passyoo(パッショ)の日記

不安、うつ、抗うつ剤を克服した経験をつづったサイトです

不安に耐える力は、単なる”技術”である(抗うつ剤なしに不安を解消する方法21)

 

 

「自分のような弱い人間が」

 多々なる場面で、そう思うことがある。

 それが恐れに繋がり、あなたを苦しめる。

 


 しかし本当にそうなのだろうか?

 

 

 人間は、自分の心の免疫力や「強さ」を過小評価してしまう生き物なのだ。

 

 

 

 

○あなたは恐れを克服し続ける存在

 

 


 その苦しみや恐怖、不安。

 痛いほどに理解できる。

 
 どうしてこんなことがつづくのだろう。

 いつ、このトンネルから抜け出せるのだろう?


 と、苦しみに焦点を当て、出口はないのかというマイナス思考に陥ってゆく。

 

 

 しかし、心配はない。


 あなたの本質はもっと大きく、生命力は強いのだ。


 内面の恐怖と向き合いながら、あなたは日々生きている。


 これがどんなにすごいことだか、おわかりだろうか。

 

 

 

 それがどれほど辛いものであっても、あなたはなんやかんやで生きていて、

 さらに良い方法を模索しているのだ。

 

 

 あなたは強い人なのだ。

 

 

 


 自分がちっとも進歩していないように思えていても、

 その経験は必ずあなた自身を支える豊かな土壌や、

 しっかりとした基礎になる。

 

 

 あなたが回復し、いろいろな外界の課題と向き合ったとき、

 あの自分の内面と不器用ながらも戦い生きた日々があったから、

 私はこんなに強くなれたのだ、

 強さを鍛え上げられていたのだ、

 と実感する日が必ず来る。

 

 

 

だから、その日を、

 

楽しみにしていてほしい!

 

 

 

 


○選択の幅を狭める「まちがった自分像」

 

 

私ごとだが、仕事も人間関係もとてもうまくいっていたにも関わらず、
何故か精神的な状態がわるかったり、
苦しかったりすることが以前にあった。


なぜそうなったのか、という理由については、

当時はわからなかった。


しかし、精神的にひどい目にあって、
自分をふりかえり、ようやくわかった。

 


自分の中の強さを信じられなかったからだ。

自分には価値がないと思いこんでいたし、

他者の評価によってしかそれが証明できないと思っていた。

 

それで選択の幅を狭めていた。


その自分の「選択の仕方」が大きな原因だったと思う。

 

 

 

私は当時、

ダメな自分、人生に失敗した自分を払拭するために、

がむしゃらに頑張って、外的評価を得ようとした。

 


そしてそこを満たす環境を見つけ、没頭した。


毎日、幸せを感じた。


ようやく、あのダメな自分から脱獄できるのだ、そう感じていた。

 

 

人に評価される。

特別な存在である。

 

そういった承認欲求をどんどん満たしてくれる良い職場に出会えたのだ。

 


しかし、職場の人間は自分に依存し、

自分も職場に依存する、

そんな奇妙な相互関係ができあがってしまった。

 

 

私は息苦しさを感じた。
これが自分が目指していたものか?
と愕然とした。

 


そして、原因不明の精神および体調不良に襲われた。


これまで感じたことの無い、びっくりするような体の異変だった。


その職場に行くことすらままならなくなった。

 

 

どうしてなのだろう?

なぜなのだろう?

 


しかしいくら考えても理由はわからない。

 

 


その精神的な恐怖・不安と戦うために、

 

私は必死で対応し、工夫を凝らした。

 

 

 

そこでようやく人に頼れない、

 

自分で乗り越えなければならない課題が見えて来たのだ。

 

 


問題は、

自分が「過去のダメな自分」を払拭するためにしか、選択してこなかったこと。


それがすべての価値基準だったことが理由だ。


私は自分の価値を自らおとしめ、
選択の幅を狭めていたのだ。

 

つまりそれは、世界に対する「依存」なのだ。

 


社会の評価する人に「依存」する、

過去の不安や恐怖に「依存」する、

 

それらが無ければ、価値がグラつくのである。

 

 

 

 

 

○人間の心は本当はものすごく強い

 

 

しかし、この精神的な苦しみをどうにか乗り越えてゆく過程で、

 

私は自分が意外に強いことに気づいた。

 

もうだめだろう、という危機的な状況であっても、

 

結局、苦しいながらも生きていて、

 

どうにか乗り越えているのである。

 

 

 

これは、私が特別な存在だからではない。

 

 

人間はそもそも自分の精神力を過小評価する傾向にある。

 

 

 


どなたかのブログにかかれていたが、

 

「免疫軽視」という心の作用らしい。

 

 


精神的な耐力を、人間はどうしても低く見積もるのである。

 


しかし、人間は何十万年と生き続けてきた存在である。

 

さらにそのもっと前には強靭な生命体としての履歴がある。

 

 


精神力が強くないわけ、ないのである。

 

 

 


その乗り越える過程において、

私は自分の過去を改めて見つめ直した。

 

 

過去、15年間も不安に苦しみ、

閉ざされた世界で生きていたあの日々。

情けないと思っていたあの日々こそが、

自分の精神力の礎になっていることに気づいた。

 

 

 

あなたもそうかもしれないが、

 

どうしても問題から目を逸らせない時がある。

 

逃げられない事情なり、

 

手放せない理由なりがあったりする。

 

苦痛をともない、人生を無駄にするかもしれなくても、

 

あなたはそこに向き合っているわけである。

 

あなたは強さを培っているのだ。

 

 

 

 

15年も閉じ籠り抗うつ剤を飲んでいた日々は、

 

深刻に考えれば相当ヤバい状況だが、

 

一方で人生をかけたギャグとも云えよう。

 

そう考えると、

 

どこかで「なんとかなるさ」と思っていたふしもある。

 

 


長い間精神的に苦しむことを受け入れるということは、


超「ポジティブ」である、とも言える。

 

 


過去、「失敗だった」と思っていることは、本当は失敗などではない。

単なるパズルのピースなのである。

必ず、それを誇らしく思える日が来る。

自分の自信に繋がる時が来る。

 

 

 

その苦しい時に、逃れる手段がなくて、どうにか編み出した方法は、


自分に以下のことを、ひたすら「言い聞かせる」ことだった。

 

 

 

 


1未来は明るい

 

 

2自分自身が、統治者である

 

 

 


この二点である。

 

 


これらをタコのように何度も繰り返すのである。

 

タコのようにタコように、である。

 

 


潜在意識に刷り込むのだ。

 

 

 

 

1は読んだ通り、未来についてポジティブになるという思考を植え付ける方法であるが、

 

2について少し解説していこうと思う。

 

