passyoo(パッショ)の日記

不安、うつ、抗うつ剤を克服した経験をつづったサイトです

不安に耐える力は、単なる”技術”である(抗うつ剤なしに不安を解消する方法17ー1)

 

 

人間はよくもわるくも報酬を求める生き物である。

 

 


報酬とは、ようするに「快楽」である。


その快楽にも3種類ほどあると云われている。

 

 


①食欲や性欲などの動物的報酬。

 

②アルコール、ギャンブルなどの短期的報酬。

 

③人間的報酬。

 

 

 

①の欲求は生物的なものなので、満たされると去っていく。

 


②の短期的欲求には依存性がある。

依存すると、抜け出したいと思ってもなかなか抜け出せない。

依存性により、生活の質が落ちたりする。

私も短期的報酬に、はまりやすい性質があるが、

この短期的報酬には注意してほしい。

 


③は、ものごとを達成したり、

他者に何らかの働きかけを無償でした時に生じる、

高次の報酬と言われている。

 

人間は時間をかけて取り組んだものや、目的を自力で達成したとき、

または他者を助けることができたとき、

「嬉しい」、「しあわせだ」、

という高次の快楽を感じる社会的な生物なのだ。

 

 


抗うつ剤に頼らず、明るい生活を取り戻したい、と考えている人は多い。

 

私はこういうブログを開設したことにより、

 

そのことを、日々痛感している。

 

 

 

 

今回は、長文になるが(3部作)

 

 

不安に対処するためには、

 

 

③の人間的報酬をガンガン活用しよう(  ̄▽ ̄) !

 

 

という記事を書いていこうと思う。

 

 

 

 

 


○地獄のような不安と恐怖の、なつかしの日々

 


以前、「私が抗うつ剤をやめていった過程」の記事で書いたが、

 

ある非常に辛いきっかけがあって、

 

もう抗うつ剤に逃げる理由が完全に失われてしまった。

 


それによって、自分の状況にたいして目が覚めるようになった。

 

 


私はもうダメなのか?

 

完全に失敗してしまったのか?

 

 


自分の問題は、抗うつ剤では絶対に解消できないものだ、と、

 

ようやく認識できたのである。

 

地獄のような苦しみだった。

 

 

 

そしてもがくようにして、

いろいろ試行錯誤し、

今の状態までたどり着くことができた。

 

 

 

 

その結果、

 

私は、同じように苦しい思いをしている人に、

 

どうか絶望しないでください、

 

とどうしても伝えたくなった。

 

 

抜け道はあるのだということを、

 

体験した当事者として、

 

何らかの形で伝えていきたいと思うようになった。

 

 


なぜなら、私が同じように苦しんでいるとき、

 

 


そこから回復した人の記事を何度も何度も読んで、

 

 

とても救われたからだ。

 

 

 

 

○見えない心

 


前回の記事に書いたが、すこしまた事例を出したいと思う。

 

 

最近の話になるが、

 

ある高待遇の職場に勤務していて、

 

申し分はない状況のはずなのに、

 

原因不明の体調不良が起きてしまった。

 

 


朝の尋常ではない疲労感から始まり、

右手首が痛くてまわらなくなり、

肩凝りも笑ってすませられるような度合いでは無くなった。

通院するようになったのだが、

よくなるどころか、

とうとう腰痛まで出てきた。

 

 

 

 

せっかく、

 

「ロッキー1」の主題歌を背に、

 

社会にカムバックしたのに・・・

 

 

 

 

 

 

私は焦った。

 

 

なぜだろう? と首をひねる。

 

 

 

事業所の長(おさ)は、

 

私に厚待遇で接してくれる。

 


なにかチャレンジ性のある仕事も任せてくれて、

 

自分がそれまで逃げていた業務についても見つめ直し、

 

乗り越えるきっかけを、与えてくれた。

 


感謝してもしきれない。

 

 

 

しかし‥‥

 

 


この長が人間的にどうしても尊敬できなかった。

 

 

誰にでも欠点があることは、わかっていた。

 

