passyoo(パッショ)の日記

不安、うつ、抗うつ剤を克服した経験をつづったサイトです

不安に耐える力は、単なる”技術”である(抗うつ剤なしに不安を解消する方法17ー2)

 

○うっすらとした感情

 

 

そして、果たして有り難いのか、この長が何かと私に関わるようになってきた。


私は、微妙な気持ちになった。


うーん、目にかけてくれてありがたい・・・

 

 

 

のか???


(;-ω-)

 

 

という感じである。

 

 

(詳細を書くのは、極力控える)

 

おそらく、長としては、私にいろんな経験や知識を与えたり、

できるだけ手厚く交流をしてやろう、

と思ってくれていたのかもしれない。

 

しかし・・・

 



個人的には、

もっとやらねばならない業務に集中させてほしい、とか、

 

不必要に長と親交を深める時間があったら、

急ぎの業務を一秒でも早く遂行したい、

 

という思いが強かった。

 

 

 

それに、私に手厚くしてくれるエネルギーを、

いつも長が叱責している自社の部下に、もっと向けてほしかった。

そうであれば、私たちは、誰かが誰かを大声で叱責し、

ダメ出しする不愉快な怒鳴り声を、もう聞かなくて済むのである。

 

 


さらに云えば、どうしても人間的に尊敬できなかった。

 

 

詳細は省略するが、

 

 

仕事の本質からかけ離れた負担を、従業員たちに押し付けているのでは?

 

という疑いが、どうしてもぬぐえなかった。

 

 


その長は、深夜の業務への同行にもそれとなく誘う。

私にはまだ幼いこどもがいて、深夜勤務は不可能だ。

ということは、最初の面接時によく話し合った。


しかし相手はパワーを持っている。

断りにくい。

が、断るしかない。

こうして、ひとつひとつに消耗していった。

 

 

 


○信じてもいない神を讃えよ

 


さらに、

私は会社の職員ではないため、

出勤時間を遅くしていたのだが、

私が勤務するのをみなで待って、

宗教的な祈りを捧げるようになったのである。

 

会社の業績を願掛けするのだ。

 

 

了解も得ず、急に呼び掛けられ、

とにかく一緒にやってください、と強制させられたのだ。

 

無論、断れない。

 


何度も書くが、

これは人間全体がおたがいのために気を付けなければならない、

要注意事項なのである。

 

 


人間は集団となると、どんな方向に行くかわからない。

排除しろといえば、排除する。

殺せといえば、殺す。

 

人間の集団は、集団になればなるほど幼稚化する。
集団化した人間は、
歯止めがきかない。

 

みんながやってるから、

世間がやってるから、

会社がずっとやってきたから。

 

それだけの理由で、人間集団は容易くまちがいを犯す。

 

 

「神」がこういってるから、と言われればそれが善という基準になり、

 

否応なしに、従わざるを得なくなるのである。

 


過ちは歴史のなかで、何度も何度も起こっている。

 

現代であっても同じ。

 

 


このようにいろいろとあったが、

すべて「私が断りにくい」という状況を、上司として利用しているように感じられた。

 

 

 

 

○感情はなぜ封印されるか

 


退職直前、

もう会わなくてすむと思っていた矢先、

理由や必然性をこねくりだして、○○業界団体の懇親会に誘おうと、

こちらを虎視眈々と見つめていた。

 

 

気のせいかもしれないし、勘違いかもしれない、とわかってはいても、

もう耐えられない、と正直思った。

 


一応、家庭の事情で退職する、と告げたのだ。

夜遊びできる状況ではない、とわかっているはずだ。

 

 


その後、社用メールで仕事について連絡すると、

 

帰宅後、私用の携帯電話に、ショートメールが来た。

 

返信したら、アウトである。

 

相手の脳に報奨を与えることになるからだ。

 

どんな処遇を受けようと、歯を食い縛って、スルーを決め込まなければならない。

 

そうでないと繰り返される。

 

 

 

また昼間確認事項済みの案件について、

 

終業一時間後に私用の携帯電話に電話がかかってきて、

 

再度、同じ内容を何度も確認されることもあった。

 

対応しないわけにはいかない。

 

 

 

気が重くて仕方ない。

 

 

 

 

こういったことが、とてもいやだ、

 

という自分の感情に、

 

明確に気づいたのは、

 

退職の二日前のことだったのだ。

 

 

 


私が完全に勘違いをしている可能性も、もちろん大。

 

 

 

 

しかし認知を修正しても、

 

なにか不愉快なのだ。

 

 

「立場を利用して、断れない状況を盾に、絡んでくる」

 

ような気がするものは、仕方ない。

 

 

 


それなのに、

「待遇がいいし、社会的に安定しているから」という理由により、

おそるべきことに、

自分の感情であるにも関わらず、

何がいやか、

何がストレスだったのか、

自分でもほとんど、わからなかったのだ。

 

 

なんだか、ちょっと、あの人、うっとおしいな・・・・

 

絡まれるのが、ちょっと嫌だな・・・・

 

 

それくらいは感じていたが、

まさかそれが原因で、体調不良まで起こしているとは、絶対に思わなかった。

 