 


過去の不安や恐怖といった古い潜在意識によって、

自分の行動や感情が狭められている。

過去こうだったからというマイナスに偏ったものとして、

現実を把握している。

そのことに気づいた。

 

 

ということは、過去の古い恐れや不安が、

 

自分の行動と感情の上位にいる、ということである。

 

これらにパワーを完全に乗っ取られているのである。


この内面の状態に気づいた時、

 

私は愕然とした。

 

 

 

 

自分はダメである、という認識のもとで、

すべてを選び認知してきたのである。

 

 

しかし自分はダメである、という認識は、

 

徹底的に間違いであるのだ。

 

 

 

この間違った認識をただすために、

 

いっけん満たされたような境遇で仕事をしているのに、

 

不調に襲われたのだ、と気づいた。

 

 

なぜなら、この認識のもとで突っ走ってしまうのは、大変危険だからである。

 

どちらかがグラつけば、崩壊が待っている。

 

 


これは、ほんとうの幸福ではないのだ。

 

だから私は何度も唱えた。

 


”自分が自身の統治者である”

 


今の自分が、自分の頂点に居るのである。

 

これはゆるぎないものにしなければならない。

 

 

 


人生の頂点、

選択の頂点、

感情の頂点に居るのだ。

 

 

 

マイナスな感情がわきおこっても、それをすぐにチェックし、

 

これは統治者である自分が選ぶべきものか、

 

選ぶべき言葉か、ということを確認していく。


めんどくさいが、だんだんと慣れていく。

 

 

 

また不安や恐れが上位に来ても、
繰り返し唱えることによって、
しだいに強化されていく。

 

 


今の私も日々これの繰り返しである。

 

 強化されっぱなしである。 

 

 

 

本当は紙に書いて壁に貼り、


時々目に入るようにしたほうがよい。

 

 

 


超めんどくさいので、私はやらないが、

 

 

 

あなたはぜひやってくれ。

 

 

 

なんなら私の分も書いて送ってほしい。

 

 

 

 

ほんとうは自分にはとてつもない価値があり、


とても強く、


未来は輝いているかもしれない。


苦しんだ過去は、自分の確かな武器になっているかもしれない。

 

 

 

と、「かもしれない」を語尾につけると、

精神的な負荷が減り、刷り込みやすくなる。


しっかり自分に焼き付けるのである。

 

 

 


あなたが、今の自分によって、


感情を選び、価値を選び、行動を選ぶのである。

 

 

今すぐやるのだ。

 

 

1 あなたの今の感情を選びなさい。

 

2 あなたの価値を選びなさい。

 

3 あなたのすぐ先の行動を選びなさい。

 

 

 

 

 

 

 

 


過去の潜在意識、社会的評価、社会的固定観念が、

”私”を支配することは正しくはない。

 


自分が自分の感情を選ぶのだ。

 

すぐにできなくても大丈夫。

 

 

 

 


繰り返せ!!! (`皿´)

 

 

 

 


あなたは自分の世界の王様なのだ。

 

それは絶対に変わらない。

 

 

 


犯罪やモラル上の間違いをおかしてはいけないが、


感情を選び、自分の価値を決める決定権は、

 

常に今の「自分」にある。

 

 

 


この今のあなた。

そのあなたが、自分の輝く未来を信じ、

すべての価値を決めるのである。

 

 

 

 

たじろいではならない。

 

 


この行為を、「勇敢さ」と云い、

 


「希望」というのだ。

 

 

 

 

 

 

 

不安に耐える力は、単なる”技術”である(抗うつ剤なしに不安を解消する方法20)

 

 人間だから、至らないところもある。

 

 

 そういったところを他者に突かれると、

 

 自分は完全ではない、

 

 とわかっていても、

 

 落ち着かなくなる。

 

 

 

 自己嫌悪に陥ってしまう。

 

 そのうち相手にも腹が立ってくる。

 

 しかし、どうやって打開すればいいのか、方法がわからない。

 

 

 

 

 


 あなたにもこんな経験があるのではないだろうか?


 

 

 

 

 

 こんな時、あなたは自分を無力だと感じるだろうか?

 

 


 いや、無力ではない。

 

 

 不安を解消する方法は、そんなに難しい技術ではない。

 

 ゆっくりだが、確実に力を増し、効果も必ず表れる。

 

 

 

 それは、あなたにも必ずできることなのだ。

 

 

 

 

 

○マイナス思考が止まらなくても方法はある

 


ほんとうは失敗などないのだが、


あなたが”失敗”と思ったことがあるとする。

 

 

誰にもある経験だが、

 

いざ自分がそうなると、辛いものだ。

 

他者の目や言い分が気になり、

 

傷つけられたような気持ちになる。

 

 

 

そうした時に、どうしたらいいか。

 

 

 

あなたの苦しさがいたいほどわかる。

 


しかし、

 

あなたが失敗と思っていることは、失敗などではない。

 

単にこうしたらこうなるという、フィードバックである。

 

 

しかし、なかなかそうは思えないものである。


脳が不安にのっとられている状態だから。

 


さらに相手は自分を責めるつもりではない、大袈裟に考えすぎだ、

と認知を修正しようとしても、

心は思う通りに反応してくれない。

 

 

 

前向きにポジティブにとらえようとしても、

 

簡単には考えられない。

 

最悪の事態が頭によぎる。

 

こういった状態は、

 

止めようとしてもなかなか止められない。

 

 

 

 


だから、私の経験では、そのままで良いと思う。

 

 


そのまま考えを巡らせて、落ち込んでいても、

 

大丈夫です。

 

 

 

 

 

 

あなたを救う鍵は、

 

ちゃんとあなたの中に眠っている。

 

 

 


 

 

 

 


○その失敗に命を宿らせる。

 

 

あなたの失敗のなかに、

あなたの過去のなかに、

命の躍動があり、輝きがある。

 

 

 

決められた枠に沿ってお利口に生きる姿が、

 

人間なのではない。

 

あなたはそんな人に魅力を感じるだろうか?

