passyoo(パッショ)の日記

不安、うつ、抗うつ剤を克服した経験をつづったサイトです

私が抗うつ剤を止めていった過程 その10

 

「40代でも妊娠しますよ」

という女医先生の言葉でどうにか前向きになることができた。

 

基礎体温表をつけたほうがいい、と言われ表をもらってきた。

しばらく基礎体温を記録して、それからまた病院へ相談に行くことにした。

 

 

しかし、である。

 

私のマイナス思考は一筋縄ではいかない。

 

基礎体温をつけるために専用の体温計をドラッグストアで買わなければならない。

で、いざお店に行ってみると数点種類がある。

 

ここでまた頭を痛める。

どれにしたらいいのだろう、と。

 

ふつうの状態だったらすぐに決めてしまえただろう。

しかし、その時の私は普通ではなかった。

選択にまちがって失敗したらどうしよう、と不安になるのである。

年齢的にも追い詰められているからである。

 

基礎体温表を選ぶ時に、それぞれ吟味してみる。

しかしどれも似たようなものである。

小さな説明書の文字を読むのも苦しいし、

今となっては大したことはないが、

ちょっとややこしい操作方法についても非常に悩ましい。

 

液晶部分に数字が出たりしているのを見ただけでクラクラする。

小さなボタンを押して設定する、という行為が、

何かとてつもないものに感じられるのである。

 

何をするのにも怖いし、

絶大な不安と同居しているから、

些細なことでも行動する時に苦しくなる。

 

体温計なんか、とても使える自信がない。

基礎体温計について考えるだけで、

身を削られるような恐怖を感じる。

これは健康で普通にノリノリな人には理解できないだろう。

 

 

どうしてこんな風になってしまったのか、というと、

あるトラウマがきっかけだった。

トラウマの内容は、日常機器の操作や、日常生活には全く関係はない。

ただ、罪悪感、後悔、恐怖、そして自分への絶望が、

人間をこういう状態にしてしまうのである。

 

 

ずたずたに心が傷つくと、

人間は人間らしさを失ってしまうのだ。

 

それでも生きてるのだから、前へ進まなくてはならない。

基礎体温計を買って、

いざつけようと考える。

 

しかし、「体温表をつけた結果が絶望的なものだったら?」

 

こんどはそういう恐怖がつきまとうのである。

 

毎朝、なんともいえない苦しさをこらえながら、

体温をはかり、数字を記入する。

記入する文字も乱れ、表も正気を失ったようにガタガタとしている。

 

それでも意地で基礎体温表をつけるようにした。

 

 

また、以前、通信で学んでいた資格試験が迫っていた。

若い時は数日徹夜すればどうにかなっていた、だから今度も大丈夫……

ーーーというわけにはいかなかった。

 

 

自分の衰えをひしひしと感じた。

 

 

コツコツやることから逃げていた。

自分の能力を過信して、傲慢になっていた。

 「そんなやり方では、もうだめだ」

とつくづく想い知らされた…

 

 

いざ試験会場に行くと、大勢の受験者が居た。

たくさん人が居ることが、むしろ安心できた。

一人、もしくは子供や旦那と三人だけで田舎の部屋にいることがとても怖かったのだ。

人生の普通の流れから閉じ込められたような、置いてきぼりにされるような、そんな怖さだ。

 

 

ここで自分の変化を感じた。

人混みは以前はきつくて避けていたが、

むしろ人がたくさんいるところで過ごすほうが楽になった。

明るい場所で賑わいを聞いてるほうが、まだ苦痛が減る。

人と関わっているほうが、ずっと楽なのだ、と気づいたのだ。

 

 

試験の結果は、

ダメだった。

 

当然だろう。

10年まともに脳みそを使っていなかったのだ。

それに見合う能力も衰えていたし、

努力もできなかった。

 

それでも仕事を見つけなければならない。

だからといって、

無謀に職場を選んでまた玉砕するわけにもいかない。

 

私は求人情報などをインターネットで眺めることにした。

自分が取ろうと思っていた資格をキーワードに探し眺めていると、

あることに気づいた。

その資格取得者を募集する求人が少ないのである。

 

 

そこで見方を変えることにした。

一番募集が多いのは、どの分野(技術)なのだろう? という観点から眺めてみたのだ。

もちろん、自分が出来そうな範囲のなかでではあるが、

募集の多い技術や資格はなにか? 何がニーズなのか?