 


なぜ、こんなことが起きるのか。

なぜ肝心な感情を封印してしまうのか。

 


人間は社会的価値観により、正直な感情を押し込める。

自分のストレスを見えなくしてしまう。

大きなストレスである、という感情を封じ込めてしまうのだ。

 

 


その感情に気づいた時、自分はわがままだ、と私も自身に対して思った。

我慢しなくてはならないのに、と自己嫌悪に陥った。

 


しかし、そう感情として抱えてしまったものは、

 

いちど自分で受け止める必要があるのではないか、と私は思う。

 

実際どうしていくか、という行動の段階になった時には、

 

社会的な常識やら価値観が必要になってくるのかもしれないが、

 

封じ込めている正直な強い感情に対しては、

 

こう感じているのだ、といったん解放し、認識したほうが良いと思う。

 

行動はどうするかは、また別の選択なのだ。

 

 

 


つまり、

社会的価値観、一般的常識、自身のこうであろうという価値観(罪悪感)。

それらにより、

自分の感情を把握できないようになってしまう心の働きが、

人間のなかにはあるのだ。

 

 

 

 

<17ー3に続く>

 

 

 

不安に耐える力は、単なる”技術”である(抗うつ剤なしに不安を解消する方法17ー1)

 

 

人間はよくもわるくも報酬を求める生き物である。

 

 


報酬とは、ようするに「快楽」である。


その快楽にも3種類ほどあると云われている。

 

 


①食欲や性欲などの動物的報酬。

 

②アルコール、ギャンブルなどの短期的報酬。

 

③人間的報酬。

 

 

 

①の欲求は生物的なものなので、満たされると去っていく。

 


②の短期的欲求には依存性がある。

依存すると、抜け出したいと思ってもなかなか抜け出せない。

依存性により、生活の質が落ちたりする。

私も短期的報酬に、はまりやすい性質があるが、

この短期的報酬には注意してほしい。

 


③は、ものごとを達成したり、

他者に何らかの働きかけを無償でした時に生じる、

高次の報酬と言われている。

 

人間は時間をかけて取り組んだものや、目的を自力で達成したとき、

または他者を助けることができたとき、

「嬉しい」、「しあわせだ」、

という高次の快楽を感じる社会的な生物なのだ。

 

 


抗うつ剤に頼らず、明るい生活を取り戻したい、と考えている人は多い。

 

私はこういうブログを開設したことにより、

 

そのことを、日々痛感している。

 

 

 

 

今回は、長文になるが(3部作)

 

 

不安に対処するためには、

 

 

③の人間的報酬をガンガン活用しよう(  ̄▽ ̄) !

 

 

という記事を書いていこうと思う。

 

 

 

 

 


○地獄のような不安と恐怖の、なつかしの日々

 


以前、「私が抗うつ剤をやめていった過程」の記事で書いたが、

 

ある非常に辛いきっかけがあって、

 

もう抗うつ剤に逃げる理由が完全に失われてしまった。

 


それによって、自分の状況にたいして目が覚めるようになった。

 

 


私はもうダメなのか?

 

完全に失敗してしまったのか?

 

 


自分の問題は、抗うつ剤では絶対に解消できないものだ、と、

 

ようやく認識できたのである。

 

地獄のような苦しみだった。

 

 

 

そしてもがくようにして、

いろいろ試行錯誤し、

今の状態までたどり着くことができた。

 

 

 

 

その結果、

 

私は、同じように苦しい思いをしている人に、

 

どうか絶望しないでください、

 

とどうしても伝えたくなった。

 

 

抜け道はあるのだということを、

 

体験した当事者として、

 

何らかの形で伝えていきたいと思うようになった。

 

 


なぜなら、私が同じように苦しんでいるとき、

 

 


そこから回復した人の記事を何度も何度も読んで、

 

 

とても救われたからだ。

 

 

 

 

○見えない心

 


前回の記事に書いたが、すこしまた事例を出したいと思う。

 

 

最近の話になるが、

 

ある高待遇の職場に勤務していて、

 

申し分はない状況のはずなのに、

 

原因不明の体調不良が起きてしまった。

 

 


朝の尋常ではない疲労感から始まり、

右手首が痛くてまわらなくなり、

肩凝りも笑ってすませられるような度合いでは無くなった。

通院するようになったのだが、

よくなるどころか、

とうとう腰痛まで出てきた。

 

 

 

 

せっかく、

 

「ロッキー1」の主題歌を背に、

 

社会にカムバックしたのに・・・

 

 

 

 

 

 

私は焦った。

 

 

なぜだろう? と首をひねる。

 

 

 

事業所の長(おさ)は、

 

私に厚待遇で接してくれる。

 


なにかチャレンジ性のある仕事も任せてくれて、

 

自分がそれまで逃げていた業務についても見つめ直し、

 

乗り越えるきっかけを、与えてくれた。

 


感謝してもしきれない。

 

 

 

しかし‥‥

 

 


この長が人間的にどうしても尊敬できなかった。

 

 

誰にでも欠点があることは、わかっていた。

 

それなのに、受け入れられなかったのだ。

 

 