 

 

 


人間には、どんな困難からも立ち上がる、永劫不滅の力がある。

 

人間には、神にも天使にもできないことができる。

 

 

 

 

 

人間は失敗することができ、

 

 

また、そこから、

 

 

立ち上がることができる。

 

 

 

 


その苦しみ、そのミス、その失敗、そのいたらなさのなかには、

 

あなたの真の姿があり、

 

真の輝きがある。

 

あなたの命が生きている。

 

 

 


待ち合いロボットのように、廊下であなたをプログラミング通りに出迎える物質よりも、

 

 

 

外の草原で自由に跳ね回り、

 

駆け回る駿馬が綺麗だ。

 

 

 


毛並みに光沢があり、

 

足並みは美しく、

 

目に輝きがある。

 

 

 

 

命が宿っている。

 

 

 

 


失敗を失敗と決めているのは、あなたなのだ。

 

いっぽうで、失敗ではなく、

 

これは自分の躍動であり愛すべき点である、

 

と認識するのもあなたなのだ。

 

 

 

ミスをして他者に思う通りに受け入れられなかった、

 

至らなかった、

 

だから多少の不和が起きた。

 

それはただその現象なのだ。

 

 

 


自分がどんなに未熟で至らなかった点があったとしても、

 

それは人間としてふつうにありうることであり、

 

誠実に対応しさえすれば、

 

それは失敗ではなくなる。

 

 

 

 

つまり、

 

それはあなたの成功になる。

 

 

 

 

 

 

 

相手の対応と感情を、

 

いったんまっさらに近い状態で受け止める。

 

そして自分のやるべきことを誠実に考える。

 

無理をするのではない。

 

誠実に向き合うのだ。

 

 

 

すると、

 

 

 


どこへいってもあなたは、

 

その時のあなたを、

 

誇りに思うだろう。

 

 

 

 


あえて失敗と書くが、

”失敗”のなかに命を宿してください。

 

 


それは誰かから非難されて、あなたの命を枯らし、死へ近づけるものではない。

 

 

あなたが生き生きと真に生きて、

 

躍動している姿なのだ。

 

輝く姿なのだ。

 

 

 

 

あなたはあなたの失敗に血肉を通わせてください。

 

 

誇りに思ってください。

 

 

生命を感じてください。

 

 

 


それができたとき、

 

 

あなたは自然に、

 

 

自分の”失敗”という名の現象を、

 

 

愛することができる。

 

 

 

 

 


そして、あなたが自分の失敗をゆるしたとき、

 

その目で他者を見ることができる。

 

 

相手もあなたと同じように、

見えないことがあって、

 失敗をおかして、接しているのかもしれない。

 

 

相手に怒りを感じていても、大丈夫。

 

それでいい。

 

 

たがいの失敗のなかには、命が宿っている。

 

 

その認識が芽生えると、

 

 

苦痛がかなり減っていく。

 

 


そうするうち、心のどこかで、

ほんの片隅で、

小さな場所で、

あなたは、その他者をゆるすことができる。

 

 

 

 

 

それが”失敗”が与えた、あなたの本当の財産だ。

 

”失敗”の役割はそこなのだ。

 

 

 


どん底を知っているからこそ、

 

あなたは自分のなかに尊厳を感じ、

 

誰かに手をさしのべることができる。

 

 

 

 

 

あなたはいくらでも、

 

 

自分の心を書き換えることができる。

 

 

なぜなら、

 

 

あなたは、自分の世界の王様なのだから。

 

 

 

 

しっかり認識してほしい。

 

 

あなたは、

世界と自分の価値感をひっくりかえすスイッチを、

持っているのだ。

 

 

 

 

 

あなたは、素晴らしい人なのだ。

 

 

 

 

 

 

 

不安に耐える力は、単なる”技術”である(抗うつ剤なしに不安を解消する方法19ー3)

 

 

 19ー2につづいて、不安を解決する方法の具体例などを書く予定だったが、

それは20の記事に書くことにして、

今回はもっと感覚的にわかりやすく、

「なぜ苦しいのか」ということについて、

書いていこうと思う。

 

 

 


 傷つき、いつもそちらのほうへ考えが向かい、

 

 たとえようもなく苦しい。

 


 脱出口を探そうにも、どこにも見当たらなく、

 

 

 問題を解決しようにも、八方塞がり。

 


 どん底に突き落とされ、ただただ悲しい。

 

 

 

 

 

 あなたのその苦しんでいる心。

 

 そのなかにこそ、”力”がある。

 

 

 

 

 

○「傷つく」ということは、真実の「愛」があるということ

 

 


 傷ついている人の心からは、たしかな尊さがにじみ出ている。

 

 


 実際、確かにそうである。

 

 


 あなたが傷ついたのも、

 苦しんでいるのも、

 愛情の大きさと深さが理由だった。

 

 


 それは自身に対する愛情かもしれないし、

 家族や親しい人などに向かう愛情かもしれない。

 

 

 

 愛することというのは、傷つくことだ。

 

 

 

 

 これは、「愛情」というものの生まれもった性質なのである。

 

 

 

 

 私もそのことがわかる直前まで、

 とてつもない罪悪感にもがき苦しんだ。

 傷つける行為をしたくなかったのに、

 自分の無力さによって、

 助けられなかった。

 


 自分が存在したり、何かをすることによって、

 また何かをできないことによって、

 誰かが苦しみ傷ついているのではないか。


 その罪悪感に、うちのめされていた。

 

 

 

 


○真実の愛とは、人間がもって生まれた崇高なもの

 

 

 


 では、苦しみから逃れるために、それを捨てるとしよう。

 

 それさえなければ苦しくもないし、傷つかない。

 

 そうやってみれば、どんなにか楽だろう?

 

 


 そして代わりに何を手に入れよう。

 代わりに何が欲しい?

 何でも手に入るとする。

 

 

 そうして自問自答する。

 

 苦痛を減らすために自問自答する。


 過去こうすれば良かったという後悔は、実働できないのでそれは無しにするが、

 

 いろいろ目新しい物について考えてみる。

 

 

 その問題から離れたときの自分の人生を描いてみる。

 

 旅をしようか、外国で生きようか。

 

 

 別の親友をつくろうか。

 

 

 別の家族をつくろうか。

 

 

 


 その問題を捨て去り、もう完全に無いものとして、

 

 どこかでしあわせに生きる人生を、思い描いてみる。

 

 

 


 ・・・・・・

 

 


 しかしあなたは、

 完全にその問題を、

 捨て去ることができるだろうか?

 

 

 

 

 忘れられる?

 

 

 


 あなたは、そこから離れられないのではないか?

 

 

 いちど、離れてしまっても、心のどこかでまた探し続けるのではないか。

 

 

 

 


 代わりなど無いのだ。

 

 

 

 

 

 私も苦痛にばかり目を向けてしまいがちだが、

 

 真実の愛、深い愛情には、

 

かけがえのないものが宿っている。

 

 

 


 あなたが本当に大切に思っているもの。

 あなたがほんとうに失いたくないもの。


 そこに鍵がある。

 

 


 あなたは、その対象の尊さを知っているのだ。

 

 その対象のかけがえのなさを知っているのだ。

 

 だからこそ、胸を痛める。

 

 

 


 では、その尊さとは何だろうか?

 

 

 

 

 対象が素晴らしいから?

 あるいは肉親だから?

 大切な恋人や、親友だから?

