passyoo(パッショ)の日記

不安、うつ、抗うつ剤を克服した経験をつづったサイトです

不安に耐える力は、単なる”技術”である(抗うつ剤なしに不安を解消する方法19ー2)

 

 さて前回の記事で、私のプチ・波瀾万丈ぶりを書いてみたが、


 あなたに宿題を与えました。


 あなたは、私のその状況・行動・心理をみて、どのように感じただろうか。


 ここがあなたにとって、重要なのである。

 

 

 

 パッショさんって、


 もしかして意外に巨乳で美人なのでは・・・?


 と思ったであろうか。

 

 

 

 よかろう。その調子でポジティブ・シンキングを続けてほしい。

 

 

 

 

 

 次に進む。

 

 

 

 

 

○つーか、どう見てもヤバいだろ?

 

 

 

 正直、私のその有り様を読み、なんかこいつちょっと危ない、と感じたのではないか。

 しかし、自身が渦中にいるとなかなか気づかないものなのだ。

 

 

 これは私も、今でもよく注意しなければならないことで、
 うっかりしていると、相手がどう思っているかの「魔」にはまってしまう。


 そしてマイナス思考の地獄に落ちるのである。

 

 


 すまんが、今でも多々ある。

 

 

 

 


 それにしても、私の当時の仕事に関する状況ときたら・・・・


 勤務時間に、宗教活動の会議報告につきあわされたり、

 意味不明の体操をさせられたり、

 材料費の失敗を自腹でさせられそうになったり、

 契約書や設計書などの重要データを改竄させられそうになったりしたのだ。

 最後のやつはもう犯罪である。

 

 

 それも、普通のサラリーマンよりもずっと低い月給のために、だ。

 

 


 なのに、そこに居られない自分を責めたのだ。

 

 

 


 この世界にはちいさな部署の長であっても、支配力を無意味にアピールしたがるやっかいな人間がいる。自分を磨かず、かりそめの権威に溺れようとする堕落者である。

 もしくは、人の弱い心理を悪用し、宗教の名を借りてカネや労働力を搾取する人間もいる。
 人に何かを提供するのではなく、人から搾取することで利益を拡大しようとする、これらもまた堕落者である。

 

 

 

 しかし彼らをむやみに憎んでも無意味なのだ。

 

 自分がやっていることの、本意・意味がわかっていないからだ。


 すべてがこのパターンではないが、もしこのパターンである場合、

 

 

 そのような者の価値基準がなんだというのか?

 

 


 このように、

 

 うっかり社会的価値基準のみに、自己評価をゆだねていると、

 

 利用されてしまう可能性が高くなるのである。

 

 


 つまり、社会的価値基準=自分の価値 →を100%にしてしまうことは、

 

 

 他者に支配されやすくなる、

 

 ということなのである。
 

 


 自分を評価する他者の機嫌を取り、

 評価者の望むままに行動し、

 自分のなかで大切に培ってきた善悪の基準を捨て、

 自分の尊さから目をつぶる行為。

 

 


 それは、「支配される」行為とも云える。

 

 


 しかし、渦中にいれば、

 相手に評価されず、

 価値のないものとして扱われ、

 社会的失墜や仕打ちをうけ、

 多数の人から、疎外されてしまうのではないか、

 という恐怖感がこみあげ、負けてしまう。

 

 


 その時の恐怖もまた、すさまじいからだ。

 

 

 


 私自身も、こうして自己流ではあるが、

 数年かけて訓練してきたにも関わらず、

 うっかり無防備に、この思考にはまり、

 苦しみと不安にのまれてしまうこともある。

 

 


 しかし、

 

 


 それでいいのだ。

 

 ポイントは、ここなのだ。

 

 

 

 ここが、人間の弱いところなのである。


 つまり、こここそが、ポイントなのである。


 だから、あなたは、そこに注視すればいいのである。

 


「では、どのようにすればよいのか?」

 


 と自分に問いかけるのである。

 

 

 

 

○コツしだいで誰でもできる。

 

 

 

 私の場合は、

 

 たまたま起こったある出来事により、

 

 重度のうつ状態に陥り、

 

 死んだように15年も暮らし、

 

