passyoo(パッショ)の日記

不安、うつ、抗うつ剤を克服した経験をつづったサイトです

不安に耐える力は、単なる”技術”である(抗うつ剤なしに不安を解消する方法19ー1)

 

 誰もが自分のことを、価値のある人間だと思いたい。

 

 そしてそのために力を使い、時には苦しくもがく。


 この”承認欲求”は、人間の根元的欲求ともいえる。

 

 

 

○自分の価値基準を外側にのみゆだねるのは危険

 

 

 

承認欲求を無防備に満たそうとするとリスクが伴う。


私自身の感じたところによると、承認欲求を満たす行為のうち、

どれがリスクが高くて、どれがより正当な方法か、あまり啓蒙されていないように思う。

人間全体として、まだうまくまとめきっていない、という感じがする。

 


社会に認められたい、社会的価値のある人間になりたい、

と私もしょっちゅう思う。

劣等感とコンプレックスの固まりだからだ。

 

 


抗うつ剤をやめた頃に襲ってきたとてつもない不安は、

おそらくこの年でこれだけ薬漬けの生活を送り、世の中と隔絶して生きていたら、

もう社会的に価値がないのではないか、

仕事に就けないのではないか、

という恐怖が強かったからでもある。

 

 

私は無価値のまま人生を終えるのか?

そう考えると、

根っこが揺らぐような恐怖を感じた。

深い絶望だった。

 

 

 

 

○アルバイトの身分の者は、土煙だらけの場所に駐車せよ

 

抗うつ剤をやめてから仕事を探しだした時は、

精神的にもまだ不安定でなかば錯乱している状態だった。

 

やれる自信もない上に、ブランクもかなり長かったため、

アルバイトから始めることにした。

 

アルバイトの仕事をなんとか近場で見つけた。

師匠はその時給の安さに、「自分を安売りするな」と、おカンムリだったが、

自分の劣等意識と罪悪感が強かったため、

仕事があるだけでも御の字だと思っていた。

 

 

しかし、である。

職場は小企業だったが、

私以外の職員たちは皆正社員だ、ということにある日気づいた。

 

 

そんなこと、自分ではまったく気にしていなかったのだが、

この会社が昔気質の会社で、アルバイトと正社員の身分をきっちり分けるのだった。

 

 


たとえば会社の駐車場は、

正社員はアスファルトで舗装された囲いのある場所に停めてもよく、

アルバイトはそこに停めてはならない。

 

アルバイトの身分の人間が停める駐車場のために、

わざわざ土やら砂利敷きの場所を借り上げ、停めさせる。

 

 


正社員で中途採用されたある男性は、

見習いの間は、その砂ぼこりが舞う野良駐車場に駐車させられ、

めでたく試用期間の半年を過ぎると、

アスファルトの駐車場に停めていい、という許可を得た。

 

 

むろん、私は正社員にはなれなかったので、

ずっと生土混じりの埃っぽい砂利のところに停めさせられた。

 

 

 

こういった上下関係、またの名は「身分制度」を、

業務外のところでも徹底して見せつける会社だったため、

私は劣等感に苦しんだ。

 

 

 

自分も抗うつ剤をのむような事態になるまは、普通に暮らしていた。

 

しかし人の力ではどうしようもない、コントロール不能な状態に陥り、

 

不運にも抗うつ剤に頼り、寝たように暮らすしかなかった。

 

仕事にも行けなくなって、会社もドロップアウトした過去がある。

 

 


おそらく、他の人たちは、こんな特殊な目にはあっていない。

 

 

けれど、例えどんな事情があっても、

社会的には「大した仕事ができない状態だから価値がない」と見なされる。

そして屈辱的な扱いを受ける。

 

 

 

これが世の中なのか・・・?

