passyoo(パッショ)の日記

不安、うつ、抗うつ剤を克服した経験をつづったサイトです

私が抗うつ剤を止めていった過程 その8 鬱と妊娠について

 

抗うつ剤をやめて一番強く感じたことは、

「一日が以前より長く感じられる」

ということだった。

 

抗うつ剤や安定剤を飲んでいる時は、

びっくりするくらい一日が早く終わってしまっていた。

「矢」よりも早かった。

 

自分が十年以上もその状態でフリーズしていたことが、

とても現実のものとは思えず、

人生でもっともしあわせだとか、仕事や家庭のために大切にしなければならない要の時間を、

湯水のように棄ててしまったことに気づき、

尋常ではないくらい動揺した。

後悔もした。

 

自分の辿った道が、奇異なものに感じられた。

 

ものすごい恐怖だった。

 

 

正直、この恐怖は今でも強い。

二年や三年ではない。

十年とか十五年間、ロスしたのである。

時間もチャンスも無駄にしてしまったことへの後悔は大きかった。

 

「大切な人生を無駄にしてしまったのではないか。

もっと真面目に、普通の暮らしを日々することができていれば」

 

 

 

しかしこうなった原因としては、

立ち上がれないほどの

不可抗力の苦しみがあった。

 

どんな慰めも励ましも通用しない、

ごまかすことも許されない、

到底私や人間の知恵では、太刀打ちできない、

そんな出来事だった。

 

人によってはそれでも明るく人生を生きたり、

切り替えていけると思う。

 

しかし、私にはできなかった。

 

 

 

 

この苦しさは、常に比較という行為が生み出している。

あるべき理想の自分、

ふつうに生きてる人々、

そういったものと今の自分を比べ、

その差を感じて苦しむ。

 

他者の評価や自分の狭い視野での評価に、

人間はどうしても惑わされる。

 

 

しかし、この道を辿ったからこそ得たものもある。

それは自分にとって真に大切で、

ほんとうの愛に満ちたものだ。

かけがえのないものだ。

もっとも大切なものだ。

この道をたどらなければ、得られなかったものなのだ。

 

すべて自分の思うとおりうまくいっていたら、

こんなに大切なものを得ることは出来なかった。

 

 

さて、比較して苦しくなるときにはどうすればいいのか。

 

以前、書いた3秒ルール。

3秒だけは自分に最高の未来がくると信じ、自分を全肯定する。

3秒だけなら、意外になりきることができるのだ。

 

その延長で、一日だけやってみるのはどうだろう。

人と比べる思考を簡単にやめることはできないから、

人と比べ出すと、「今、私は比較しようとしている」と意識してみるのだ。

それだけで、ずいぶん苦しさに歯止めがかかる。

 

そして、一旦脇におく。

 

たとえば今日朝おきたときから、

なんとなく嫌な感じで、

うつうつとしていて、

過去の失敗を悔やんだり、後悔していた、

そんな状態だったが、

「朝日差しを浴びると少し気が紛れた」

など、どうにか行動をしたり、

「いや、現状がこうであるおかげで、こういうメリットもある」

など思考をほんの少しでもコントロールすることによって、

ほんの少し、気分が楽になったり、うつうつとした感情が減ったりするのを、

自覚してみるのである。

 

そして自覚したときに、

「どれくらい減ったか」

を数値化してみる。

たとえば最初が90だとすると、今は45くらいだろうか、

などと大雑把でいいので数値化してみる。

 

この数値化が、脳に効くのだ。

あなどることなかれ、脳はホントに数字に弱いのだ。

数字にすることによって、急激に理性が活性化し、

納得したり気分が落ち着いたりする。

 

改善したと少しでも思ったら、

数値化してほしい。

これがじわじわと脳を鍛え、

不安に対処できるシナプスや能力を増やすことができる。

 

 

そしてそうやった自分の成果だけを、

その日は反芻するのだ。

こういうふうにして、これくらい減った、

それだけでいい。

その日だけは、ほかの何者とも比べないようにする。

 

比べてしまいそうになったら、

「今また比べようとしているな」

と客観視するだけでいい。

しだいしだいに気持ちが落ち着いていく。

 

 

気持ちが落ち着いたら、

その時間を愛し、大切にしてほしい。

 

 

あなたは自身が無力だと思っているかもしれない。

自分をせめるような出来事のせいで、

いつも苦しんでいるかもしれない。

 

 

けれど、本当は、そんなあなたこそが美しく、正しく、

そして真の強さを秘めた存在であるのだ。

 

 

 なぜなら、私はそういう人たちと深く接し、

そして最終的に助けられたからである。

 

