不安に耐える力は、単なる”技術”である(抗うつ剤なしに不安を解消する方法11ー2)
更新遅くなって申し訳ありませんm(_ _)m
他者の評価が気になるのは、体質といっていいくらい、
訓練しても、気になるものは気になるのである。
しかし気になったって別にいい。
そこから、
対処法を駆使していけばいいのだ。
大丈夫。
苦痛はかなり減っていく。
前回の記事で、
他者が自分に何を感じているか、正確には検証のしようがないので、
「無」と考えてよい、と書いた。
こう書いても、やっぱりその時々の状況次第で気になるのがニンゲンだ。
しかし、だ。
気になるか、気にならないか、ではなく、
どれくらい気になるか、というところに焦点を当ててみよう。
「どうせ、検証してもわからないのだから、、、」
と考えると、
約20パーセントくらいは、気になっていたりその考えに固執している時間が減るのではないだろうか?
個人差はあるが、数値は減るはずである。
つまり、
たった20パーセントではあるものの、楽になっていることは事実だ。
そこを、しっかり自覚し、成功体験として、海馬に叩き込もう。
「以前より減っている。これはすごいことだ」と。
そうしていくと、「悩んだり考えたりする時間が短くてもよい」
ということを体感するようになる。
それを積み重ねていけばしだいしだいに、
「あんまり悩んでもしゃーないな」
ということが、わかってくる。
もちろん悩まなかったからといって、
現状になにか特別な変化を与えることはできない。
相手が自分のせいで困っているかもしれないし、困っていないかもしれない。
しかし、そのことと、
自分が「相手は私のことをいやな人間だと考えているのではないか」
と悩むことは、連動しないのだ。
つまり、結果や現実がどうであれ、
悩みすぎてあげても、
効果はないのだ。
現実がわるくても、またはよくても、
”悩みすぎる”ことと、それを打開・解決することとは、比例しない。
悩むよりは、
「ではどうしたらよいのか」と具体的に検証し、
自分の行動をどうしていくかなどの方法を考えたほうがよい。
あなたはだめな人間でもないし、失敗したからといって価値がなくなるわけでもない。
あなたは素晴らしい人間だし、素晴らしい人間であってもふつうに失敗はする。
だめな面だって誰にでも必ずある。
あなたの価値とそれらのことは、何の関係もない。
次回につづくが、
さらりと少々次回のポイントを書くと、
他者の価値基準が気になるのは、仕方がない。
それならそれでよい。
ではそのことによって生じる苦痛をどうするか?
↓
他者の価値基準を気にかけるいっぽうで、
これまであまり焦点をあてなかった自分の価値基準にも注目してみよう。
「一方がうまくいかなくても、
こっちのエンジンを使えばいい」
というふうに、
ハイブリッドで行くのだ。
<つづく>