 そこからいやでも這い上がらなければならなかった、という状況だった。

 

 


 たまたまだが、

 

 どうしても立ち直らなければならなかったのだ。


 その時非常に苦しみもしたが、

 

 

 同時に多大な恩恵を受けた。

 

 

 


 あの苦しみ以上のものは無かった。

 

 だから、対人関係で目の当たりにパンチをくらうことや、

 社会でもまれて、疑心暗鬼になったり、つらいことがあっても、

 あの苦しみに比べれば、

 こんな苦しさは、喜びですらある、という感覚を得たのだ。

 

 別にマゾではない。

 

 

 苦しいのだが、あれに比べれば、「ましだ」という感覚だ。

 

 うつ状態で家に閉じ籠ったり、
 

 社会や問題から逃げていた時期よりも、

 

 ずっと今のほうが苦痛が軽い。

 

 

 

 むしろこの今の社会にいるが故の苦痛が、


 底無しの恐怖や不安から自分を救っていてくれているのだ、

 
 ワクチンみたいなものだ、

 


 ということが、実体験としてわかったのだ。

 

 

 

 

 

 そう感じると同時に、

 自分はまたどうにかしてやり方を見つけ、這い上がれるだろう、

 という感覚も得た。

 

 

 自信まんまんの「自信」とはちょっとちがう、

 

「まあどうにかなるだろう」という感覚で、

 

 煙や霞とは違い、すこし生々しい実体感をもつ、

 

「まあどうにかやっていけるだろう」

 

 という感覚だ。

 

 

 心が80%死んだような日々だった。

 まともな感情も持てず、

 動物的な反応、動物的な恐怖感にのたうちまわる日々。

 そこから残り20%をどうにか駆使して、

 ここに至った。

 

 

 

 私は自慢したいのではない。

 


 私が特別なのではない、ということを、伝えたいのだ。


 だからこのブログを書いている。

 

 

 


あなたが苦しみから救われてほしい。

 

 


あなたの心を晴れやかに明るくしたい。

 


そして、それは、

 

 

あなたにも十分できることなのだ。

 

 

 

 

 つまり、

 

 

 あなたは、絶対に大丈夫だ!

 

 

 ということを、理解してほしくて書いている。

 

 

 

 

○心の楽園

 

 

 人間には誰しも、心を再生する力があるのだ。

 

 

 技術というか、工夫、こつを知らないだけなのだ。

 それだけなのだ。


 

 抗うつ剤などの薬はたくさんばらまかれるが、

 

 その真のアプローチに関する具体的な方法が、あまり啓蒙・伝授されていないがため、

 

 やり方がわからず、

 

 無理なのではないか、

 

 という誤解のもとに絶望しているだけ。

 

 

 

 薬によって与えられるつかの間の安堵は、永遠ではない。

 

 

 ほんとうの安堵とは、

 

「過去の問題、

 

 癒えない心の傷、

 

 ひどい記憶、

 

 罪悪感」

 

 


 それらを抱えながら、

 

 乗り越えていく、あなたの力を、

 

 


「信じる感情」

 

 


 なのだ。

 

 

 


 これこそが、

 

 他者が何を言っても崩壊しない、

 

 あなただけの楽園なのだ。

 

 

 

 

 そこに他者は、介在しない。

 どんなにわかりあえる恋人であっても、親兄弟や親友であっても、

 介在しないのだ。

 

 

 そこは、他者の無い場所なのである。

 

 


 それが重要なのである。

 

 

 

 

 


 そして、楽園は、

 一朝一夕に出来上がるものではない。

 それでいい。

 

 


 いくらでも、その時に向き合い解決し、

 

 楽園を拡大していけばいい。

 

 時間をかけて無限に作っていけばいいのだ。

 

 

 

 つくればつくるほど、あなたは強く、自由になれる。

 

 

 


「自分は素晴らしい人なのだ」

 

「自分は自由なのだ」

 

「自分の人生は、ほんとうは素晴らしいものだったのだ」

 


 という真実に気づくことができる。

 

 

 


 あなたは、今、そんな旅をしているのである。

 

 

 


 次回19ー3では、
「ではどうすればいいのか」ということについて、
 具体的に書いていきます。