 

 

 この際だから、もっと掘り進めてみよう。

 

 あなたが人生について後悔しているとする。

 

 あなたは人生に失望した。

 

 

 

 なぜ、失望した?

 

 

 失敗したから?

 

 

 

 

 では私は質問します。

 

「失敗したら失望したのは、なぜですか?」

 


 あなたは考える。

 

 でも答えがでない。

 

 私が代わりに答える。

 

 

 

 

 あなたは、

 自分の人生を愛しているのだ。

 

 あなたは、

 自分を深く愛している。

 

 


 そして、まわりに居る人たち、
 

 過ごした日々を深く愛しているからこそ、

 

 そのものへの愛情に見あわないからと自分を責め、

 

 焼けるような苦痛と向き合っている。

 

 

 

 

 

○対象物のなかに、自分の尊さが映っている

 

 

 

 あなたが深く心をいためているもののなかに、

 

 あなたの尊さが映っている。

 

 

 それを大切と思う心、

 

 それを失いたくないと思う感情、

 

 あなたはそこに、世界のすべてと引き換えにしても惜しくないほどの価値を見出している。

 

 

 

 

 


 そんな風に感じるあなたは、

 

 

 

 間違いなく尊い人だ。

 

 

 

 

 苦痛に呑まれるタイプの私が云うのもなんだが、

 その苦痛よりも計り知れない恩恵、素晴らしいものを、あなたは得ているのだ。

 

 だからこそ、そこに真の価値を見出し、

 それを愛した。

 

 

 

 

 あなたは人生に失望した?

 

 


 それは、あなたが素晴らしくかけがえのない人だからだ。

 

 

 あなたの人生が、そのままの状態で、

 

 なにも成さない状態であっても、

 

 ほんとうは、素晴らしくかけがえがないという、

 

 その真実をわかっているからこそ、

 

 


 あなたは、ほんとうの価値を見出し、苦しんでいるのだ。

 

 

 

 

 

 
  何度でも何度でも云うが、

 

 


 あなたは素晴らしい人なのだ。

 

 


 その胸の苦しみが、知らせている。

 

 

 

 

 

 

 

 あなたは、苦しむことを選んだのだ。

 愛情を棄てなかった。

 それが、とてつもないほど、尊いものだからだ。

 

 

 


 あなたは逃げなかった。

 

 


 それは、真実の愛だ。

 

 

 

 


 その気高さが、

 

 

 あなたのほんとうの姿なのだ。

 

 

 

 

 

 

 あなたはヒーローなのだ。

 

 

 

 

 

不安に耐える力は、単なる”技術”である(抗うつ剤なしに不安を解消する方法19ー3)

 

 

 19ー2につづいて、不安を解決する方法の具体例などを書く予定だったが、

それは20の記事に書くことにして、

今回はもっと感覚的にわかりやすく、

「なぜ苦しいのか」ということについて、

書いていこうと思う。

 

 

 


 傷つき、いつもそちらのほうへ考えが向かい、

 

 たとえようもなく苦しい。

 


 脱出口を探そうにも、どこにも見当たらなく、


 問題を解決しようにも、八方塞がり。

 


 どん底に突き落とされ、ただただ悲しい。

 

 

 

 

 

 あなたのその苦しんでいる心。

 

 そのなかにこそ、力”がある。

 

 

 

 

 

○「傷つく」ということは、真実の「愛」があるということ

 

 


 傷ついている人の心からは、たしかな尊さがにじみ出ている。

 

 


 実際、確かにそうである。

 

 


 あなたが傷ついたのも、

 苦しんでいるのも、

 愛情の大きさと深さが理由だった。

 

 


 それは自身に対する愛情かもしれないし、

 家族や親しい人などに向かう愛情かもしれない。

 

 

 

 愛することというのは、傷つくことだ。

 

 

 

 

 これは、「愛情」というものの生まれもった性質なのである。

 

 

 

 

 私もそのことがわかる直前まで、

 とてつもない罪悪感にもがき苦しんだ。

 傷つける行為をしたくなかったのに、

 自分の無力さによって、

 助けられなかった。

 


 自分が存在したり、何かをすることによって、

 また何かをできないことによって、

 誰かが苦しみ傷ついているのではないか。


 その罪悪感に、うちのめされていた。

 

 

 

 


○真実の愛とは、人間がもって生まれた崇高なもの

 

 

 


 では、苦しみから逃れるために、それを捨てるとしよう。

 

 それさえなければ苦しくもないし、傷つかない。

 

 そうやってみれば、どんなにか楽だろう?

 

 


 そして代わりに何を手に入れよう。

 代わりに何が欲しい?

 何でも手に入るとする。

 

 

 そうして自問自答する。

 

 苦痛を減らすために自問自答する。


 過去こうすれば良かったという後悔は、実働できないのでそれは無しにするが、

 

 いろいろ目新しい物について考えてみる。

 

 

 その問題から離れたときの自分の人生を描いてみる。

 

 旅をしようか、外国で生きようか。

 

 

 別の親友をつくろうか。

 

 

 別の家族をつくろうか。

 

 

 


 その問題を捨て去り、もう完全に無いものとして、

 

 どこかでしあわせに生きる人生を、思い描いてみる。

 

 

 


 ・・・・・・

 

 


 しかしあなたは、

 完全にその問題を、

 捨て去ることができるだろうか?

 

 

 

 

 忘れられる?

 

 

 


 あなたは、そこから離れられないのではないか?

 

 

 いちど、離れてしまっても、心のどこかでまた探し続けるのではないか。

 

 

 

 


 代わりなど無いのだ。

 

 

 

 

 

 私も苦痛にばかり目を向けてしまいがちだが、

 

 真実の愛、深い愛情には、

 

かけがえのないものが宿っている。

 

 

 


 あなたが本当に大切に思っているもの。

 あなたがほんとうに失いたくないもの。


 そこに鍵がある。

 

 


 あなたは、その対象の尊さを知っているのだ。

 

 その対象のかけがえのなさを知っているのだ。

 

 だからこそ、胸を痛める。

 

 

 


 では、その尊さとは何だろうか?

 

 

 

 

 対象が素晴らしいから?

 あるいは肉親だから?

 大切な恋人や、親友だから?

 

 

 この際だから、もっと掘り進めてみよう。

 

 あなたが人生について後悔しているとする。

 

 あなたは人生に失望した。

 

 

 

 なぜ、失望した?

 

 

 失敗したから?

