨を求めるあまり、
公の場で平然とウソをついたり、法律を犯したり、人を傷つけることや害を与えることを、してしまったとする。
どんなに素晴らしい地位にいても、
大多数の人から非難され、苦痛を味わい、隠れて生きなくてはならなくなる。
この先もつらい人生が待っている。
こんな状態が、真に価値のある状態だろうか?
果たしてあなたはその人に、なりたいだろうか?
<長くなったので次回につづく>