私が抗うつ剤を止めていった過程 その12
その医師の話を聞くと、不妊治療はなるべく避けたいと思うようになった。
お金がかかったり、検査治療等々の負担が、自分の性格上かなりのストレスになることはわかっていたからだ。
だから自然妊娠できれば、と強く望んでいた。
医師の指示にしたがって三ヶ月ほどは自然妊娠を目指したが、とうとうあと一回となった。
その頃、ちょうど春先だった。
私が住んでいた田舎町は、すごく暮らしにくい場所だった。
病院も仕事をする場所も近くにない。買い物も不便。
抗うつ剤をやめる前は、そういう風に人に干渉されない場所がいいと思っていたのだが、
気づくとこの暮らしにくさが自分の心の負担になっていた。
その田舎の住民たちは乾いたように冷たく、その土地の人ではない住人を、「よそ者」とか「よそから来た人」と言って、壁を作ったり排除しようとしたりする土地柄だった。
当時の私のような状態の人では、子育てするのもいっぱいいっぱいだったのだが、
そういう事情を話しても、子供を施設に預けるしかない、と底冷えするようなことを役所の職員が言う状態だった。
子供を施設に預けるわけにはいかない。
仕事も見つけにくいから、かなり気が重かったが、思いきって少し町のほうへ引っ越しをすることにした。
うつ状態になっていると引っ越しは苦痛であるが、個人的には引っ越して大正解だったと思う。
引っ越したことで、人間関係もかわる。
その環境の変化がかえってよかったのだと思う。
そうしてバタバタとしつつも、ラスト3回目の妊娠にトライした。
すると引っ越してすぐ、生理がいつもより遅れていることに気づいた。
市販の妊娠検査をし、結果はまだ見ないようにして、子供を車にのせてドライブした。
そして車内で結果を確かめた。
妊娠反応があった。
その時は、なにか悲しさや絶望を通り抜けたような、不思議な雰囲気を感じた。
その時私はすでに44才になっていた。
希望を持たせてくれた人たちのおかげだと思った。
人の心もからだも、希望に反応するのだ。
ちゃんと反応してくれるのだ。
何より、他者からの前向きな言葉が、生命としての底力を呼び起こしてくれたのだ。
私は最大のトンネルを抜けたような気持ちになった。
苦しい時もある。その時は本当に辛くて、
その考えが頭から抜けない。
どうなっていくのか、どうしてこんなことになってしまったのか、
と、とてつもない恐怖を感じる。
しかし、ほとんどの恐怖や不安は、自分で作り出した幻想に近い。
思い過ごしなのだ。
悲観的な世界は、頭の中で作っているイメージでしかない。
頭の中の現実と、実際の現実は異なる。
あなたは素晴らしい人生を生きることができるのだ。
ついでに言うと、「確率」というものも、あてにはならない。
いい意味でだ。
他者は他者、自分は自分だ。
他者がこうだったから、自分も百パーセントそうなるとは限らない。
もしあなたがいま、苦しくて仕方ないのなら、
または大きな悲しみにうちひしがれているのなら、
他者に手を伸ばしてほしい。
自分を苦しめていた絶望が、
なにかに置き換えられるからである。
これは人間に与えられた、最大で最高の交換作用なのだと思う。
「人間」は変換することができるのだ。
そのすぐれた意思の力で。
つらかったというエネルギーを、人間のしあわせに換えることができるのだ。
あなたは十二分に苦しんだのだ。
誰にも理解されず、もがいてあがいて、人に知られないように泣いて……
そして、ぼろぼろに傷ついた。
だからこそ、
苦しんでいる人を助けることができる。
あなたの痛みは、その人たちの傷んだ胸を、的確に癒すことができる。
あなたにはすぐれた資質があるのだ。
その傷が、きらきらと光を反射するように、
人を助けるための強靭な力になるのだ。
あなたはヒーローになるのだ。