 

 

 

 

 では私は質問します。

 

「失敗したら失望したのは、なぜですか?」

 


 あなたは考える。

 

 でも答えがでない。

 

 私が代わりに答える。

 

 

 

 

 あなたは、

 自分の人生を愛しているのだ。

 

 あなたは、

 自分を深く愛している。

 

 


 そして、まわりに居る人たち、
 

 過ごした日々を深く愛しているからこそ、

 

 そのものへの愛情に見あわないからと自分を責め、

 

 焼けるような苦痛と向き合っている。

 

 

 

 

 

○対象物のなかに、自分の尊さが映っている

 

 

 

 あなたが深く心をいためているもののなかに、

 

 あなたの尊さが映っている。

 

 

 それを大切と思う心、

 

 それを失いたくないと思う感情、

 

 あなたはそこに、世界のすべてと引き換えにしても惜しくないほどの価値を見出している。

 

 

 

 

 


 そんな風に感じるあなたは、

 

 

 

 間違いなく尊い人だ。

 

 

 

 

 苦痛に呑まれるタイプの私が云うのもなんだが、

 その苦痛よりも計り知れない恩恵、素晴らしいものを、あなたは得ているのだ。

 

 だからこそ、そこに真の価値を見出し、

 それを愛した。

 

 

 

 

 あなたは人生に失望した?

 

 


 それは、あなたが素晴らしくかけがえのない人だからだ。

 

 

 あなたの人生が、そのままの状態で、

 

 なにも成さない状態であっても、

 

 ほんとうは、素晴らしくかけがえがないという、

 

 その真実をわかっているからこそ、

 

 


 あなたは、ほんとうの価値を見出し、苦しんでいるのだ。

 

 

 

 

 

 
  何度でも何度でも云うが、

 

 


 あなたは素晴らしい人なのだ。

 

 


 その胸の苦しみが、知らせている。

 

 

 

 

 

 

 

 あなたは、苦しむことを選んだのだ。

 愛情を棄てなかった。

 それが、とてつもないほど、尊いものだからだ。

 

 

 


 あなたは逃げなかった。

 

 


 それは、真実の愛だ。

 

 

 

 


 その気高さが、

 

 

 あなたのほんとうの姿なのだ。

 

 

 

 

 

 

 あなたはヒーローなのだ。

 

 

 

 

 

不安に耐える力は、単なる”技術”である(抗うつ剤なしに不安を解消する方法19ー2)

 

 さて前回の記事で、私のプチ・波瀾万丈ぶりを書いてみたが、


 あなたに宿題を与えました。

 


 あなたは、私のその状況・行動・心理をみて、どのように感じただろうか。

 


 ここがあなたにとって、重要なのである。

 

 

 

 

 パッショさんって、

 


 もしかして意外に巨乳で美人なのでは・・・?

 


 とでも、思ったであろうか。

 

 

 

 

 

 

 よかろう。その調子でポジティブ・シンキングを続けてほしい。

 

 

 

 

 

 次に進む。

 

 

 

 

 

○つーか、どう見てもヤバいだろ?

 

 

 

 正直、私のその有り様を読み、なんかこいつちょっと危ない、と感じたのではないか。

 しかし、自身が渦中にいるとなかなか気づかないものなのだ。

 

 

 これは私も、今でもよく注意しなければならないことで、


 うっかりしていると、相手がどう思っているかの「魔」にはまってしまう。


 そしてマイナス思考の地獄に落ちるのである。

 

 


 すまんが、今でも多々ある。

 

 

 

 


 それにしても、私の当時の仕事に関する状況ときたら・・・・

 


 勤務時間に、宗教活動の会議報告につきあわされたり、

 意味不明の体操をさせられたり、

 材料費の失敗を自腹でさせられそうになったり、

 契約書や設計書などの重要データを改竄させられそうになったりしたのだ。

 最後のやつはもう犯罪である。

 

 

 それも、普通のサラリーマンよりもずっと低い月給のために、だ。

 

 


 なのに、そこに居られない自分を責めたのだ。

 

 

 


 この世界にはちいさな部署の長であっても、支配力を無意味にアピールしたがるやっかいな人間がいる。

 自分を磨かず、かりそめの権威に溺れようとする堕落者である。

 

 もしくは、人の弱い心理を悪用し、宗教の名を借りてカネや労働力を搾取する人間もいる。
 人に何かを提供するのではなく、人から搾取することで利益を拡大しようとする、これらもまた堕落者である。

 

 

 

 

 しかし彼らをむやみに憎んでも無意味なのだ。

 

 自分がやっていることの、本意・意味がわかっていないからだ。


 すべてがこのパターンではないが、もしこのパターンである場合、

 

 

 

 そのような者の価値基準が、なんだかね?(#・∀・)

 

 

 


 このように、

 

 うっかり社会的価値基準のみに、自己評価をゆだねていると、

 

 利用されてしまう可能性が高くなるのである。

 

 


 つまり、

 

 社会的価値基準=自分の価値

 

 を100%にしてしまうことは、

 

  他者に支配されやすくなる、

 

 

 ということなのである。
 

 

 


 自分を評価する者の機嫌を取り、

 

 評価者の望むままに行動し、

 

 自分のなかで大切に培ってきた善悪の基準を捨て、

 

 自分の尊さから目をつぶる行為。

 

 


 それは、「支配される」行為とも云えよう。

 

 


 しかし、渦中にいれば、

 相手に評価されず、

 価値のないものとして扱われ、

 社会的失墜や仕打ちをうけ、

 多数の人から、疎外されてしまうのではないか、

 という恐怖感がこみあげ、負けてしまう。

 

 


 その時の恐怖もまた、すさまじいからだ。

 

 

 


 私自身も、こうして自己流ではあるが、

 

 数年かけて訓練してきたにも関わらず、

 

 うっかり無防備に、この思考にはまり、

 

 苦しみと不安にのまれてしまうこともある。

 

 

 


 しかし、

 

 


 それでいいのだ。

 

 

 ポイントは、ここなのだ。

 

 

 

 ここが、人間の弱いところなのである。

 


 つまり、こここそが、ポイントなのである。

 


 だから、あなたは、そこに注視すればいいのである。

 

 


「では、どのようにすればよいのか?」

 


 と、自分に問いかけるのである。

 

 

 

 

 

○コツしだいで誰でもできる。

 

 

 

 私の場合は、

 

 たまたま起こったある出来事により、

 

 重度のうつ状態に陥り、

 

 死んだように15年も暮らし、

 

 そこからいやでも這い上がらなければならなかった、という状況だった。

 

 


 たまたまだが、

 

 どうしても立ち直らなければならなかったのだ。


 その時非常に苦しみもしたが、

 

 

 

 同時に多大な恩恵を受けた。

 

 

 


 あの苦しみ以上のものは無かった。

 

 だから、対人関係や社会で疑心暗鬼になったり、つらいことがあっても、

 

 あの苦しみに比べれば、

 

