passyoo(パッショ)の日記

不安、うつ、抗うつ剤を克服した経験をつづったサイトです

抗うつ剤と安定剤を辞めること

 

私は二十代後半からある事情によって、

不安と心配が多く、

仕事も生活もしていく上でも困難を感じていた。

相談しても特殊なケースであったため、解決は難しく、

とうとう苦しさに耐えられず、

抗うつ剤と安定剤を服用するようになった。

 

 

そのうち量も増し、眠さやだるさが日中激しくなっていった。

朝起きることができず、仕事もやめなければならなくなった。

 

三十代から四十代始めまでずっと、抗うつ剤と安定剤を飲んで生きた。

薬を飲んでいると、時間のたつのが驚くほど早い。

飲んでいない時の感覚と比べると、ほんの数時間しかたっていないようでも、

もう一日は終わっている。

 

こんな状態で家にこもり、社会と不安要素から逃げるようにして暮らした。

 

二十代にあることがきっかけで、心がこのような状態になった。

病気であるのかないのか誰にも判断はつかなかったと思うが、

振り返ってみると私自身の感覚としては、

病気ではなかったと思う。

 

薬は必要だったのかもしれない。

それほどまでに追い詰められていた。

 

不条理な出来事だった。

自身や人間の力では避けがたい問題が起きた。

普通の人には、まず起こらないような出来事だった。

 

 

その出来事は起きたら終わりというものではなく、

長く長く続いた。

どうなるかわからず、先が見えなかった。

自分の力がないことが辛く、

助けてやれないことが、ものすごく苦しかった。

そしてそんな不条理が起きることで、世界を恐ろしく感じた。

 

普通の暮らしをしている人には、まず感じられない恐怖だったと思う。

 

 

傷つきボロボロになった。

三十歳から四十代半ばまで、凍結するように暮らしていたのだ。

 

いちばんあぶらがのっているいいときのはずだったと思う。

特に女性は結婚をして子育てをして……

そうでなくても仕事などでキャリアを築いたり技術を磨いたり、

人生を活発に生き、その後の暮らしを決める最重要の時期といっても過言ではない。

 

その期間、私はひっそりと暗い田舎で寝たり起きたりをしていた。

親戚も誰もいない場所で静かにしていたかった。

抗うつ剤の副作用だと思うが、怒りっぽく攻撃性が強かったので、

人と関わるとトラブルを起こしそうになることが多々あった。

 

だから、潜むように暮らした。

 

不安や悲しみを医師に話すと、薬の量が増える。

悪循環だった。

 

今思えばただの離脱症状だったのに、自分では病気のせいだと思い込んでいた。

信じられないほど、さまざまな種類の薬をたくさん飲んでいた。

 倦怠感の強さは異常なくらいで、

 今にして思うと、薬の副作用だったと思う。

 

あることがきっかけで、抗うつ剤と安定剤をやめた。

やめなければならなかった。

どうしても、どんなに苦しくても、

私はやめなければならないと気づいた。

このまま逃げてばかりいては、人生がダメになってしまうと感じた。

人生などどうにでもなると思っていたけれど、

もう四十を過ぎていた。

<このまま私の人生は終わるのか?>

と思うと、ものすごく怖かった。

 

私という主体が、

時間の無駄使いをし、自分のお金で薬を買い、

悲しく嘆きながら寝たり起きたりで、死んでいくのである。

なにもなかったような人生だ。

 

一生懸命育ててくれた親や目上の人。

友人、明るい時代。

授かった健康。

それらが全部無駄になるのである。

無駄にしてしまったのである。

 

枯れ草のようにこのままなにも受け取らず、誰にもなにも与えず死んでいく……

 

ほかの人々が子育てから離れようとするとき、

私はまだ子供のひとりも居なかった。

 

 

薬を辞めることにした。

 

薬を辞めるのには、前に飲んでいた期間と量が関係するとある医師は行っていたが、

個人的にはそれよりも、トラウマや心の傷、問題の状況が関係すると思う。

その問題をどうにか解決、または対処できると自分の脳が納得したときに、

 

不安は解放に向かう。

 

 

