癒しの画像 その1
※⬇エロ画像ではなくて、すみません。
抗うつ剤をやめたての頃は、思考が毒になると知っていたので、
何か音に集中しようと考えた。
世の中にはいろいろな音が溢れているので、耳を研ぎ澄ませた。
たしかに音に集中していると、その瞬間は苦痛を忘れているのだが、
長くは続かない。
すぐに集中力は途切れ、思考の毒が襲ってくる。
そこで以前好きだったものはなにか考えた。
心のそこから好きだといえたものは旅だった。
旅が魂を生かしてくれたし、旅は私に命を吹き込むものだった。
しかしそんなに金もなく、こどもも小さい。海外に大冒険というわけにはいかない。
それでも苦しさのあまり、車に乗ってふらふら出掛けた。
こどもをのせて長距離ドライブ。
こどもには負担だったと思う。
けれども誰か預けるような身寄りは居ない。
一緒についていってもらうしかない。
なんだかんだと自分で楽しみを見つけて、車の中で頑張ってくれる。
高速に乗ると、緊張と共に、心がほんの少しだけ軽くなった。
知らない道や景色の中を進むと、
自分を責め後悔する思考が切り替わっていった。
次はどの道をいけばいいか、どこを曲がるのか、どこに泊まろうか、
そういう機械的な目標をクリアしている間は、
そのこと以外、考えられない。
頭にかかっていた重たい雲は晴れている。
しかし、また行く先がだいたいわかったり、
余裕が出てくると、思考と心配が私を苦しめる。
こどもにも十分話しかけたり相手をしてあげることができない。
発達の重要な時期なのに、普通のおかあさんらしくできないのだ。
どうにもできないのだ。
しかし、こどもへの対応や影響については、
私に「あなたは薬はいらない」と言ってくれたベテランの精神科医に相談していた。
こどもはたくましく育つ!
影響などない!
と言ってくれた。
どれほどの救いだっただろう。
右往左往が続いたが、それでも目指していた町に到着し、
ホテルに泊まることができた。
旅をしているときには、不安から多少なりとも解放される、
そういう事実を自分で実感したことは大きな成果だった。
正直、ここ数日、あることが起きて落ち込んでいた。
不安に襲われていた。
しかし、あのやみくもに旅をしていて先がまったく見えなかった時とは違う。
まったく違う。
あのどんぞこを切り開いてきたのだから、
またどこかでやっていける。
あれほど苦しいことにはならないだろう。
その時に培ってきたものは、技術となっている。
地獄から這い上がってきたのだから、
多少は乗り越えていけるだろう、
そんな楽観が自分の心のどこかにある。
苦しいときでももう薬を飲もうとは思わない。
薬を飲んでいる時のほうがつらかった。
世界というものは、自分が叩けば必ず返ってくる。
思い通りにならないことは多々あるけれど、
助けようとしたり、答えようとしたりするひとが、かならず居る。
同じように苦しんでいる人もたくさんいる。
没頭したり、作業をしたり、目標を決めて向かっていったり。
認識の仕方を少しかえれば、問題と思っていたのが、そうでないことに気づく。
ただし脳は頑固だから、工夫が必要である。
思考と感情の流れるままに任せていたら、ろくなことにならない。
ではどうするか。
つづく。