私には、いろいろ手厚くしてくれるのが、

 

私のような外部の人間より、

 

まずは正社員で入社した若手君に、

 

いろんな指導をするべきなのでは、と強く感じた。

 

 

なぜなら、この若手君を、

お前はバカか、

こんなこともわからなかったのか、

などと長時間、叱責するようになりだしたからだ。

 


まるで苛めのようで、聞かされているほうも苦痛だった。

 

 


私は、なぜ長が立場の弱い人間を叱るのか、

 

彼の扁桃体に着目して考えてみた。

 

 

 

 

○承認欲求+短絡的報奨は、最悪のコラボ

 

 

叱っている長は、

 

自分が権力と経験を持っているというアピールをしたいのだ、と感じた。


承認欲求を満たしたいがための行動である、と感じたのだ。

 

 


やっているほうは、

 

快楽(短期的報奨)を味わえるのかもしれないが、

相手にされるほうは、迷惑である。

 

 

自分のほんとうの力量をアピールすべき場は、そこではないはずである。

 

もっと時間をかけて、もっとてこを入れる場面において、

 

長(おさ)たるもの、力を費やさなくてはならないのではないか。

 

 

 

そこから逃げて、

短絡的に承認欲求を満たそうとするから、

貴様たちは、いつまでたってもダメ野郎なのだ。

 

 

 

差別的発言をする議員の、心理構造とまったく同じ。

 

自身が成長するために力を使うのではなく、

 

自分より弱い者をおとしめて、容易に快楽を得ようとするのである。

 

 

 

彼らは、動物的な承認欲求の奴隷なのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(17ー2につづく)

 

 

 

不安に耐える力は、単なる”技術”である(抗うつ剤なしに不安を解消する方法16)

 

 

世間や自分が「これはいいものだ」と云っている価値感は、

 

あなたにとって実のところ、いいものなのだろうか?

 

 

 

そうではないだろう、と本やら何やらで云われているが、

 


今回は、それをリアルに感じた実例を書いていく。

 

 

 

 

 

○とても条件のよい職場での仕事

 


知人から、条件も仕事内容も良い職場を紹介され、

そこで仕事をすることになった。

 

向こうは正社員にと言ってくれたが、

育児もあるため断って時給換算にし、勤務時間にも都合をつけてもらった。


人間関係も穏やかで、ほのぼのとした職場だった。

仕事内容も良い。

 

 

 

私は安定と収入を考え、この会社に落ち着いたほうが良いのでは、

と考えるようになった。


本心の部分では、その会社の業務内容に対して、燃えるような熱意はなかったが、

トシもトシなので、世間一般的な価値観からかんがみて、

「ここいらで一発、安定しておかなければならないかも」

と思い始めるようになったのだ。

 

 

しかし、それから数ヵ月経ち、

朝に妙な疲れを感じるようになった。

 

朝から、疲労感が強いのである。

手首にも強い痛みを感じる。


そうなる理由は、全くわからなかった。

 

 

 

 

 

○事件は突然起きた

 

 

また幾月か経ったころ、

なぜか事務所の長(おさ)が若手の職員を叱責するようになりだした。

 

この長も根はわるくないが、癖のある人物だった。

いわゆるオレオレタイプで、何かと自己アピールをしたがる。

 

部下を叱りつけることで、

自分の経験や知識を会社の人に知ってもらいたい、という感じだ。

 

私は、このいたぶられている若手君がかわいそうで仕方なかった。

 

 

 

さらに・・・・

 

 

 

 

ある朝突然、私が出社するなり、

 

「さあさあさあ!! パッショさんが来たから、やろうかね!」

 

と全員を立たせ、

 

エッチラ体操という、わけのわからないトンデモ体操をすることを、

強いたのである(注;AVではない)。

 

 

 

 

 

(;゜Д゜)

 

 

 

 

 

唖然としながらも、ついつられて、


見よう見まねでその意味のわからない体操をした。

 


言っておくがそこは、超事務職業である。

クリックする腕さえ動けば、あとは肉体の機能は必要ない職場である。

 

 


見渡せば、

この異様な状況をみな受け入れて、もくもくと体操をしている。

誰も長に理由を聞かない。

 

 

 


この状況は毎朝続いた。

 

さらにその長が、朝体操をさせるのを忘れた時には、

 

「パッショさんが帰る前にやろうな!」

 

と夕方五時から体操を開始させるのである。

 

 

 

 

私は憤慨した。

 

 

 

帰宅前に体操をさせる理由とは、一体何であろうか???( ;゚皿゚)ノシ

 

 

 

 

 

 

 

○舌打ちを堪える日々

 

 


毎体操度ごとに、舌打ち寸前で、怒りをこらえる日々。

 

私もまだまだ未熟者。

 

扁桃体の力が強い側の人間である。

 

このイラつきを毎日押さえるのに、ひどく消耗した。

 

 

 

 

○危険な集団意識

 

 

この出来事は私に、非常に不愉快で生理的な嫌悪を生じさせた。

 

「集団がみなそうしているし、リーダーがそう命じたから、従うべき」

 

という圧力の名のもとで、人間はいともたやすく、思考停止に陥るのである。

 