 こんな苦しさは、喜びですらある、と、

 

 頭のどこかで理解できるようになった。

 

 

 別にマゾではない。

 

 

 

 苦しいのだが、あれに比べれば、「ましだ」という感覚だ。

 

 

 うつ状態で家に閉じ籠ったり、
 

 社会や問題から逃げていた時期よりも、

 

 ずっと今のほうが苦痛が軽い。

 

 

 

 むしろこの今の社会にいるが故の苦痛が、


 底無しの恐怖や不安から自分を救っていてくれているのだ、

 
 ワクチンみたいなものだ、

 

 


 ということが、実体験としてわかった。

 

 

 

 

 

 そう感じると同時に、

 自分はまたどうにかしてやり方を見つけ、這い上がれるだろう、

 という感覚も得た。

 

 

 自信まんまんの「自信」とはちょっとちがう、

 

「まあどうにかなるだろう」という感覚で、

 

 煙や霞とは違い、すこし生々しい実体感がある。

 

 

 

 

 心が80%死んだような日々だった。

 まともな感情も持てず、

 動物的な反応、動物的な恐怖感にのたうちまわる日々。

 そこから残り20%をどうにか駆使して、

 ここに至った。

 

 

 

 

 私は自慢したいのではない。

 

 


 私が特別なのではない、ということを、伝えたいのだ。

 


 だからこのブログを書いている。

 

 

 

 


あなたが苦しみから救われてほしい。

 

 

 

 あなたの辛さが痛いほどわかる。

 

 

 

そして、それは、

 

 

 

あなたにも十分できることなのだ。

 

 

 

 

 

 

 ということを、理解してほしくて書いている。

 

 

 

 

 

○心の楽園

 

 

 

 人間には誰しも、心を再生する力がある。

 

 

 

 技術というか、工夫、こつを知らないだけなのだ。

 それだけだ。


 

 抗うつ剤などの薬はたくさんばらまかれるが、

 

 その真のアプローチに関する具体的な方法が、

 

 あまり啓蒙・伝授されていないがため、

 

 

 やり方がわからず、

 

 無理なのではないか、

 

 という誤解のもとに絶望しているだけ。

 

 

 

 

 薬によって与えられるつかの間の安堵は、永遠ではない。

 

 

 

 

 ほんとうの安堵とは、

 

「過去の問題、

 

 癒えない心の傷、

 

 ひどい記憶、

 

 罪悪感」

 

 


 それらを抱えながら、

 

 乗り越えていく、あなたの力を、

 

 


「信じる感情」

 

 


 なのである。

 

 

 

 


 これこそが、

 

 他者が何を言っても崩壊しない、

 

 あなただけの楽園なのだ。

 

 

 

 

 そこに他者は、介在しない。

 どんなにわかりあえる恋人であっても、親兄弟や親友であっても、

 介在しないのだ。

 

 

 そこは、他者の無い場所なのである。

 

 

 それが重要なのである。

 

 

 

 

 


 そして、楽園は、

 一朝一夕に出来上がるものではない。

 それでいい。

 

 


 いくらでも、その時に向き合い解決し、

 

 楽園を拡大していけばいい。

 

 時間をかけて無限に作っていけばいいのだ。

 

 

 

 つくればつくるほど、あなたは強く、自由になれる。

 

 

 

 


「自分は素晴らしい人なのだ」

 

「自分は自由なのだ」

 

「自分の人生は、ほんとうは素晴らしいものだったのだ」

 


 

という真実に、気づくことができる。

 

 

 


 あなたは、今、そんな旅をしているのである。

 

 

 

 


 次回19ー3では、
「ではどうすればいいのか」ということについて、
 具体的に書いていきます。

 

 

 

 

 

 

不安に耐える力は、単なる”技術”である(抗うつ剤なしに不安を解消する方法19ー2)

 

 さて前回の記事で、私のプチ・波瀾万丈ぶりを書いてみたが、


 あなたに宿題を与えました。

 


 あなたは、私のその状況・行動・心理をみて、どのように感じただろうか。

 


 ここがあなたにとって、重要なのである。

 

 

 

 

 パッショさんって、

 


 もしかして意外に巨乳で美人なのでは・・・?

 


 とでも、思ったであろうか。

 

 

 

 

 

 

 よかろう。その調子でポジティブ・シンキングを続けてほしい。

 

 

 

 

 

 次に進む。

 

 

 

 

 

○つーか、どう見てもヤバいだろ?

 

 

 

 正直、私のその有り様を読み、なんかこいつちょっと危ない、と感じたのではないか。

 しかし、自身が渦中にいるとなかなか気づかないものなのだ。

 

 

 これは私も、今でもよく注意しなければならないことで、
 うっかりしていると、相手がどう思っているかの「魔」にはまってしまう。


 そしてマイナス思考の地獄に落ちるのである。

 

 


 すまんが、今でも多々ある。

 

 

 

 


 それにしても、私の当時の仕事に関する状況ときたら・・・・


 勤務時間に、宗教活動の会議報告につきあわされたり、

 意味不明の体操をさせられたり、

 材料費の失敗を自腹でさせられそうになったり、

 契約書や設計書などの重要データを改竄させられそうになったりしたのだ。

 最後のやつはもう犯罪である。

 

 

 それも、普通のサラリーマンよりもずっと低い月給のために、だ。

 

 


 なのに、そこに居られない自分を責めたのだ。

 

 

 


 この世界にはちいさな部署の長であっても、支配力を無意味にアピールしたがるやっかいな人間がいる。自分を磨かず、かりそめの権威に溺れようとする堕落者である。

 もしくは、人の弱い心理を悪用し、宗教の名を借りてカネや労働力を搾取する人間もいる。
 人に何かを提供するのではなく、人から搾取することで利益を拡大しようとする、これらもまた堕落者である。

 

 

 

 しかし彼らをむやみに憎んでも無意味なのだ。

 

 自分がやっていることの、本意・意味がわかっていないからだ。


 すべてがこのパターンではないが、もしこのパターンである場合、

 

 

 そのような者の価値基準がなんだというのか?