 

とても怖い。

 

 

そう思った。

 

 

そして、どうしたらもっと上位に行けるだろう? と考えるようになった。

 

すさまじい危機感を抱いたからだ。

 


そして結論を出した。

 

「とにかく尽くすように一生懸命頑張ってみよう」と。

 

いろいろ勉強もしたし、チャレンジもしてみた。

 

 


その結果、ある女子事務社員の未処理の仕事を代わりにさせてもらうようになった。

 

彼女が仕事を手薄にしていたため、未処理の仕事がどんどんたまり、皆困っていたからだ。

 

 

 

まだ技術というほど技術を身に付けてはいなかったが、とりあえず、所属だけは技術職だった。

 

が、なぜか未経験の事務・経理の仕事をさせられることになった。

その状況に、ちっとも疑問を感じず、

 めでたく頑張りを認められ正社員の仕事を任されることになった、と非常に喜んだ。

 

 

その業務を、もくもくとやっているうちに部の上司も認めてくれて、

さらに上位の人に、待遇をよくするように話してくれた。

 

 


しかし、、、

 

 

 


会社側としての回答は、”否(ノン)”。

 

 


白髭をカールさせた高飛車なフランス貴族男が、「ノン」と言ったに違いない、

 

おもわず、そうとすら思った。

 

玉座に座り白タイツを履いて足を組んでいる”バカ殿か何か”が、きっとそういう判断を下したのだ、と。

 

あるいは猿に聞いたのか。

 

 


それくらいのテキトーさを感じた。

 

 

 

 

私が自分の自己評価の低いことを、見抜かれていたのだと思う。

年齢もあったのだろう。

 

そのため足元を見られ、

正社員に相当する業務内容を、ちゃっかりアルバイトの賃金でさせられることになってしまったのだ。

 

 

今現在の会社やほかの会社では、給与等の条件も、資格などにみあって処遇してくれている。

 

したがって、今ならこの対応がいかにテキトーだったがわかるが、

 

当時はまったくもって、自分が不運で無価値だから仕方ない、としか思えなかった。

 

 

 

そうするうち、

「正社員はとても価値がある」と思うようになり、
「アルバイトは価値がない」
と思い込むようになった。

 

そして、私は正社員として就業することを、強く望むようになった。

 

自分が価値のある人間で、価値のある人生を送っている、と思いたかったのだ。

 

 

 

 

○なったものの

 

 


この状況を打開するために、

ある会社の募集を見て転職をすることにした。

そちらの社長はたたきあげという感じだったが、

私の年齢云々は気にせず、すぐに正社員として採用してくれるようになった。

 


そこで勤務しはじめて、社員としての扱いを受けることによって、
私は満たされたような気持ちになった。

難しい仕事もどんどん任せてもらえるし、
いろんなことも頼まれるようになった。

 

 

 

しかし、、、

 

 

過剰なほどに厄介な業務を押し付けられるようになった。

 

当初募集していた業務とは、まったく違う業務を急に言い渡された。

 

クレーム処理のため、謝罪に行く業務だ。

 

 

入ってまだ二週間も経っていないのに、

 

ひとりで会社の失敗について謝りに行かされ、客からさんざん怒鳴られる。

 

 

仕事の内容もまだなにもわからないので、

勘で相づちをうち、勘で笑顔を見せ、勘で謝り、勘で立ち去った。

 

 

さらに私用の電話にも一日に何十回もかかってくる。

帰宅後も夜中や土日も、仕事の依頼がお構い無しである。

 

それだけではなく、

まだやり方も教えられていない結構な仕事を任され、

失敗したら自腹で弁償する旨を約束させられた。

数十万の経費を、である。

入ってまだ一ヶ月も経っていない。

研修なども行っていない。

 


知識も経験も技術も、すべて無の状態からやるしかないのである。

残業代など無論出ないし、

最初の三ヶ月は正社員なのに社会保険雇用保険も自腹である。

 

 

 

 

完全にブラックである。

 

 

 

当時はまだ産後だったため、

下の子はバブバブ・バブゥーとしか言えないくらいの乳飲み子だった。

 

せっかく抗うつ剤を止めて、多少なりともふつうの暮らしを送れるようになったのに、

不安やため息が多く、

子供たちにも負担をかけてしまっていた。

とても苦しい日々を過ごした。

 

 


なぜなのだろう?