 

 

 

 

 


私はこのようなものが大嫌いだ。

 

それには明確な理由がある。

 

乳を揺らされる云々以外に、だ。

 

 


「リーダーが命じたから、是非はともかくやらなければならない」

 

 


これがどんなに危険なことか。

 

 

 

 

 

 

こういうことを掘り下げないから、

 

日本社会は、大量のうつ病患者を量産してしまう。

 

 

リーダーが命じれば、集団は従う。

 

そして集団からはぐれることに本能的な恐怖を感じる。

 

恐怖によって扁桃体は操られ、

 

人間は思考停止の操り人形になるのである。

 

 

 


この恐怖は利用される。

 

人間は、集団がそれを行えば、どんな非道なことでも行ってしまう。

 

人間はその恐怖に支配され、子供や妊婦や病人たちですら大量に虐殺してきた。

 

 

 

人間の弱く危うい部分は、利用されやすいのである。

 

 

 

 

 

 

 

○脱出せよ

 


とうとう私はそこを辞め、

 

別の職場へ行くことを考えるようになった。


なにしろ扁桃体が、猛烈に拒否しているのである。

 

毎日毎日イライラしてしょうがなかった。

 

こうなってしまったら、

 

逆らうだけデメリットが増える。

 

扁桃体の力は強いのである。

 

 

 

 

 


そして・・・・・・

 

 

 


今、現在、別の職場で仕事をしているが、

 

結論として、その安定高待遇のところを去ったことで、

 

よりしあわせになった。

 

 

 


より満たされる日々を生きているのである。

 

 

 

 

このような事も起こりうるのだ。

 

 

 

世間一般の価値感、または自分で思い込んでいた価値観にとらわれることは、

人間だから多々ある。

 

 

しかし、捕らわれることをやめることでも、

予想を上回るしあわせを得ることができる。

 

 

 

 

それが真実だ。

 

 

 

 

 

 

 ○世界はあなたの想像を超える

 

 

 


重度のうつと言われ、

 

 

治療が私のように十五年など長期に及んでも、

 

 

 

抗うつ剤を完全に止めて、

 

 

しあわせに元気に健康に生きることは、

 

 

必ず出来る。

 

 

 

 

 

不安や恐怖にこつこつ対応し、

 

小さな成功を積み重ねていけば、

 

大きな力、

 

真に自分にとって活きる力を、

 

手に入れることができる。

 

 

 

 

 

 

いわゆる、物質のみがあなたにとっての、幸福のすべてではない。

 

金銭や待遇を満たすだけが、あなたという存在の真の望みではない。

 

 

 

これを自覚し、しっかり意識してみよう。

 

 

 

 

 


時に、あなたを困らせる扁桃体

 

 

その扁桃体が、時には、あなたに素晴らしい道を示してくれるのだ。

不安に耐える力は、単なる”技術”である(抗うつ剤なしに不安を解消する方法16)

 

 

世間や自分が「これはいいものだ」と云っている価値感は、

 

あなたにとって実のところ、いいものなのだろうか?

 

 

そうではないだろう、と本やら何やらで云われているが、


今回は、それをリアルに感じた実例を書いていく。

 

 

 

 

○とても条件のよい職場での仕事

 


知人から、条件も仕事内容も良い職場を紹介され、

そこで仕事をすることになった。

 

向こうは正社員にと言ってくれたが、

育児もあるため断って時給換算にし、勤務時間にも都合をつけてもらった。


人間関係も穏やかで、ほのぼのとした職場だった。

仕事内容も良い。

 

 

 

私は安定と収入を考え、この会社に落ち着いたほうが良いのでは、と考えるようになった。


本心の部分では、その会社の業務内容に対して、燃えるような熱意はなかったが、

トシもトシなので、世間一般的な価値観からかんがみて、

「ここいらで一発、安定しておかなければならないかも」

と思い始めるようになったのだ。

 

 

しかし、それから数ヵ月経ち、

朝に妙な疲れを感じるようになった。

 

朝から、疲労感が強いのである。

さらに、手首に強い痛みを感じるようになった。


そうなる理由は、全くわからなかった。

 

 

 

 

○事件は突然起きた

 

また幾月か経ったころ、

なぜか事務所の長(おさ)が若手の職員を叱責するようになりだした。

 

この長も根はわるくないが、癖のある人物だった。

いわゆるオレオレタイプで、何かと自己アピールをしたがる。

部下を叱りつけることで、

自分の経験や知識を会社の人に知ってもらいたい、という感じだ。

 

私は、このいたぶられている若手君がかわいそうで仕方なかった。

 

 

 

それだけではない。

 

事件はいつも突然起きるのである。

 

 

ある朝突然、私が出社するなり、

 

「さあさあさあ!! パッショさんが来たから、やろうかね!」

 

と全員を立たせ、

 

エッチラ体操という、わけのわからないトンデモ体操をすることを、強いたのである(注;AVではない)。

 

 

 

 

(;゜Д゜)

 

 

 

 

唖然としながらも、ついつられて、


見よう見まねでその意味のわからない体操をした。

 