私の場合はものすごく苦しい時期が1年半続いた。

しかし最終的に妊娠を確認し、まずまず希望の仕事も見つかったことから、

心はようやく普通に近い状態に戻った。

おいしいものを食べたいとか、買い物に行けるとか、そういうことである。

人間関係を楽しんだり、期待したり、些末なことに怒ったり……

そういうあたりまえの、しかし、ありがたい状態に。

 

 

断薬した直後は、モールなどで買い物も普通にできなかったから、

普通に買い物をしている大多数の人たちを見ると、非常に不思議な気持ちになった。

そして他者とあまりに違う自分の状態と人生に、

恐怖を感じた。

悲しくて、こわくて、不安で、罪悪感でいっぱいで……

それが私の感情の大部分を占めていた。

 

 

薬を辞めて、問題を打開していくうちに、

苦痛は人よりもやはり感じるのだけれど、

合間合間に普通の感覚や喜びが戻ってきた。

 

笑ったり、旅をしたり、買い物をしたり、

以前はパソコンもさわれなかったのだが、今はそれと関係する仕事をしている。

 

そんなふうに当たり前のことがどれほど輝いていて、大切だったか。

 

人間は自分に絶望してしまうと、心が闇に陥るのである。

あたりまえのことすらできなくなるのである。

それがうつ病であるのか、ないのか、私にはわからない。

 

ただ、自分の感覚からすると、どちらであっても、

確実に出口に向かう方法はある。

 

 

 

正直いって、今でも心は闇に陥る。

あの三十代から15年ほど続いた時間のロスのせいである。

抗うつ剤や安定剤を服用しなければ、

こんな風に浦島太郎のように、ぽっかりと穴があいた状態にはならなかったと思う。

仕方がない状況だったとしても、非常にこの点が辛い。

 

ほかの人にあった人生のいちばんいい時期で重要な時期が、

全くないのである。

自分の感覚としては、まだ30過ぎくらいだ。

けれどももう実際は、四十半ばまで来てしまった。

女性は、年齢についてものすごく悩む。

二十代のおわりから、いきなり四十代半ばに来てしまったような感覚なのである。

 

しかも自分自身の選択のせいで。

 

この悲しさと恐怖、やるせなさは今でも私の心を覆うことがある。

 

しかし物事に良し悪しを与えるのは主観であって、

現実とは異なる。

 

現実はただひたすらに無機質に起こっている。

 

 

 

この道をたどったおかげで得たかけがえのないものが、たくさんある。

 

この年齢になって授かった我が子はとても可愛らしく、

親がトシだから気を使っているのか(?)性格も穏和で優しい……

 

子供は兄弟でも全く違う。

その時その時の卵子の状態から、個性特性をもって生まれてくるのだ。

 

私は人にこれほど愛情を感じたことはなかったし、子供のほうが器が大きいと気づかされた。

 

幼い子供は私がどういう人間であって、どんな情けない暮らしをしてきた過去があろうとも、

私のことを愛し、大切に思ってくれる。

親がどんな人間であっても、受け入れてくれるのだ。

それが子供というかたちをした人間の愛である。

すべての人間が、もともともっている崇高な部分に気づくことができた。

 

若い時に、子供を授かっていたら、

傲慢な私のことだから、こういう風には感じなかっただろう。

ありがたみを知らないまま、子育てをしてしまっていたかもしれない。

 

仕事も、不安定といえば不安定だけれども、

同じところで勤めることができない性分だから、その点自由だ。

 

いろんな人と出会い、わたり歩き、いろいろな世界を見ることが可能な職についた。

もちろん女性だしトシなので不安は大きいが、年齢は関係ないと、師匠は言ってくれた。

収入は多くないが、どこへでも気ままにいける自由さが、ある主の豊かさであることは間違いない。

 

 

今でも苦しむことはあるけれど、

薬を飲んでいる時のほうが辛かった。

ものすごく辛かった。本当に、つらかった。

 

 

しかし私のような状態でも、この状態まで回復できたのだ。

ものすごいダメ人間の私が。

 

 

これは自分だけの力ではない。

励まし、希望を与えてくれた人々の力なのだ。

人間の明るさ、よい力、強さなのだ。

 

自身の苦しみから培い、

苦しんでいる人の闇に、

光を灯してくれた人たちのおかげなのだ。

 

 

そこから抜け出したいと思う方のために、

少しずつでもこのブログを書いていきたいと思っています。

できる限り、書いていきます。

 

希望を持てば、必ず返ってきます!