 

 


 このように、

 

 うっかり社会的価値基準のみに、自己評価をゆだねていると、

 

 利用されてしまう可能性が高くなるのである。

 

 


 つまり、社会的価値基準=自分の価値 →を100%にしてしまうことは、

 

 

 他者に支配されやすくなる、

 

 ということなのである。
 

 


 自分を評価する他者の機嫌を取り、

 評価者の望むままに行動し、

 自分のなかで大切に培ってきた善悪の基準を捨て、

 自分の尊さから目をつぶる行為。

 

 


 それは、「支配される」行為とも云える。

 

 


 しかし、渦中にいれば、

 相手に評価されず、

 価値のないものとして扱われ、

 社会的失墜や仕打ちをうけ、

 多数の人から、疎外されてしまうのではないか、

 という恐怖感がこみあげ、負けてしまう。

 

 


 その時の恐怖もまた、すさまじいからだ。

 

 

 


 私自身も、こうして自己流ではあるが、

 数年かけて訓練してきたにも関わらず、

 うっかり無防備に、この思考にはまり、

 苦しみと不安にのまれてしまうこともある。

 

 


 しかし、

 

 


 それでいいのだ。

 

 ポイントは、ここなのだ。

 

 

 

 ここが、人間の弱いところなのである。


 つまり、こここそが、ポイントなのである。


 だから、あなたは、そこに注視すればいいのである。

 


「では、どのようにすればよいのか?」

 


 と自分に問いかけるのである。

 

 

 

 

○コツしだいで誰でもできる。

 

 

 

 私の場合は、

 

 たまたま起こったある出来事により、

 

 重度のうつ状態に陥り、

 

 死んだように15年も暮らし、

 

 そこからいやでも這い上がらなければならなかった、という状況だった。

 

 


 たまたまだが、

 

 どうしても立ち直らなければならなかったのだ。


 その時非常に苦しみもしたが、

 

 

 同時に多大な恩恵を受けた。

 

 

 


 あの苦しみ以上のものは無かった。

 

 だから、対人関係で目の当たりにパンチをくらうことや、

 社会でもまれて、疑心暗鬼になったり、つらいことがあっても、

 あの苦しみに比べれば、

 こんな苦しさは、喜びですらある、という感覚を得たのだ。

 

 別にマゾではない。

 

 

 苦しいのだが、あれに比べれば、「ましだ」という感覚だ。

 

 うつ状態で家に閉じ籠ったり、
 

 社会や問題から逃げていた時期よりも、

 

 ずっと今のほうが苦痛が軽い。

 

 

 

 むしろこの今の社会にいるが故の苦痛が、


 底無しの恐怖や不安から自分を救っていてくれているのだ、

 
 ワクチンみたいなものだ、

 


 ということが、実体験としてわかったのだ。

 

 

 

 

 

 そう感じると同時に、

 自分はまたどうにかしてやり方を見つけ、這い上がれるだろう、

 という感覚も得た。

 

 

 自信まんまんの「自信」とはちょっとちがう、

 

「まあどうにかなるだろう」という感覚で、

 

 煙や霞とは違い、すこし生々しい実体感をもつ、

 

「まあどうにかやっていけるだろう」

 

 という感覚だ。

 

 

 心が80%死んだような日々だった。

 まともな感情も持てず、

 動物的な反応、動物的な恐怖感にのたうちまわる日々。

 そこから残り20%をどうにか駆使して、

 ここに至った。

 

 

 

 私は自慢したいのではない。

 


 私が特別なのではない、ということを、伝えたいのだ。


 だからこのブログを書いている。

 

 

 


あなたが苦しみから救われてほしい。

 

 


あなたの心を晴れやかに明るくしたい。

 


そして、それは、

 

 

あなたにも十分できることなのだ。

 

 

 

 

 つまり、

 

 

 あなたは、絶対に大丈夫だ!

 

 

 ということを、理解してほしくて書いている。

 

 

 

 

○心の楽園

 

 

 人間には誰しも、心を再生する力があるのだ。

 

 

 技術というか、工夫、こつを知らないだけなのだ。

 それだけなのだ。


 

 抗うつ剤などの薬はたくさんばらまかれるが、

 

 その真のアプローチに関する具体的な方法が、あまり啓蒙・伝授されていないがため、

 

 やり方がわからず、

 

 無理なのではないか、

 

 という誤解のもとに絶望しているだけ。

 

 

 

 薬によって与えられるつかの間の安堵は、永遠ではない。

 

 

 ほんとうの安堵とは、

 

「過去の問題、

 

 癒えない心の傷、

 

 ひどい記憶、

 

 罪悪感」

 

 


 それらを抱えながら、

 

 乗り越えていく、あなたの力を、

 

 


「信じる感情」

 

 


 なのだ。

 

 

 


 これこそが、

 

 他者が何を言っても崩壊しない、

 

 あなただけの楽園なのだ。

 

 

 

 

 そこに他者は、介在しない。

 どんなにわかりあえる恋人であっても、親兄弟や親友であっても、

 介在しないのだ。

 

 

 そこは、他者の無い場所なのである。

 

 


 それが重要なのである。

 

 

 

 

 


 そして、楽園は、

 一朝一夕に出来上がるものではない。

 それでいい。

 

 


 いくらでも、その時に向き合い解決し、

 

 楽園を拡大していけばいい。

 

 時間をかけて無限に作っていけばいいのだ。

 

 

 

 つくればつくるほど、あなたは強く、自由になれる。

 

 

 


「自分は素晴らしい人なのだ」

 

「自分は自由なのだ」

 

「自分の人生は、ほんとうは素晴らしいものだったのだ」

 


 という真実に気づくことができる。

 

 

 


 あなたは、今、そんな旅をしているのである。

 

 

 


 次回19ー3では、
「ではどうすればいいのか」ということについて、
 具体的に書いていきます。

 

 

 

 

 

 

不安に耐える力は、単なる”技術”である(抗うつ剤なしに不安を解消する方法19ー2)

 

 さて前回の記事で、私のプチ・波瀾万丈ぶりを書いてみたが、


 あなたに宿題を与えました。


 あなたは、私のその状況・行動・心理をみて、どのように感じただろうか。


 ここがあなたにとって、重要なのである。

 

 

 

 パッショさんって、


 もしかして意外に巨乳で美人なのでは・・・?


 と思ったであろうか。

 

 

 

 よかろう。その調子でポジティブ・シンキングを続けてほしい。

 

 

 

 

 

 次に進む。

 

 

 

 

 

○つーか、どう見てもヤバいだろ?

