不安に耐える力は、単なる”技術”である(抗うつ剤なしに不安を解消する方法6)
”成功”を追い求めることに対する、脳の反応は意外なものである。
脳の中の「感情」は往々にして、
自分のものなのに、思った通りに動いてくれないものである。
いわゆる”成功”を追うことで、
なぜか生じてしまう不安や苦痛の感情については、
前回の記事に書いた。
これは、扁桃体が、言語を持たない場所からである。
自分であるのに、自分がどんな感情になるのか、
自分なのに、どうコントロールすればいいのか、
わからないのだ。
それでも、自分であるのには違いない。
だから、どうつきあっていけばいいのか、
どうしたらもう一人の自分は、充実し満足感を得られるのか、
今回は、ヒントを書いていこうと思う。
○”成功”は人によって基準はさまざま
当たり前過ぎてスルーしてしまいがちになるのだけれど、
成功の基準は人によって違う。
たとえば年収600万円でまずまずと思う人もいれば、
少ないと思う人もいるだろう。
これだけ貰えるのなら胸をはれると思う人もいれば、
数千万円、数億円の年収ではないのだから、
自分は失敗者だと思う人もいるだろう。
物価の安い国で、成功者として高い年収をもらっていても、
物価の高い国に行けば、低所得者並みの賃金である、ということも。
結婚して家庭に入るのが”成功”だと感じる人もいれば、
結婚や子育てで人生を終わらせるのは”失敗”だ、と思う人もいるだろう。
社会でトップレベルの権限のある役職についていても、”成功”とは限らない。
その人が法を犯すような仕事をし、社会から冷たい目で見られ、
こそこそ隠れながら生きているさまを見ると、
いくら成功者と云われる役職についていても、
「絶対にその人にはなりたくない」と思うだろう。
絵に描いたような成功者の日々を送ることができたとしても、
成功を求めるために、不安にまみれ、
報酬を与える人にコントロールされ、苦しみながら生きていれば、
しあわせとは言えないだろう。
当たり前すぎて書くのもはばかられるが、
脳はわかっているようで意外にわかっていないのだ。
いわゆる一般的な”成功”とは、
あなたが頭の中でイメージし、造り上げたものであって、
真実とは異なるものなのだ。
○扁桃体がわくわくするのは、報酬額の大きさではない。
どうやら、
「やってみたい!」「うれしい」「わくわくする!」
と扁桃体あたりが喜ぶのは、
報酬額には比例しないようであることが最近わかった。
報酬額が大きいと当然、興奮し、嬉しくなるのだが、
「その仕事自体をやってみたい」と意欲を持つ時の、
感情の動き方とは、異なるのだ。
実体験になるが、
ある会社から仕事を受けないかという依頼があった。
15年もうつ状態でフリーズして、
生活するのもやっと、体の原因不明の痛みも出て、不安と恐怖でのたうちまわっていた自分からすると、
驚くような報酬額を提示された。
相手はさらに、
「足りないのなら、おっしゃってください。できるだけ出せるようにします」
と言うのだ。
打出の小槌状態だ。
その会社に、ぜひ仕事をしてほしいと、
お願いされ、頭を下げられた。
何度も連絡をもらった。
しかし、である。
いざ、その仕事を引き受けると約束すると、
しだいしだいに条件が変わっていった。
自分では対応が難しいような仕事内容に変わったり、
そのほかいろいろなものが、最初の条件とてんで変わってしまったのである。
しかし、報酬額が大きかったから、
私はなかなか手を引くことができなかった。
なんとか仕事を引き受けられないかと考え、
無理をしてでも仕事を受けようと試行錯誤した。
この案件を捨てるのが嫌だったのだ。
高い報酬額を提示され、さまざまな好条件を与えられた私は、
自分が誇らしく思えた。
そのうち相手の無理難題をいつのまにか呑んでしまっていた。
相手との交渉という行為も、非常にストレスになった。
実際仕事を引き受けても、長くはつきあいきれないと思うようになった。
これでは無理だと、どこかでわかっていた。
そして、その仕事を逃してしまうかもしれない、と思うと怖くなった。
気分も落ちたり、上がったり、と波が激しくなった。
それでも手を引けなかったある日、
世話になった知人から一本の電話が急に入った。
短期間だけうちの手伝ってくれないか、と頼まれたのだ。
事業は日本でもトップレベルのしろもので、
そこに携われるだけでも嬉しかった。
しかし、その仕事を引き受けるとなると、
前に提示されていた報酬額の大きい”成功”をイメージさせる仕事から、
手を引かなければならない。
どうするのか?
と悩まずに、一瞬で決めた。
内容が素晴らしい。その仕事をしてみたい。
その場所へ行ってどういうやり方をしているのか見たい。
学びたい。
と思ったので、報酬の話はいっさいせずに、引き受けた。
たぶん、びっくりするほど報酬は安くなるとはわかっていた。
しかしそれでもいいので、どうしてもやってみたかったのだ。
扁桃体は喜びでいっぱいになった。
わくわくした。
準備も、ものすごいスピードで次々こなすことができた。
そのいっぽで私は非常に不思議に思った。
どうして一般的に”成功”とイメージされるような報酬の高い仕事を提示されたのに、
それを断ってまで、
こちらの報酬の低い仕事を選びたいと思ったのか。
そしてタダ同然の報酬額であるのに、
それを提示されたことに喜びを覚えたのか?