 

 

バカな私は自問自答した。

 

 

「正社員になったのに」

「社会的に価値が高まったのに」

苦しいばかりの日々がつづく。

 

今思えば、ほんとうに自分がおかしな考えをしていたとわかる。

しかし渦中にいると、まともな判断ができなくなってしまうのだ。

 

 


○周囲からストップがかかる。

 


仕事とはそういうものだと思っていた。

我慢して会社のためにエネルギーを費やす。

会社に逆らうのは幼稚なこと。

 


お金をもらっているから、奉公しなくてはならない。
それが一人前というものだ。
お金をもらい、価値のある人間だと認めてもらうには、
会社の言うことをできるだけ聞いて、
会社にとって価値ある仕事をしなければならない。

 


自分を犠牲にし、尽くすことが、会社にとってありがたいことだし、
それこそが世の中の必要とする人材だからだ。

 


そう思い込んでいた。

 

 

 

そんなあるとき、自分の職業の師匠を交えた飲み会があって、


仲間たちとたがいに近況を方向することになった。

 

自分の現状報告をしたとき、

 

師匠も仲間たちもひどく驚いた。

 


入ってきたばかりの人に、
会社の不祥事をたった一人で謝りにいかせる?
そんなバカな話はないですよ、と。

 


師匠も仲間も、すぐにその場で電話をかけ、

仕事があったらパッショさんに紹介してくれ、と、

自分の知り合いに頼みだした。

 

 

私は驚き、戸惑った。

「転職なんて。せっかく正社員になったのに」

すると師匠は言った。

「しなくていい苦労ですよ。仕事はほかにもたくさんある」

 

 


○自己評価の低さは悪用される

 

 

それから紆余曲折があったが、

 

いろんな職場で仕事をすることになり、いろんなことを目の当たりにした。

 

 

ある会社は、仕事中に私が信じてもいない神についての宗教活動をすることを強制した。

 

ある会社は、トンデモ乳揺らせ体操を理由もなく強制させた。

 

幼子がいるにも関わらず、契約外の深夜業務に同行させようとしたり(風俗嬢ではない)、

 

土日や夜などに私用の携帯電話にしつこく連絡してきたり、

 

契約書やデータのプチ改ざんまで強制させられかけた。

 

 


なぜ、そのような会社で自分が仕事をすることにしたのか?

待遇や条件を満たす会社だったからだ。

正社員として雇用してくれる会社だったからだ。

私のような、高齢ママを仕方なくも雇ってくれたからだ。

 

 

私は、社会的価値を高めたいと思っていた。

どうしても、価値のある人間になりたかった。

社会に認められることで、あの苦しい地獄の日々から、立派に這い上がったという証がほしかった。

社会に認められないことが怖くて仕方なかったのだ。

 

 

自分という存在がダメな気がした。

 

普通に生きていっている人たちが、うらやましかった。

 


運がわるく、人生が狂った。

守れなかった、立ち直れなかった、強くなかった。

逃げていた。

 


そういった自分の弱い人格のせいで、

私は完全に自分の価値を失ってしまった、と苦しんでいた。

だから社会的価値を取り戻すことで、

生きる価値を取り返したい。

そう切望していたのだ。

 

 

 

しかし、、、

 

 

そのように社会的価値基準にもとづき一生懸命やっているにも関わらず、


なぜかあまりうまくいかない。

 

どんなに真面目にやっても、どんなに勉強しても、能力を必死で高めても、

好感度を高くしてへりくだっても、敷居を最安値まで低くしても、

かえって心理を悪用される。

 

 


扁桃体は猛烈な勢いで、その状態を継続することを拒否をした。

 

体調不良によって、

 

そこから脱獄するよう訴えた。

 

 

 

私は自分の幼稚な感情が情けなくなった。

なんでこんなにダメなんだろう。

なんて弱いわがままな人間なのだろう。

 

 

そして、また劣等感にさいなまれたのである。

 

 

 


さてあなたは、

 

私のこのような状況を、どう思うだろうか?

 

 

 

 

 

<19ー2につづく>