言っておくがそこは、超事務職業である。

クリックする腕さえ動けば、あとは肉体の機能は必要ない職場である。

 

 


しかし見渡せば、

この異様な状況をみな受け入れて、もくもくと体操をしている。

誰も長に理由を聞かない。

それが、ちょっと気持ちわるかった。

 

 


この状況は毎朝続いた。

 

さらにその長が、朝体操をさせるのを忘れた時には、

 

「パッショさんが帰る前にやろうな!」

 

と夕方五時から体操を開始させるのである。

 

私は憤慨した。

 

 

帰宅前に体操をさせる理由とは、一体何であろうか???( ;゚皿゚)ノシ

 

 


毎体操度ごとに、舌打ち寸前で、怒りをこらえる日々。

 

私もまだまだ未熟者。

 

扁桃体の力が強い側の人間である。

 

このイラつきを毎日押さえるのに、ものすごく消耗した。

 

 

 

 

○危険な集団意識

 

 

この出来事は私に、非常に不愉快で生理的な嫌悪を生じさせた。

 

「集団がみなそうしているし、リーダーがそう命じたから、従うべき」

 

という圧力の名のもとで、人間は思考停止に陥るのである。

 

 

 

その長は、「長」であるという権力と支配力によって、

 

 

胴体に腕をあて、

乳をゆさゆさゆするようなふりつけの体操を、強いるのである。

 

 


私はこのようなものが大嫌いだ。

 

それには明確な理由がある。

 

乳を揺らされる云々以外に、だ。

 

 


「リーダーが命じたから、是非はともかくやらなければならない」

 

 


これがどんなに危険なことか。

 

 

こういうことを掘り下げないから、

 

日本社会は、大量のうつ病患者を量産してしまう。

 

 

リーダーが命じれば、集団は従う。

 

そして集団からはぐれることに本能的な恐怖を感じる。

 

恐怖によって扁桃体は操られ、

 

人間は思考停止の操り人形になるのである。

 

 


この恐怖は利用される。

 

人間は、集団がそれを行えば、どんな非道なことでも行ってしまう。

 

人間はその恐怖に支配され、子供や妊婦や病人たちですら大量に虐殺してきた。

 

 

 

人間の弱く危うい部分は、利用されやすいのである。

 

 

 

世間一般的、そして自分の古い価値観のもとでは、

 

辞めないほうが良い会社である。

 

そこにいる金銭や待遇などの物質的なメリットは大きい。

 


そう考えて、結論を出すのを引き伸ばしているうち、

 

しだいしだいに体調を崩し始めた。

 

 

 

精神的には、そんなにうつうつと悩んでいる感じではない。

しかし、背中が痛み頭痛がし、疲労感が強く、

その会社のその椅子に座っているだけでも体が痛くて、

ひどくエネルギーを消耗するようになった。

 

 

○脱出せよ

 


とうとう私はそこを辞め、

 

別の職場へ行くことを考えるようになった。


なにしろ扁桃体が、猛烈に拒否しているのである。

 

毎日毎日イライラしてしょうがなかった。

 

こうなってしまったら、

 

逆らうだけデメリットが増える。

 

扁桃体の力は強いのである。

 

 

 

 

 


そして・・・・・・

 

 

 


今、現在、別の職場で仕事をしているが、

 

結論として、その安定高待遇のところを去ったことで、

 

よりしあわせになった。

 

 

 


より満たされる日々を生きているのである。

 

 

 

 

このような事も起こりうるのだ。

 

 

 

世間一般の価値感、または自分で思い込んでいた価値観にとらわれることは、

人間だから多々ある。

 

 

しかし、捕らわれることをやめることでも、

予想を上回るしあわせを得ることができる。

 

 

 

 

それが真実だ。

 

 

 

 

 

 


重度のうつと言われ、

 

 

治療が私のように十五年など長期に及んでも、

 

 

 

抗うつ剤を完全に止めて、

 

 

しあわせに元気に健康に生きることは、

 

 

必ず出来る。

 

 

 

 

不安や恐怖にこつこつ対応し、小さな成功を積み重ねていけば、

 

大きな力、

 

真に自分にとって活きる力を、

 

手に入れることができる。

 

 

 

 

 

 

あなたはヒーローになるのだ。

 

 

 


なぜなら、あなたはヒーローだからだ。

 

 

 

 


時に、あなたを困らせる扁桃体

 

 

その扁桃体が、時には、あなたに素晴らしい道を示してくれる。

不安に耐える力は、単なる”技術”である(抗うつ剤なしに不安を解消する方法16)

 

 

世間や自分が「これはいいものだ」と云っている価値感は、

 

あなたにとって実のところ、いいものなのだろうか?