という視点から眺めてみることにしたのだ。

 

 

そしたら事務作業分野ではあるが、募集がやたらに多い技術があることに気づいた。

時給も普通のバイトよりは高いし、パートでも可能と書かれている。

 

私はその技術を学んでみようか、と考えた。

そしたら仕事に就ける確率は高くなりそうだ、と思ったのだ。

 

 

早速、スクールを探した。

今となってはこのスクールを選んだことが、私の人生を変えるきっかけになったのだと思う。

スクールには年配の講師がいて、わりと親身になって相談に乗ってくれるという評判を聞き、決めたのだ。

 

その講師はいつも、私たちの就職状況について前向きになれるような展望を語ってくれた。

 

 

大丈夫、仕事はある!

年齢は関係ない!

転職何度もしてたほうが時給も技術も高くなる!

 

と、いつも言うのだ。

 

生徒たちは私と似たような年齢で、いろんな事情を持つ人がほとんどだった。

みな、失敗とまではいかなくても、やり直しをしなければならない事情の人たちが大半だったのだ。

だから、ほとんどの生徒たちは悲観的だった。

講師はそんな生徒たちに、いつも明るく考えて大丈夫だから、と助言をしてくれた。

 

技術について教えるだけではなかったのだ。

 

「こういう事情がある人でもこういう風に仕事を見つけた」

「かえって収入も増えた」

「年齢が高くても仕事をみな見つけていく」

など、希望を持てるような情報を伝えてくれるのである。

 

ただものを教えるだけではなく、

心底希望を持たせて励ます。

そこに人間としての素晴らしさを感じた。

ふつうなら、社会的に失敗してジメジメ落ち込んでいる人の話は聞きたくないものである。

しかしその講師は親身に励まし続けるのである。

 

 

講師は、こっちが、「えっ…でも…」と心配になるくらいポジティブなのである。

しかしこの講師の言う通り、不思議とうまくいくのである。

不思議とそうなるのである。

 

 

この講師に出会わなかったら、どうなっていただろう。

講師は、「励ますのが自分の人生のメインの仕事だ」と常々言っていた。

明るい展望について聞かされると、

本当に人生まで明るく変わるのだ、と知った。

 

 

この講師も人並み以上の苦労があったと聞く。

そういった苦しさを知っているから、

つらい想いをしている人に、

より強力に前に進む力を与えてくれるのである。

 

 

人は希望を失うと、

人間らしさを失ってしまうほど苦しむのだ。

 

 

体を生かすのは食べ物だが、

人の心を生かすのは、

癒し、励まし、あかるい展望を伝える言葉なのだ。

 

 

それを与えられれば、

心はたとえ死ぬほどの傷をおっても、

力強く再生し、

また生きていくことができるのだ。

 

 

どん底を知っている者は、

優れた効果的なやり方で、

辛い境遇の人たちを救うことができる。

 

その稀有な能力は、ダイヤのように輝く光だ。

なくてはならないものなのだ。

 

 

あなたの闇は、

あなたが誰かを照らす光になる。

 

 

自分で乗り越えて、

産み出した力によって、

誰かを照らした時、

あなたの傷も治癒していく。

あなたの闇も消えていく。

 

 

誰かを助けた時に、

あなた自身の心の傷も、

過去も苦しさも、

失望も悲しみも、

別のものにとって変わるのである。

 

 

何に変わるのか?

 

 

自信と希望に変わるのだ。

 

 

 

 

さて、妊娠については、三ヶ月分ほど基礎体温表は貯まったが、

肝心の妊娠はまだしなかった。

 刻一刻時間が過ぎていくのは恐怖だった。

 

 

そこでもう一度、例の大病院の産婦人科に相談に行くことにした。

 

 

つづく