passyoo(パッショ)の日記

不安、うつ、抗うつ剤を克服した経験をつづったサイトです

魂の仕事

 

お金持ちや成功者、

ちょっといい家や車、

社会的に権威のある職業。

 

そういうものに刺激され、自身が情けなく、どっと落ち込むこともある。

自分の生き方を省みて、さらに現在の自分の年齢を改めて考え、

どうしてもっと頑張って良い生き方をしなかったのだろう、と苦しいほどに悔やむ。

 

小さな失敗ではない。

長い長い時間を無駄にしてしまったのである。

辛いことがあったとはいえ、抗うつ剤と安定剤に依存し、

逃げて逃げて逃げ続けた月日が長すぎた。

 

このまま人生を終わっていくのは悲しい。

しかし年齢的に打開策はないように思われ、絶望する……

 

 

 

絶望とは恐ろしい苦痛だ。

狂うこともできず、逃げることもできず、始終つきまとう。

何をやってもむなしくて、すべて無駄に思える。

自分の人生を大切に生きたかった、それなのになぜこんなことに、

こんな状態に陥ってしまっているのだろう?

 

そういう風に感じる瞬間は、今でも訪れる。

 

しかし最近、いろいろなことがきっかけで、気づいた。

 

お金や地位というものといものに惑わされた生き方をして、

それらを追い求めていたら、どうなっていただろう?

そもそもそういう風に生きようとして失敗したのだ。

ストレスや人間関係につぶれてしまった。

 

個人の価値観はさまざまだが、

金も権威も人間の約束ごとであり、

死んだら消える幻にしか過ぎない。

上には上がたくさんいるし、

人生の大半を費やして驚くほどの素晴らしい業績をあげても、

注目を浴び、称賛を得られる時期は、ほんの一瞬でしかない。

次の年になったら、皆興味も関心も薄れている。

 

 

私はこういった成功や称賛というものに固執することが多々あった。

そのいっぽうで、

あの調子のわるい時代やら、

生きたまま火炙りにされるような肉体的な苦痛の日々を何年も何年も生きたとき、

「どうかお願いだから」

と心から願ったことは、

私を支えてくれた人や、私を生み育てた人や、

私という人間を親として選んできてくれた小さな命と、

ふつうに朝御飯を作って食べたり、

ふつうに、どこか公園や緑のきれいな場所へ楽しく出かけたり、と言った、

ほんとうに些細なことだった。

 

お金や権威や称賛を求めるから、大切なものに気づかずぞんざいに扱って後悔したり、

持っていないことや能力がないことに傷つき、

飢えたように苦しみ、自己嫌悪に陥るのだ、と気づいた。

 

向上心は大事だが、この年になるといろんなものを諦めなければならない。

そういった時に、何が自分をもっとも満たすのか、とふと気づいたのだ。

 

物質やかりそめの権威ではなく、真の仕事、

人間としての仕事をしている人が居る。

それは技術や収入の大きさではないのだ。

 

報酬を得るための勤労としての仕事という意味ではなく「魂の仕事」だ。

私はそういう魂の仕事ができたら、どんなにか幸せだろう、といつも思う。

 

 

 

誰かが私を助けてくれたように、

苦しく醜くもがいている他人に、心からの暖かい言葉を与えてくれたように、

居場所をつくってくれたように、

希望を持たせてくれたように、

私も魂の仕事をいつかしたいと思うようになった。

 

こどもは無垢の心で与える。

幼いこどもの価値観が、生命としての正常な価値観なのだと時々思うことがある。

お金や等価交換と言った法則を知らず生きている。

こどもや、私に希望を持たせ励ましてくれた人たちのあたえるぬくもりは、

計り知れないほど純粋で暖かかった。

 

 

喜びを与え、安心を与え、癒し、輝きを与える人々。

その人たちのことを思うと涙が流れる。

自分の情けなさが浮き彫りになるが、不思議に卑屈になるのではなく、

見習いたい、と思う気持ちが強くなる。

 

人間には心がある。

かたちがないからホンモノなのである。

人間は本当は、モノのやり取りにだけ充足してはいきられない。

人間の心が心に与えることでしか、真の充足は得られない。

 

生活していく上ではお金も必要だから、

勤労としての仕事と

魂の仕事。

これからはこの二つを、

自分の小さな規模であっても、

やっていけるようになりたい。