 

 

そうではないだろう、と本やら何やらで云われているが、


今回は、それをリアルに感じた実例を書いていく。

 

 

 

 

○とても条件のよい職場での仕事

 


知人から、条件も仕事内容も良い職場を紹介され、

そこで仕事をすることになった。

 

向こうは正社員にと言ってくれたが、

育児もあるため断って時給換算にし、勤務時間にも都合をつけてもらった。


人間関係も穏やかで、ほのぼのとした職場だった。

仕事内容も良い。

 

 

 

私は安定と収入を考え、この会社に落ち着いたほうが良いのでは、と考えるようになった。


本心の部分では、その会社の業務内容に対して、燃えるような熱意はなかったが、

トシもトシなので、世間一般的な価値観からかんがみて、

「ここいらで一発、安定しておかなければならないかも」

と思い始めるようになったのだ。

 

 

しかし、それから数ヵ月経ち、

朝に妙な疲れを感じるようになった。

 

朝から、疲労感が強いのである。

さらに、手首に強い痛みを感じるようになった。


そうなる理由は、全くわからなかった。

 

 

 

 

○事件は突然起きた

 

また幾月か経ったころ、

なぜか事務所の長(おさ)が若手の職員を叱責するようになりだした。

 

この長も根はわるくないが、癖のある人物だった。

いわゆるオレオレタイプで、何かと自己アピールをしたがる。

部下を叱りつけることで、

自分の経験や知識を会社の人に知ってもらいたい、という感じだ。

 

私は、このいたぶられている若手君がかわいそうで仕方なかった。

 

 

 

それだけではない。

 

事件はいつも突然起きるのである。

 

 

ある朝突然、私が出社するなり、

 

「さあさあさあ!! パッショさんが来たから、やろうかね!」

 

と全員を立たせ、

 

エッチラ体操という、わけのわからないトンデモ体操をすることを、強いたのである(注;AVではない)。

 

 

 

 

(;゜Д゜)

 

 

 

 

唖然としながらも、ついつられて、


見よう見まねでその意味のわからない体操をした。

 


言っておくがそこは、超事務職業である。

クリックする腕さえ動けば、あとは肉体の機能は必要ない職場である。

 

 


しかし見渡せば、

この異様な状況をみな受け入れて、もくもくと体操をしている。

誰も長に理由を聞かない。

それが、ちょっと気持ちわるかった。

 

 


この状況は毎朝続いた。

 

さらにその長が、朝体操をさせるのを忘れた時には、

 

「パッショさんが帰る前にやろうな!」

 

と夕方五時から体操を開始させるのである。

 

私は憤慨した。

 

 

帰宅前に体操をさせる理由とは、一体何であろうか???( ;゚皿゚)ノシ

 

 


毎体操度ごとに、舌打ち寸前で、怒りをこらえる日々。

 

私もまだまだ未熟者。

 

扁桃体の力が強い側の人間である。

 

このイラつきを毎日押さえるのに、ものすごく消耗した。

 

 

 

 

○危険な集団意識

 

 

この出来事は私に、非常に不愉快で生理的な嫌悪を生じさせた。

 

「集団がみなそうしているし、リーダーがそう命じたから、従うべき」

 

という圧力の名のもとで、人間は思考停止に陥るのである。

 

 

 

その長は、「長」であるという権力と支配力によって、

 

 

胴体に腕をあて、

乳をゆさゆさゆするようなふりつけの体操を、強いるのである。

 

 


私はこのようなものが大嫌いだ。

 

それには明確な理由がある。

 

乳を揺らされる云々以外に、だ。

 

 


「リーダーが命じたから、是非はともかくやらなければならない」

 

 


これがどんなに危険なことか。

 

 

こういうことを掘り下げないから、

 

日本社会は、大量のうつ病患者を量産してしまう。

 

 

リーダーが命じれば、集団は従う。

 

そして集団からはぐれることに本能的な恐怖を感じる。

 

恐怖によって扁桃体は操られ、

 

人間は思考停止の操り人形になるのである。

 

 


この恐怖は利用される。

 

人間は、集団がそれを行えば、どんな非道なことでも行ってしまう。

 

人間はその恐怖に支配され、子供や妊婦や病人たちですら大量に虐殺してきた。

 

 

 

人間の弱く危うい部分は、利用されやすいのである。

 

 

 

世間一般的、そして自分の古い価値観のもとでは、

 

辞めないほうが良い会社である。

 

そこにいる金銭や待遇などの物質的なメリットは大きい。

 


そう考えて、結論を出すのを引き伸ばしているうち、

 

しだいしだいに体調を崩し始めた。

 

 

 

精神的には、そんなにうつうつと悩んでいる感じではない。

しかし、背中が痛み頭痛がし、疲労感が強く、

その会社のその椅子に座っているだけでも体が痛くて、

ひどくエネルギーを消耗するようになった。

 

 

○脱出せよ

 


とうとう私はそこを辞め、

 

別の職場へ行くことを考えるようになった。


なにしろ扁桃体が、猛烈に拒否しているのである。

 

毎日毎日イライラしてしょうがなかった。

 

こうなってしまったら、

 

逆らうだけデメリットが増える。

 

扁桃体の力は強いのである。

 

 

 

 

 


そして・・・・・・

 

 

 


今、現在、別の職場で仕事をしているが、

 

結論として、その安定高待遇のところを去ったことで、

 

よりしあわせになった。

 

 

 


より満たされる日々を生きているのである。

 

 

 

 

このような事も起こりうるのだ。

 

 

 

世間一般の価値感、または自分で思い込んでいた価値観にとらわれることは、

人間だから多々ある。

 