扁桃体の真の反応が、
自分が思っていたものと違うのである。
予測もしなかった感情の動きなのである。
そんな安い仕事を提示されて、情けなくなったり、落ち込むのではないか、
と大脳新皮質あたりは予測するのだ。
しかし、扁桃体は実際には真逆の反応をしたのだ。
なぜか?
内容がよかったからである。
なぜか?
技術を身に付けられるからである。
日本のトップレベルの事業の技術を身に付けられるからだ。
信頼できる知人が仕事を依頼してくれたことも、
すごく嬉しかった。
私がその仕事に興味があると知っていて、
その場を提供してくれたからだった。
つまり、
扁桃体は自身の予測通りには、動かない。
あなたがイメージしている「あなたのしあわせ」と、
「扁桃体が感じているしあわせ」は異なるのだ。
扁桃体の欲求は、比較的原始的な欲求なのだ。
○脳が欲しいのは、「成功」ではなく「技術」
今回はあくまで仕事上の話になるが、
扁桃体を満たし、向上させ、喜びを与えるものは、
”成功”ではなく、
”技術”なのだ。
そこで仕事をしている間、
ものすごく気分は満たされた。
もちろん不安の感情も時々起こったが、
第一線の場所で、それらのノウハウに触れてるだけで、
扁桃体は喜びを感じたのだ。
「充実感」のようなものだ。
ちょっとしんどくても、
そこで与えられた仕事をクリアするために試行錯誤したりすることで、
かえって自分が満たされたのだ。
報酬額の大きい仕事について、交渉している時よりも、
いくらもらえるかわからないこの仕事をやっている時のほうが、
扁桃体は、確実にしあわせを感じていたのだ。
そこで、私は気づいた。
「ああ、自分(の扁桃体)がほしかったのは、
一般的にイメージされる”成功”ではなくて、
”技術”だったのだな」
と。
技術があれば、職に困らない。
技術を高めれば、いずれもらえる報酬も高くなっていく。
技術を高めれば、本当の意味で必要とされる(ニーズこたえることができる)。
技術を高めれば、人にもっと質の高い何かを与えることができる。
技術があれば、いろいろな場所を渡りあるくさらなる自由を得られる。
技術があれば、そのような自分を誇らしく思える。
成功ではない。
脳の本質が欲しがっているのは技術、すなわち、
具体的な力なのだ。
○”技術”とは”情報”のこと。
では、技術とはなんなのか。
どうやって手に入れるのか?
”成功”という言葉を”技術”に置き換えると、
どう行動すればいいか明白になる。
脳のために、自分がどんな行動を取ればいいのか、はっきりするのだ。
その時、その大事業をしている場所で
いろいろな人と仕事をして気づいたのは、
”技術”とは”情報”であるということだった。
この情報、このやり方は、ここでしか身に付けられない。
ここにいると、こういうことがわかった。
こういうやり方このような事業をする時には必要だった。
つまり、技術を身に付ける、ということは、
実践に必要な情報を収集する、ということ。
もちろんそれだけではない。
収集した情報を、アウトプットしなければならない。
収集した情報を自分自身で咀嚼し、自分の手足や脳を用いて、
サービスとして提供しなければならない。
それらをどうするかというノウハウついても、
また”情報”なのだ。
自分がどうやって、この技術を人に提供するか、という命題についても、同じだ。
「どう自分をコントロールすれば、ある程度の質をもって提供できるのか?」
「どう自分をコントロールすれば、他者にやり方を教わることができるのか?」
「どうすれば、覚えるのか?」
等々。
○技術を身に付けていく行為が、自分を強くする。
自分の中に力があるのだ。
それが蓄えられ、大きくなっていく。
お金は使えばなくなるが、技術は高められていく。
肉体の中に備わっているから、どこでもやっていける。
それらの事実が、すべて自信になる。
自信→安心である。
○まとめ
・扁桃体は、
”成功”というもやもやとした実体のない雲のようなものより、
”技術”を欲しがっている。
・”技術”とは情報である。
上記のことを明確化すれば、
「ではどう情報を収集するか?」
というスッキリとした命題を脳に与えることができる。
そうすることにより、効果的な選択ができていく。
○ただし、扁桃体はある程度の報酬も必要とする。
後日談だが、そこで嬉々として仕事をして、
いざもらった額が、常識では考えられないほどの安さだった。
扁桃体としては、
「仕事で何かをやっているのだから、
無償でなんでも慈善事業というわけにはいかない」
のだろう。
納得しないようだ。
生活のために収入はある程度必要であるし、
あまりに報酬が低いと今度は、自分のやり方が良くなかったのかな、など、思案してしまう。
これくらいは受け取って妥当である、という額をもらわないと、
扁桃体は落ち込むので、注意が必要である。
扁桃体は意外にちゃっかりしているのだ。