passyoo(パッショ)の日記

不安、うつ、抗うつ剤を克服した経験をつづったサイトです

不安に耐える力は、単なる”技術”である(抗うつ剤なしに不安を解消する方法8)

 

あなたは自分に価値がないと思うだろうか?

 

私はあなたによって、心に灯火を照らされた。

 

あなたは自分の力を知らないのだろう。

 

 

 

○本当に大切なものは、無料で与えられる。

 

数値や報奨による価値付けに慣れてしまっているため、

価値を捕らえにくいが、

本当に大切なものには、値段はつけられない。

 

空気や、太陽の光や、愛しい家族のぬくもり。

 

あなたが生まれてくる時に、

「今後これらを使うから、料金を支払いますバブ」

とは言っていまい。

 

 

生命の維持活動にとって、非常に大切なものには値段がついていない(水道料金以外)。

 

もしそれらが無いと、命の存続に関わるからだ。

 

 

人間は、これはこうだとよくもわるくも分類しがちである。

その分類の弊害は、片寄った価値付けをしてしまうことだ。

 

 

それを取り外し、エネルギーとして考えてみよう。

 

 

あなたのそばにいて、ぬくもりを与える人や、

あなたをケアする人。

老いた家族も、幼い子供も、

いるのが当たり前で金銭による報奨のやりとりは無い。

 

しかし、もしそれが失われてしまったら、

あなたは生きていけないはずだ。

 

 

これが人間の尊厳というものだと思う。

 

 

自分にとって真に価値ある人間とは、

幼い人、老いた人、病で弱っている人、…

そのように無力と言われる人たちなのだ。

 

赤ちゃんや、老いた親、傷ついた人。

そういった人たちのことを思うと、胸が締め付けられるようになるだろう。

あなたにとってなくてはならない、大切な存在だからこそ、

あなたは胸を痛め、全力で守りたいと思うのだ。

 

 

彼らが傷つくと、あなたの心もズタズタに切り裂かれるのは、

あなたにとって真に価値がある存在だからだろう。

 

価値があると書くと語弊があるが、

その存在が命の根源だということ。

 

 

そういった存在は、強くてお金もうけが上手な人ではない。

バリバリ仕事ができて、美形で、社会から称賛される人ではない。

 

弱く、真に美しく、大切な人なのだ。

 

 

扁桃体にとって大切なものは、

無力な人なのだ。

 

無力と無価値は、まったくもって対局にある。

 

だからこそ、人間の中には尊厳がある。

その人が病や老いによってなにもできなくってしまっていても、

または幼くて、今だ自分では何もできない状態でも、

呼吸をしている限り、

存在している限り、

尊く眩しい。

 

 

自分の尊厳が、

相手の姿に投影されているのだ。

 

 

理屈では説明できない摩訶不思議なことだが、

思い込んでいる価値感と、真に感じる価値感とは異なる。

 

 

大脳新皮質と、扁桃体の感覚の差なのだろう。

 

 

しかし、それによって自動思考がかってに判断し、

自分にあやまった思い込みをする可能性があるので、

そこは注意が必要なのである。

 

間違った思い込みに、踊らされてはいけない。