 真の強さは、腕力でも武力でもない。

医師や弁護士等々にはできないことがある。

薬だけでは絶対に照らせない心の闇がある。

人間の本当の立ち直り、生きる力を引き出す存在は、

同じように傷を受けた人だけなのである。

 

 

最終的に絶望から人間を救いだすのは、薬や社会的地位などの物質や名称ではない。

人間の真実の力なのである。

そこは、惑わされてはいけない。

 

 

つまり、あなたは、非常にかけがえのない存在なのだ。

あなたにしか見えなかった世界があり、

あなたにしか助けられない人がいるのだ。

 

 

 

あなたは傷ついた自分や、

傷ついた誰かの心に明かりをともす、

永遠のヒーローなのだ。

 

 

小さなことであっても、十二分にあなたは人の闇を照らすことができる。

明かりに変えることができるのだ。

 

忘れてはならない。

 

 

 

 

抗うつ剤を止めていった過程に戻るが、

夏ごろ原因不明の痛みが消えた。

それは私にとって奇跡に近かった。

 

この痛みや最初の妊娠中の精神的な苦しさが、

二番目の子供を作ることを思い止まらせていたからだ。

 

薬をやめて正気になったとき、

自力で何かしなければ、誰も何も守ってくれないのだ、ととことん自覚した。

しかし自ら力を捨てたうえに、体も精神も弱りきった非力な自分に、

いったい何ができるだろう? 

 

それでも日々、我が子のことを考えた。

もし親が死んだらこの子は一人になってしまうのである。

 

そこで大後悔。

もし抗うつ剤などをのまずに生活していれば、もっと早く兄弟をつくってやれただろうに、と。

年齢的にもぎりぎりである。

もしかしたら厳しいかもしれない。

 

もう無理なのかもしれない、と考えると、

腹のそこから悲しみと恐怖と絶望がわいてきた。

罪悪感で毎日毎日苦しくて、じっとしていることができなかった。

旦那が休みの時は、子供をみてもらって、

朝、車で飛び出すようにして山まで走って、

また戻るのだが家に入ることができない。

 

 

平日の昼間は苦しくて子供をのせて、いろんなところを車で走り回る。

しかし苦しさからのがれることはできない。

子供の無垢で輝く瞳が、

いっそう罪悪感を駆り立てる。

 

 

 

決心して病院に行って聞いてみた。

第二子を生みたい、というと、

医師は私の年齢を聞いて顔を曇らせる。

数字みたいなものを出してくる始末である。

 

田舎の病院だから保守的であることはわかっていた。

しかし心をえぐるようなことも言われた。

 

それで、そうですか、と諦めることはできなかった。

私自身がひとりでのたれ死ぬのはしかたない。

しかし、うっかり薬にはまっていたせいで、

最愛の我が子に孤独な生涯を送らせてしまうかもしれないのだ。

 

 

 

だが現実は厳しい、といろんな病院で言われた。

 

それでも諦めることができなくて、

大病院に電話をかける。

そこであることに気づく。

 

不思議なことに、田舎の個人病院や、

不妊治療を行っている医者はみな否定的なことを言うのだが、

大病院の看護士や、何人も子供を取り出している助産師などに聞くと、

高齢で47才での出産があった、と口を揃えて言うのである。

どこもそうなのである。

 

そして出産のリスクについて聞いてみると、

みなまた結構明るい口調で、「年齢だけで諦めるのはもったいない」

と言う。

看護士や助産師の印象では、

リスクの事例と年齢はあまり関係ないような印象だ、と言ってくれるのである。

 

 

 

どちらも現実であり、

どちらの事実に重きを置くのも自由だ。

どっちの未来を信じ決断するのか。

それは自由なのだ。

 

 

しかし、この時点では、希望をまだ持つことはできなかった。

生みたい、授かってほしい、という気持ちはあったが、

現実はそう簡単には変わらなかった。

 

そこで私は大病院の産婦人科に行って、

医師に聞いてみることにした。

正直、病院恐怖症なので、ものすごい怖かった。

大病院に行って何を言われるか……

こんどこそ奈落の底に落とされるかもしれない。

 

しかし、行って聞いてみないことには、落ち着かなかった。

 

どうにかこうにか病院へ行って、顔面蒼白で、

女性の医師に訊いた。

 

 

薬をのんでいたことも、

最初の妊娠の時、どれほど大変だったのかも、

すべて話した。

原因不明の痛みのようなものについても。

 

もし必要なら、不妊治療についても考えてみたい、

そうも言った。

 

すると、

女性の医師は言った。

 

 

 

 

つづく