 

 

 

 正直、私のその有り様を読み、なんかこいつちょっと危ない、と感じたのではないか。

 しかし、自身が渦中にいるとなかなか気づかないものなのだ。

 

 

 これは私も、今でもよく注意しなければならないことで、
 うっかりしていると、相手がどう思っているかの「魔」にはまってしまう。


 そしてマイナス思考の地獄に落ちるのである。

 

 


 すまんが、今でも多々ある。

 

 

 

 


 それにしても、私の当時の仕事に関する状況ときたら・・・・


 勤務時間に、宗教活動の会議報告につきあわされたり、

 意味不明の体操をさせられたり、

 材料費の失敗を自腹でさせられそうになったり、

 契約書や設計書などの重要データを改竄させられそうになったりしたのだ。

 最後のやつはもう犯罪である。

 

 

 それも、普通のサラリーマンよりもずっと低い月給のために、だ。

 

 


 なのに、そこに居られない自分を責めたのだ。

 

 

 


 この世界にはちいさな部署の長であっても、支配力を無意味にアピールしたがるやっかいな人間がいる。自分を磨かず、かりそめの権威に溺れようとする堕落者である。

 もしくは、人の弱い心理を悪用し、宗教の名を借りてカネや労働力を搾取する人間もいる。
 人に何かを提供するのではなく、人から搾取することで利益を拡大しようとする、これらもまた堕落者である。

 

 

 

 しかし彼らをむやみに憎んでも無意味なのだ。

 

 自分がやっていることの、本意・意味がわかっていないからだ。


 すべてがこのパターンではないが、もしこのパターンである場合、

 

 

 そのような者の価値基準がなんだというのか?

 

 


 このように、

 

 うっかり社会的価値基準のみに、自己評価をゆだねていると、

 

 利用されてしまう可能性が高くなるのである。

 

 


 つまり、社会的価値基準=自分の価値 →を100%にしてしまうことは、

 

 

 他者に支配されやすくなる、

 

 ということなのである。
 

 


 自分を評価する他者の機嫌を取り、

 評価者の望むままに行動し、

 自分のなかで大切に培ってきた善悪の基準を捨て、

 自分の尊さから目をつぶる行為。

 

 


 それは、「支配される」行為とも云える。

 

 


 しかし、渦中にいれば、

 相手に評価されず、

 価値のないものとして扱われ、

 社会的失墜や仕打ちをうけ、

 多数の人から、疎外されてしまうのではないか、

 という恐怖感がこみあげ、負けてしまう。

 

 


 その時の恐怖もまた、すさまじいからだ。

 

 

 


 私自身も、こうして自己流ではあるが、

 数年かけて訓練してきたにも関わらず、

 うっかり無防備に、この思考にはまり、

 苦しみと不安にのまれてしまうこともある。

 

 


 しかし、

 

 


 それでいいのだ。

 

 ポイントは、ここなのだ。

 

 

 

 ここが、人間の弱いところなのである。


 つまり、こここそが、ポイントなのである。


 だから、あなたは、そこに注視すればいいのである。

 


「では、どのようにすればよいのか?」

 


 と自分に問いかけるのである。

 

 

 

 

○コツしだいで誰でもできる。

 

 

 

 私の場合は、

 

 たまたま起こったある出来事により、

 

 重度のうつ状態に陥り、

 

 死んだように15年も暮らし、

 

 そこからいやでも這い上がらなければならなかった、という状況だった。

 

 


 たまたまだが、

 

 どうしても立ち直らなければならなかったのだ。


 その時非常に苦しみもしたが、

 

 

 同時に多大な恩恵を受けた。

 

 

 


 あの苦しみ以上のものは無かった。

 

 だから、対人関係で目の当たりにパンチをくらうことや、

 社会でもまれて、疑心暗鬼になったり、つらいことがあっても、

 あの苦しみに比べれば、

 こんな苦しさは、喜びですらある、という感覚を得たのだ。

 

 別にマゾではない。

 

 

 苦しいのだが、あれに比べれば、「ましだ」という感覚だ。

 

 うつ状態で家に閉じ籠ったり、
 

 社会や問題から逃げていた時期よりも、

 

 ずっと今のほうが苦痛が軽い。

 

 

 

 むしろこの今の社会にいるが故の苦痛が、


 底無しの恐怖や不安から自分を救っていてくれているのだ、

 
 ワクチンみたいなものだ、

 


 ということが、実体験としてわかったのだ。

 

 

 

 

 

 そう感じると同時に、

 自分はまたどうにかしてやり方を見つけ、這い上がれるだろう、

 という感覚も得た。

 

 

 自信まんまんの「自信」とはちょっとちがう、

 

「まあどうにかなるだろう」という感覚で、

 

 煙や霞とは違い、すこし生々しい実体感をもつ、

 

「まあどうにかやっていけるだろう」

 

 という感覚だ。

 

 

 心が80%死んだような日々だった。

 まともな感情も持てず、

 動物的な反応、動物的な恐怖感にのたうちまわる日々。

 そこから残り20%をどうにか駆使して、

 ここに至った。

 

 

 

 私は自慢したいのではない。

 


 私が特別なのではない、ということを、伝えたいのだ。


 だからこのブログを書いている。

 

 

 


あなたが苦しみから救われてほしい。

 

 


あなたの心を晴れやかに明るくしたい。

 


そして、それは、

 

 

あなたにも十分できることなのだ。

 

 

 

 

 つまり、

 

 

 あなたは、絶対に大丈夫だ!

 

 

 ということを、理解してほしくて書いている。

 

 

 

 

○心の楽園

 

 

 人間には誰しも、心を再生する力があるのだ。

 

 

 技術というか、工夫、こつを知らないだけなのだ。

 それだけなのだ。


 

 抗うつ剤などの薬はたくさんばらまかれるが、

 

 その真のアプローチに関する具体的な方法が、あまり啓蒙・伝授されていないがため、

 

 やり方がわからず、

 

 無理なのではないか、

 

 という誤解のもとに絶望しているだけ。

 

 

 

 薬によって与えられるつかの間の安堵は、永遠ではない。

 

 

 ほんとうの安堵とは、

 

「過去の問題、

 

 癒えない心の傷、

 

 ひどい記憶、

 

 罪悪感」

 

 


 それらを抱えながら、

 

 乗り越えていく、あなたの力を、

 

 


「信じる感情」

 

 


 なのだ。

 

 

 


 これこそが、

 

 他者が何を言っても崩壊しない、

 

 あなただけの楽園なのだ。

 

 

 

 

 そこに他者は、介在しない。

 どんなにわかりあえる恋人であっても、親兄弟や親友であっても、

 介在しないのだ。

 

 

 そこは、他者の無い場所なのである。

 

 


 それが重要なのである。

 

 

 

 

 


 そして、楽園は、

 一朝一夕に出来上がるものではない。

 それでいい。

 

 


 いくらでも、その時に向き合い解決し、

 

 楽園を拡大していけばいい。

 

 時間をかけて無限に作っていけばいいのだ。

 

 

 

 つくればつくるほど、あなたは強く、自由になれる。

 

 

 


「自分は素晴らしい人なのだ」

 

「自分は自由なのだ」

 

「自分の人生は、ほんとうは素晴らしいものだったのだ」

 


 という真実に気づくことができる。

 

 

 


 あなたは、今、そんな旅をしているのである。

 

 

 


 次回19ー3では、
「ではどうすればいいのか」ということについて、
 具体的に書いていきます。