passyoo(パッショ)の日記

不安、うつ、抗うつ剤を克服した経験をつづったサイトです

私が抗うつ剤を止めていった過程 その9 

 

「やめたほうがいい」とか「無駄だ、もう妊娠は現実として難しい」

とれっきとした医者が言う。

 

しかしそこは田舎町だったので、人口としてのサンプル数が足りないのではと思い、

街の大きな総合病院へ行って、産婦人科医に訊いた。

 

医師は若い女性だった。

産婦人科医師が女性というだけで、非常に安心するものである。

 

 

私は女医に心をゆるし、話せることはなるべく打ち明けることにした。

 

「妊娠を希望しているのですが」

 など次々、話した。

 

「でも43歳であるということで、妊娠しにくいという医者もおり、

 難しいなら不妊治療も、と考えています」

 と。

 

 女医が以前の妊娠について聞いたので、答えた。

 

「第一子を妊娠しているとき、

妊娠初期に妊娠に気づかず抗うつ剤や安定剤を服用していました。

薬はほぼ強引に絶ったのですが、

数日間は離脱症状がひどかったです。

それよりも、子供に影響がないか、ものすごく心配でした」

 

「妊娠中に、以前からあった内蔵の焼けるような痛みが強くなりました。

たぶん出産に対するストレスだと思いますが、

あまりの痛みが長く休みなくつづくものだから、

自分で髪の毛をむしって抜くほどでした」

 

「痛みについては原因もわからず、

クリニックの医師も私が妊娠中ということで、あからさまに扱いにくい感じでした。

積極的な検査や治療ができないと言っていました。

イライラとしながら、妊娠なんか中断したら? と言っていました」

 

まともな医師もいるとは思うが、

自分の利益のためにしか仕事をしない医師もいる。

これが医師業の現実でもある。

 

 

「そのクリニックの医師は私に、難病の可能性がある、と宣告しました。

とてもびっくりしました。

私は初産で、情報を聞いてもわからないことがたくさんありました。

親には頼れず、親戚も知人もいない中での出産になりました。

出産自体は、

痛みや生命への危機もあるものです。

だから、ことさら、それに対する恐怖は大きかったのですが、

あまり考えられないケースの、さまざまな不可解な体調不良が襲ってきたことで、

非常に大きなストレスを感じました」

 

「おまけに初期に抗うつ剤を服用していたことで、

子供へのリスクへの恐怖がすさまじかったです。

さらに以前から抱えていた、ストレスによる内蔵の痛みのため、

夜、眠れない日々が数ヵ月続きました」

 

「そのせいで、ある日とつぜん、網膜剥離を起こしてしまいました」

 

「とうとう産後、不本意でしたが重度のうつといわれて、薬をまた服用せざるをえない状態になりました。

薬はのみたくなくて、何度も迷いました。

しかし内蔵の痛みが良くならず難病かもしれないという恐怖に、

とても耐えられませんでした。

そんな自分が母親であることによって、

子供の命をリスクにさらすように思われたからです。

すごい恐怖でした。

恐怖でじっとしていられず、のたうちまわるほどの苦しみを感じました」

 

新生児というものは、非常にかわいい。

人間というより、妖精に近い。

肌もふわふわで柔らかく、小さな顔に小さな目鼻。

声も動物の赤ちゃんのようだし、

しぐさも魔法がかかったように純粋で珍しく愛くるしい。

 

とてもいとおしいのに、

こんなボロボロの自分が母親だと思うと、

情けなかった。

 

最愛のこどもには、できるだけ普通の環境を整えてやりたかった。

子育てに助言してくれる私の母親はそばにいられず、

私も元気でそだてられる状態ではなかった。

そういった普通の条件が、この愛らしい子供のために、まったく満たせないことが、

とても悲しかった。

 

第二子を切望するものの、

また同じような状態になったら…、

とその時は思い悩んだ。

薬をたち、病気でもないと医師から聞かされてなんとか日常生活を送っていたが、

妊娠による負荷が、以前のようなものだとすれば、

生活そのものが破綻してしまう。

第一子も守れなくなるのでは、と思ったのだ。

その恐怖を乗り越えなくては、次の子を宿す決意ができない。

 

それでも答えは決まっていた。

第一子のために、

きょうだいを作ってやりたかった。

どうしてもだ。

 

それが長子に対する自分の愛だった。

精神も健康も破壊され、火炙りされるような苦しみをふたたび味わったとしても、

きょうだいを残してやりたかったのだ。

 

私は情けない人間だ。

でも、愛情が無いわけではない。

 

 

 

