不安に耐える力は、単なる”技術”である(抗うつ剤なしに不安を解消する方法11ー3)
悩みすぎても、物事の解決する確率が増えるわけではないのだ。
人のちょっとした表情やしぐさ、言い回しを、私もかなり気にかけるタイプで、タイヘンだ。
自信の無さが原因でもあるし、
抗うつ剤を長い間のんでいたことへの後ろめたさが引き金でもある。
これについて、私は、
「なるべく悩まないようにした場合、実際、現実がどうなるか」
というのを実践したことがある。
これまでは悩んで悩んでどうにかならないか、
どうして自分は駄目なのか、
あの人からどう思われているのか、先が不安だ、など、
とにかく悩んできた。
けれど現実がそれほどわるくなることもないし、変わることもなかった。
では悩まずにいればどうなるか、実験してみよう、と考えたのだ。
ちょっと前に新しい仕事が入り、
そこの職場で業務をしたことがあった。
もう若くないし、過去にも大失敗をした。
そのほかにもいろいろな理由があり、
私は自分の能力について、細心の注意を払わなくてはならない、と考えていた。
ミスは減らし、なるべく有能なところを見せつけなくてはならない、そう考えた。
事情があり、自分の価値をおとしめたくなかったのだ。
しかし最初から、新規の職場で、なにもかもうまく行くわけがない。
小さな思い違いや、ミスなどをするたび、職場の人がどう思っているのか、
ものすごく気にした。
ここに私がいるのは彼らにとって迷惑なのではないか、と考えた。
職員たちの表情、言い方、それらが冷たく感じた。
ほかの職員もあきれているように感じたし、
そういう言葉らしきものを言ったような気がした。
辛い夜だった。
しかし……
もう今やド素人ではないのだ。
そんな自覚があった。
これまで数年かけて積み上げてきた実績は無駄ではない、そういう自負があった(別に自慢ではなく)。
さらに、あのもっとも辛い状態、
抗うつ剤をやめた直後で、あがいてもがき苦しんだこと。
地獄の底を味わった経験こそが、役に立った。
「あれ以上の苦しみはそうないだろう。あの状態からどうにかここまで回復したのだから、
またきっとどうにかやっていけるだろう」
そう考えたのだ。
そこで、どうすればいいか方策を練った。
「今回は、なるべく悩まないでみよう。そうして明日の現実がどうなるか、実験してみよう」
「もしたいして現実が悪くならなければ、これは自分の実績になる。”悩まないでも大丈夫”」
そして意地でも悩みから気を逸らした。
今回は、「実践して、成果にする」
という目標があった。
もし、また似たような状況に直面したとき、
疑心暗鬼と不安で苦しくなっても、
「以前、こうしてみて大丈夫だったから、今回もまた乗り切れるだろう」
と考えれば、楽になるだろう、
そう思ったのだ。
訓練だ。
そして翌朝、その職場では、
何事もないようにふつうに振る舞い、ふつうに仕事をした……
結論は?
→
まったく、何事もなく平穏な状況だった。
そこの職員たちとは普通に接した。そこそこ楽しくふるまうこともできた。
評価がどうとか、悩んでも悩まなくても、現実はさほどたいしたことはないのだ。
結論として、
「悩みすぎないでも、現実は大丈夫」
という実践結果を獲得した。
このように、結果を意識して精神状態のコントロールに取りかかると、
脳が報奨とみなす。
それにより、不安などのマイナス感情を抑制する力が強くなる。
これは他者からの評価にふりまわされやすい人間の心理に、有効に使える。
他者からの評価すべてに、自分の価値をゆだねていると、
その人はふりまわされ、支配されてしまう。
不安や怒りも大きくなる。
だから、どこかで線を引くのだ。これが鉄則だ。
相手がどう思おうと、自分はまたどこかでやっていける。
自分の価値は、その人だけの物差しで計れない。
それが真実なのだ。
幻想ではない。
正真正銘の真実なのだ。
だから、もし相手の評価にふりまわされそうになり、
評価が芳しくないときに、苦しくなって落ち込んでしまったら、
その時に、もうひとつの価値基準を自分のなかで意識してみよう。
1相手の価値基準。
2自分の価値基準。
この二つをエンジンにするのだ。
相手の価値基準をまったく気にしないでいるのは、相当に難しい。
気になるものは気になるのだ。
そうであれば、自分が精神力を強めるために、
「今回不安をコントロールするために○○をしてみよう」
と小さな目標を持つのだ。
たとえば、上記の私の些末な実践のように、
「今までは真に受けて不安になって苦しんでいたけれど、今回は悩まないでみよう。
結果として、現実が思っているようなわるい状態ではない場合、
それが自分の成果になる。
もう今後はさほど悩まなくても、現実的には大丈夫、という、
経験を積むことができる。
苦痛もコントロールすることができるだろう
という風に。。。
ほんとうに小さなことでも構わない。
「この人には笑顔で挨拶してみよう」
「いろいろ言われても、今回1回だけは気にしないでみよう」
「○○さんに、話しかけてみよう」
「気になるときに、”私は大丈夫”と何回も心で唱えてみよう」
等々。
できたときには、必ず、できたことを強く意識し、
自分の好きなものを食べるとか、好きな音楽を聞くなど、自身に報奨を与えよう。
やった、できた!と喜ぶだけでも十分効果が高まる。
そうして海馬によい記憶を叩き込もう。
よい結果を叩き込むのだ。
そうすればもう、どこへいっても、あなたのなかには、
あなたが培ってきた真の力が、息づくようになる。
まわりの人にふりまわされることがあったとしても、
そこでエンジンを切り替え、自分の力を見れば、
世界が変わる。
自分はこうすれば、
自分自身を評価できる。成長できる。
少しであっても昨日より強くなれた。
自分のなかに価値基準を作り、チャレンジし達成を味わうのだ。
そうすることで、小さくても確固たる、揺るぎ無い自信が育っていく。
それは確実に成長していく。
自分の血肉に蓄えた力だからだ。
人がどう思おうと、関係ない。
その力は自分のなかにあるのだ。
そうしてあなたは強くなれる。
少しずつ少しずつ、真の強靭さを身に付けていく。