素晴らしい日々が待っている
明けましておめでとうございます!
あなたに素晴らしい日々が訪れるよう、祈念しております!
「祈り」というのは必死でやれば結構叶うものだと思っています。
それは宗教とは無関係、別のものです。
あくまで私自身の考えですが、神というものと宗教とは全く相容れないものだと考えています。
神というものは(神と書くとイメージ的に語弊があるが)、
あくまで個人との関係の中に存在するものだと思っています。
個人の辿ってきた道や、個人の微妙な善悪の基準、そしてその人そのものの尊厳を尊重するものだからです。
(神というものには、今日はこれ以上は触れないようにします)
なぜ祈りが効くのか?
絶望して心がズタズタに切りさかれ、人間らしさまで失った日々に、
私は必死で祈りました。
ほんとうに必死で祈ったときに、
不思議なことに、
現実として、
ゆっくりであったり、気づきにくいタイミングであったりするが、
答えが返ってくるのを感じました。
答えといっても声や姿ではなく、
思いがけず耳にしたテレビの言葉だったり、実際に願いが叶ったり、
困難な状況が打開されていったり、そういうものです。
世界の多くの人々(宗教的なものであるかもしれないが)行動としての祈りを実践しているのは、なにか意味があることなのかもしれません。
それと、あとひとつ。
あなたのしあわせが、誰かの元気や希望になることを信じて欲しい。
これは間違いない事実なのです。
あなたには、いろんな苦しいことがあったはず。
もぎとられたように感じたり、怖くなったり、悲しくなったり、と。
人知れず心のなかで闘いながら、生きてきた。
けれども傷つけられて立ち直れなくても、
絶望のさなかにいても、
あなたがやがてその嵐を通り越し、
短い時間であっても、幸せを感じ、元気になり、希望を持つということが、
同じように傷つき苦しんでいる人たちにとって、どんなにかかけがえのないことか。
誰かそういう良い方向へ行った人がいる、という話を耳にするだけで、
苦しんでいる人たちにとっては、大きな助けになり、力になるからです。
あなたがしあわせを感じ、喜びを感じることこそが、
誰かの役に立っていること、
生きる大きな原動力になることを、
どうか理解してください。
あなたは素晴らしい人なのです。
素晴らしい日々を生きる資格があるのです。
ドアを開けて、輝く世界をその目で見てください。
ちょっとしたことでもいいので、楽しいと思うことをやってみてください。
その事実が、誰かのパワーになるからです。