 

しかし、捕らわれることをやめることでも、

予想を上回るしあわせを得ることができる。

 

 

 

 

それが真実だ。

 

 

 

 

 

 


重度のうつと言われ、

 

 

治療が私のように十五年など長期に及んでも、

 

 

 

抗うつ剤を完全に止めて、

 

 

しあわせに元気に健康に生きることは、

 

 

必ず出来る。

 

 

 

 

不安や恐怖にこつこつ対応し、小さな成功を積み重ねていけば、

 

大きな力、

 

真に自分にとって活きる力を、

 

手に入れることができる。

 

 

 

 

 

 

あなたはヒーローになるのだ。

 

 

 


なぜなら、あなたはヒーローだからだ。

 

 

 

 


時に、あなたを困らせる扁桃体

 

 

その扁桃体が、時には、あなたに素晴らしい道を示してくれる。

不安に耐える力は、単なる”技術”である(抗うつ剤なしに不安を解消する方法15)

「認知のかたより」は実際のところ、

どのようなものなのか。

あなたはご存じだろうか。

 

 

人間の認知は偏りがちだ、

 

とわかっていても、

 

実際どんなふうに偏っているのか、

 

偏っている間はどうなのか、

 

という点に関しては、あまりよく知られていない

 

 

 

 

では早速、例題。

 

 

 

 

下のGIF画像は有名なので、よくネットで見かけると思う。

 

どちらに回転しているように見えますか?

 

 

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右? 左?

 

 

 

 

右回転であっても左回転であっても、構わない。

 

 

ここであなたが注視するべき事は、

 

 

1) 一度右回転に見えたものは、

左回転に修正しにくいということ(逆も同じ)

 

2) 右回転に見えている間は、

左回転を見ることができない(認知できない)

 

 

 

 

これがあなたの脳の認知機能により、見えている世界の特性なのだ。

 

 

○たとえば、あなたが「自分はこうである」という思い込みによって、自身を評価しているときは、それ以外の見方をしにくい。

 

○どうしにくいかというと、上記の画像のような感じで、左回転に見えるはず、と頭でわかっていても、右回転にしか見えない。

 

○そして慣れないうちには、簡単には修正できない。

 

 

 

 

つまり、ある人が「きっと私は、こういう人間だ」「他者は私をこう見ている」と一度認識してしまうと、

それが事実でなかったとしても、その思い込みを解除しにくい。

 

 

上記の画像のように、

「いちどその方向に回転していると感じると、

なかなか逆回転には見えない」というように。

 

 

 

 

おわかりだろうか

 

 

 

悲観的な思い込み、

 

他者がこう自分を評価しているという思い込み、

 

社会はこうであろうという思い込み、

 

自分で自分に課す思い込み、

 

 

 

それらはバイアスがかかっている可能性が、非常に高い。

 

 

 

さらに、認知が「偏っている」と頭でわかっていても、

そのことで悩んでいる間は、

上記のように決まった方向にしか考えられず、

別の見方ができない。

 

 

 

悲観的になることは、私も多々あるのでいたいほど気持ちはわかる。

 

その最中は、どうしても、そうとしか考えられないのである。

 

他者でも自分でも「こうである」と決めつけてしまいがちである。

 

 

 

 

では、それをどう修正していくか。

 

 

 

 

この「不安に耐える力は、単なる”技術”である」のシリーズに記述している内容にも、ヒントがある。

 

 

不安や恐怖におそわれ、過去の苦しみから逃れられず、

 

抗うつ剤を服用するしかないほど傷んだあなたの心は、

 

上記の図のように、

 

同一方向の回転ばかりを見ている可能性が高いのだ。

 

 

 

 

そして、ひとたび不安の渦に巻き込まれたら、

「もうずっとこの不安が続くのではないか。どうなってしまうのか」

「自分はこんな風になってしまったから、もうだめだ、終わりだ」

と思い込み、その思考や感覚からなかなか抜け出せないものなのだ。

 

 

 

 

 

が、しかし……、

 

 

 

 

 

必ず不安が消えている瞬間があるのだ。

 

 

 

不安を具体的に解消する行動をしたり、きっかけがあったり、

 

もしくはきっかけがなくても、時間の経過で薄まったりしていくなど。

 

 

 

 

あなたがそこでするべき仕事は、何かというと…

 

 

 

そのときに、意識の焦点を当てるのだ。

 

 

 

 

これを繰り返していくと、

 

右回転しか見えなかったものが、

 

しだいに左回転も見えていくのと同様、

 

自分にも不安を解消する力があるのだ、

 

とすんなり理解することができるようになる。

 

 

 

 

その認識の部分を強化してやると、

 

脳はかならず、あなたに答えるようになる。

 

 

 

それから、また別の方法。

 

 

 

「こうだろう」というマイナスの考えしかできないときには、

上記の図を思いだしてみる。

 

 

 

すると、

「人間は、認知の仕方に癖があるのだ」

ということを、脳が意識するようになる。

 

 

 

 

そうしておけば、

 

そのときは、まだまだ悲観的な考え方しかできなくても、

 

数時間後にはゆっくりと鎮静され、

 