 

すると、

その女医は、言った。

 

「40代でも妊娠しますよ」

 

私は緊張が抜けるのを感じた。

妊娠しにくい、とか現実として難しい、とか、

不気味な確率の数字をふりかざしてダメ出しをしてくる医師とは、

まったく違う表情だった。

違う言い方だった。

 

 

抗うつ剤を飲みながら妊娠を継続するお母さんたちも、

いらっしゃいますよ。

多いということではありませんが、思っているよりいらっしゃるんですよ」

 

と安心させるように、言ってくれた。

 

 

私はもう薬に戻るつもりはなかったので、

薬はなるべくのまないようにしたい、と伝えた。

 

女医は、

「妊娠中でも、必要があれば飲んだほうがメリットがある、

と考えられることも、私としてはあります」

と言った。

 

つまり、出口がないのではなく選択として可能だと言ったのだ。

妊娠中の薬への危険性というものはそう高くはないから、

追い詰められないように気を使ってくれたのだ。

 

 

 

 

もし第一子のときにこういう女医に出会えていたら、

人生が変わっていたはずである。

薬は服用せずに出産までがんばっていたと思うが、

少なくとも、子供へのリスクや奇形率などについて、

過剰に気を病むことはなかったと思う。

 

 

それから女医は第一子の時の状況を聞き、言った。

「精神的にはいろいろあったようですが、

お産という観点からは、

妊娠も出産も異常なく済んでいるので、

第二子を妊娠する可能性も十分ありますよ」

 

 

 

そのように希望を与えてくれた。

 

そして基礎体温表をつけるように促した。

 

 

 

 つまり、こういうことだ。

 

不可能だ、絶対だめだと思っていたことに、

光がさしたのだ。

 

同一の状況であっても、

このようにものの見方や捉え方、

そして関わる人によって、

自分の捉え方が劇的に異なっていくのだ。

 

 

自分の認識が変わればまた、

状況を打開する力も生まれやすくなる。

 

 

つまり、

”自分の捉え方が、世界を変える”

のである。

 

 

これは事実なのである。

 

 

 

その次に同病院でアドバイスを受けたベテランの医師も、また素晴らしい先生だった。

それについては次回に書こうと思う。

 

その人たちの素晴らしい言葉によって、

私は希望を持ち、

よい状態をイメージすることができた。

 

結果として現実はよいほうに変わった。

 

 

人はひとりでは生きられない。

ひとりでいると、奈落の底にとことん落ちる。

自分で作り上げた闇にのまれてしまうのである。

 

マイナスのことをいう人もいる。

それらによって人生をダメにされることもある。

けれども、よりよい可能性に光を当てる人もいる。

希望を与える人だ。

その人たちや、自身の前を向いていく行動によって、

人間は心の闇を払拭することができる。

 

闇は幾度も自分を覆う。

しかし大抵は思考が招いている闇だ。

そこで苦しむ気持ちは、いたいほどわかる。

わたしも往々にしていまだに、そういう状態にハマるからだ。

 

 

しかし世界は広い。

現実はもっとおおらかで、寛容なのだ。

 

 

 

 

つらくて苦しくても、

こうでしかない、とすら思えても、

情報として、希望のある事象を、

耳に入れておこう。

 

 

もうダメだ、先がどうなるのだろう、と不安で苦しくなっても、

「すべてうまくいく」

「困ったことは起こらない」

と意地で唱えよう。

 

 

できれば午前中の太陽の日差しを浴びて、

おっくうでも五分や十分、足を動かし歩いてみよう。

 

 

 

すると、

あなたの意識や思考のしたに眠っている、

強靭な生命力が、

強靭な動力が、

めざめて、

少しだが、その一端を表すはずである。

なんとなく、気分が少し晴れ、

次へ進んでみようと思えてくるはずである。

 

 

 

人間なのだから、

後悔や自責の念はつきものだ。

どう選択しても、がんばったつもりでも、

または、疲れきってしまい、”少し休もう”と思って消極的な選択をしても、

「自分のようなものが、あんな選択をしてしまったから、

わるいことがおきるのでは、

間違いだったのでは…」

という思いは、仕方ないことだが、どうせこみ上げる。

そのような思考しかできないこともあるのだ。

 

 

 

だが、現実と思考は、完全に異なるものだ。

思うほど悪いようには、いかない。

 

だから大丈夫。

 

 

 

自身の自責や後悔に苦しむ人はたくさん居て、

決してあなたが特殊なのではない。

あなたは、ひとりではない。

 

 

決して、ひとりではないのだ。

 

 

つづく