私が抗うつ剤を止めていった過程 その11
初めて大病院の産婦人科を訪ね、女医に話を聞いてから、
三ヶ月経っていた。
私はもうすぐ44才になろうとしていた。
私が不妊治療について訊いた時、
最初に女医は、
「何年か試してダメだったら考えてみるといいのでは」
と助言した。
正直、それを聞いて、ビックリした。
43才の私は、
さんざん別の医療機関で、
「年齢からしてもう絶望的だ」とか、
「国が不妊治療の補助をするのは42才までで、
それ以降は補助はないのだから、国が望みが薄いといっているものについてダメなものはダメなのである」とか、
「医師として勧めない」等、
それはそれはボロクソに言われたのである。
だから、一ヶ月、二ヶ月という時間の単位の消耗が、
切羽詰まったものに感じられた。
しかし大病院にて、経験豊富であり患者数として多くのサンプル数を扱っている医師は、
そういう考えではなかった。
その女性医師は、
「今日、明日不妊治療を始めるような切羽詰まった状況ではない」
と考えていたのである。
この言葉がとても嬉しくて、光を見たような気分だった。
しかしまたその医師は一方で、
不妊治療を始めたほうが近道ではある、とも言っていた。
その医師の助言を聞いてから三ヶ月、基礎体温表をつけてはいたが、
まだ妊娠はしなかった。
またダメだった、とわかったときの、
地獄の底にいるような悲しい気持ちを例えると、
「骨と皮だけに疲労して痩せ細った体を、さらに鈍器で押し潰されるようだ。踏んだり蹴ったりだわ、どうにかしてくれ」
という感じだった。
私はもう一度、片道一時間をかけ、あの大病院の産婦人科に行ってみることにした。
あいにくその日は女医先生は休みだった。
私はその大病院に勤務しているほかの医師のうち、
不妊治療担当の医師をネットで調べ、
その医師の診察を受けることにした。
診察室に呼ばれて入ると、
男性のベテランの先生が座っていた。
基礎体温表をテーブルの上にだして、
女性の医師に話した一通りのことを説明した。
それから不妊治療について近道だと訊いたので、
それについても聞きたい、と正直に言った。
焦っていたのだ。
その医師はずば抜けて頭の回転が早く、
群を抜いてレベルの高い人だというのは話し方からすぐにわかった。
深刻で悲痛な顔をした私の状況を察してくれたのだと思う。
私が一人目を生んでいることに注目し、
あえてお笑い芸人のように冗談めかして、
「大丈夫、
あなたには一人生んだという実績があるんだから。
またヒットを打てる!
打てるんだから大丈夫。
バッターボックスに立ったら、狙いをすませばいい!」
と言ったのだ。
「うまくやればちゃんと命中させられる!
ご主人がやる気がないのなら、アレやけど……、
でもしっかりやるべき日にやる気を出せば、いけるんや!」
そして、基礎体温表を、ちら、っと本当に二、三秒見ただけで、
「あなたは真面目な人だ。きちんとした人だね」
とストレスと恐怖で汚くがたがたになったグラフを見て、
無理矢理誉めるところもないのに、
一生懸命誉めるのである。
私が黙って考え込んでいると、
「まだ若い! まだ若い!」
と大声で励ますのである。
元気を出してほしかったのだと思う。
「あなたの卵巣はめちゃめちゃ元気や。だから、大丈夫」
と、グラフをちらりと見ただけで言い、
この日とこの日あたりにするのがコツだよフフフ……、
と妊娠しやすい日について助言してくれた。
その時は、主人も同行していたのだが、
関西弁のスパイスに圧倒され、二人で思わず笑ってしまった。
さっきまで涙ぐんでいたのに、おかしくて仕方がない。
元気が、あかあかと心に燃えだした。
私は、しかし年齢に伴うリスクについても若干気にはなる、と伝えた。
すると医師はこう言った。
「いろいろと不安になる気持ちはわかります。
しかし、
それよりも、新しい命や!
新しい命が生まれるという素晴らしい出来事が、
待っている」
私はこの時、
人間の素晴らしさというものに圧倒された。
なんという美しく明るい言葉だろう。
人を太陽のように照らす、
強く明るい光だろう。
一瞬で、子供へのリスクに対する不安が吹き飛んだ。
医師のその一言が、人間のすべて尊さを確たるものにしたのである。
不妊治療について聞くと、
医師は具体的な手順や治療方法などについてのべ、
言った。
「かなりお金がかかり、ストレスも抱きやすくなる」
と。
だから不妊治療という選択肢は今すぐ優先してするものではないと思う、
と言った。
金儲け主義の医師とは違うのだ。
患者は財布ではない。
血の通った人間なのだ。
医療を施す医師自身も、
集金マシーンではないはずだ。
せっかく生まれてきたからには、
人間として真に心ある良い仕事をし、
真に人を助け、
良い人生を生きることこそが、
本当のかっこよさなのだ。
必要のないものは、必要ないのだ。
抗うつ剤だってそうだ。
私は個人的にそう思う。
”それは本当に患者に必要だったのか?”
”どうしてカウンセリングを主としなかったのか?”
”不安や悲しみにさいなまれて病院を訪れた人たちに、本当に必要なものは、
もっと別のものだったのではないか?”
”薬以外のものを提供するのは医師として限界があったかもしれない。
しかし人間としては、どうだったのか?”
”お金や労力は必要ない。
心から、その人をいかし、励ます行為、
希望を与える言葉”
不妊治療について考え込む私を見て、
医師はテンポよい言葉で言った。
「そうだな、3回試してみてごらんなさい。まずは自然に3回。
それでうまくいかなかったら、またいらっしゃい」
3回というのはプレッシャーでもあるが、
時間的に焦りを感じていた私にとっては、
逆に先が見えない不安を払拭するきっかけにもなった。
自然妊娠にあと3回チャレンジしてみる。
しかしそれでうまくいかなかったら、すぐに不妊治療へ、
とは言わなかった。
医師の言葉と励ましで、
心はずいぶん軽くなった。
力を得るような感じだった。
希望を持つことができて嬉しくて仕方なかった。
医師の助言通りの日に、子作りをすることにした。
一回目、妊娠せず、
二回目、妊娠せず、
……
いよいよ最後のチャレンジとなった。
これでだめだったら、ともちろん少し怖くなった。
しかし、不思議な楽観が心にあったのだ。
非常に不思議な楽観が。
つづく