「まあ、別の見方もあるのかもしれないな」と少しずつ修正されやすくなる。

 

 

 

 

さいわい上記の図は印象に残るので、

 

苦しいときや不安なとき、

 

マイナスの思考に陥っているときには、

 

上記の図を思い出すだけでも良いと思う。

 

 

 

一方向の認知にかたよる癖がある、

 

ということを自身で意識できていくと、

 

心の自由度は高まっていく。

 

 

 

 

その小さな訓練が、あなたを確実に強くしていく。

 

 

 

不安に耐える力は、単なる”技術”である(抗うつ剤なしに不安を解消する方法14)


人間は自分の能力に蓋をしている。

 

 

自身で制限をかけているのだ。

 

自分がこの程度でしかない、と考えていれば思考も停止してしまう。


しかし、自分は結構できる、いろいろやっていけると自信を持てば、

脳が目覚め、能力が発揮されていく。

 

 

 

知人の職場での話だが、

専務の立場にある四十代ほどの男性がいた。

酒好き女好きでのみ歩き、職場でも態度が傲慢だった。

職場の飲み会などでもお金にルーズで、ちょっと危ない感じの人物だったらしい。

しかし、どういうわけかこの人が支部の社長に抜擢された。

ほかに人材が居なかったからだと思うが、なぜか社長になったのだ。


すると、この人物がまるで別人のようにがらりと変わった。

 

お金に関して緻密に計算をし社員に分配する。

好きなだけ飲んで荒れた生活をしていたのに、

飲むのも午後十一時までと自分で決め、酒にのまれなくなり、

仕事でも誰もが想像しえなかったほどの業績をあげたのである。

 

 

その人物は、社長という肩書きを手にしたとたん、
それにふさわしい行動を取るようになった。

 

お金やお酒に関してコントロールするようになったのも、
自分の肩に責任がのしかかっているため、
失敗することに「恐怖」を感じたからだという。


「恐怖」という名目で、

役割を与えられた扁桃体が協力してくれたのだ。


「恐怖」はとてつもない力を持つ。

それがときに味方になるのだ。

 


また、私の経験談だが、


あるところに仕事の依頼があったとき、


通常の相場よりも高く時給を設定した(注:風俗ではない)。

 

最初のうちは、それにみあう能力が出せるのか、


失敗するとまわりにどう思われるのか、非常に怖かった。

 

しかし、だんだんと脳が変化していった。

 

「その時給にみあう仕事とは、一体なにか」を勝手に考えだしたのだ。

 


会社のほうでは、逃げたくなるようなレベルの高い仕事をちらちら頼むようになってきた。
最初は怖くて仕方なかったのだが、やるしかないので、一応やってみた。
そうすると何故か自分が思っていたより対応できる。



ついでにIQテストもやってみた。


するとびっくりするような結果が出た。

 

大学生のときよりも、ずっと跳ね上がっているのである。


摩訶不思議としか云いようがないが、事実なのだ。

 


別に私が特別なのではない。
人間は自分に制限をかけて、その通り行動しているのだ。
蓋をはずせば、本当の力が解放される。

 


自分に役割を与えてやると、


押さえ込んでいた能力が、覚醒していく。

 


自分で思うより、あなたはすごい人間なのだ。

 

 

あなたの扁桃体が、どういうときにどういう感情になるのか、いちどつぶさに観察してほしい。

 

どういうときに、あなたをコントロールするのか。

 

せひ、あなたの行動をやすやすと支配してしまう扁桃体の力に注視してほしい。

 

 

一方で、扁桃体「快」という報奨と、
自分はこうありたい(抗うつ剤をのまなず不安をコントロールする技術を身に付けたい等)という方向性、
この二つをセットを与えてやると、

 

 

あら不思議・・・

 

 

呪文をかけられた魔法のごとく、


脳は動き出す。


ものすごい結果が必ず出る。

 

 


不安や恐怖は、自己防衛のための感情であり、必要な感情でもある。

 

一方で「快」という感情がもたらす報奨は、想像を越えるほとの大きなパワーを持つ。

 


この「快」→「小さな達成」や「報奨」を積み上げていってみよう。

 

自分が不安から脱したときに、メモをとってみよう。一行でいい。

 

どうやって不安から脱出したか。書いてみるのだ。

 

スマホのメモ機能に入力してもよい。

 

 


地獄の火に焼かれるほど、不安にさいなまれていた私が、

いまは普通に暮らしている。抗うつ剤なしで。

こういうことは可能なのだ。不可能ではない。



 

コツとしては、

 

抗うつ剤をやめ、

 

1不安が消えたこと


2どうやって消えたか

 

の二点を意識していってから、

 

一年半ほどで社会に復帰し、人間関係の交流も普通にできるようになった。

 

 

上記、1と2では、脳になにが起きていたかというと、、

扁桃体に自分で報奨を与えていたのだ。

 

 

小さな達成の力は、自分が自身を認める力になる。礎になる。

 

礎があると、自然に他者からの評価もついてくる。

 

 

 

まずは基礎を作るのだ。

 

その基礎を作っていく過程こそ、


もっとも強力な武器になるのだから。