それなのに、受け入れられなかったのだ。

 

 


私には、いろいろ手厚くしてくれるのが、

 

私のような外部の人間より、

 

まずは正社員で入社した若手君に、

 

いろんな指導をするべきなのでは、と強く感じた。

 

 

なぜなら、この若手君を、

お前はバカか、

こんなこともわからなかったのか、

などと長時間、叱責するようになりだしたからだ。

 


まるで苛めのようで、聞かされているほうも苦痛だった。

 

 


私は、なぜ長が立場の弱い人間を叱るのか、

 

彼の扁桃体に着目して考えてみた。

 

 

 

 

○承認欲求+短絡的報奨は、最悪のコラボ

 

 

叱っている長は、

 

自分が権力と経験を持っているというアピールをしたいのだ、と感じた。


承認欲求を満たしたいがための行動である、と感じたのだ。

 

 


やっているほうは、

 

快楽(短期的報奨)を味わえるのかもしれないが、

相手にされるほうは、迷惑である。

 

 

自分のほんとうの力量をアピールすべき場は、そこではないはずである。

 

もっと時間をかけて、もっとてこを入れる場面において、

 

長(おさ)たるもの、力を費やさなくてはならないのではないか。

 

 

 

そこから逃げて、

短絡的に承認欲求を満たそうとするから、

貴様たちは、いつまでたってもダメ野郎なのだ。

 

 

 

差別的発言をする議員の、心理構造とまったく同じ。

 

自身が成長するために力を使うのではなく、

 

自分より弱い者をおとしめて、容易に快楽を得ようとするのである。

 

 

 

彼らは、動物的な承認欲求の奴隷なのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(17ー2につづく)

 

 

 

不安に耐える力は、単なる”技術”である(抗うつ剤なしに不安を解消する方法16)

 

 

世間や自分が「これはいいものだ」と云っている価値感は、

 

あなたにとって実のところ、いいものなのだろうか?

 

 

 

そうではないだろう、と本やら何やらで云われているが、

 


今回は、それをリアルに感じた実例を書いていく。

 

 

 

 

 

○とても条件のよい職場での仕事

 


知人から、条件も仕事内容も良い職場を紹介され、

そこで仕事をすることになった。

 

向こうは正社員にと言ってくれたが、

育児もあるため断って時給換算にし、勤務時間にも都合をつけてもらった。


人間関係も穏やかで、ほのぼのとした職場だった。

仕事内容も良い。

 

 

 

私は安定と収入を考え、この会社に落ち着いたほうが良いのでは、

と考えるようになった。


本心の部分では、その会社の業務内容に対して、燃えるような熱意はなかったが、

トシもトシなので、世間一般的な価値観からかんがみて、

「ここいらで一発、安定しておかなければならないかも」

と思い始めるようになったのだ。

 

 

しかし、それから数ヵ月経ち、

朝に妙な疲れを感じるようになった。

 

朝から、疲労感が強いのである。

手首にも強い痛みを感じる。


そうなる理由は、全くわからなかった。

 

 

 

 

 

○事件は突然起きた

 

 

また幾月か経ったころ、

なぜか事務所の長(おさ)が若手の職員を叱責するようになりだした。

 

この長も根はわるくないが、癖のある人物だった。

いわゆるオレオレタイプで、何かと自己アピールをしたがる。

 

部下を叱りつけることで、

自分の経験や知識を会社の人に知ってもらいたい、という感じだ。

 

私は、このいたぶられている若手君がかわいそうで仕方なかった。

 

 

 

さらに・・・・

 

 

 

 

ある朝突然、私が出社するなり、

 

「さあさあさあ!! パッショさんが来たから、やろうかね!」

 

と全員を立たせ、

 

エッチラ体操という、わけのわからないトンデモ体操をすることを、

強いたのである(注;AVではない)。

 

 

 

 

 

(;゜Д゜)

 

 

 

 

 

唖然としながらも、ついつられて、


見よう見まねでその意味のわからない体操をした。

 


言っておくがそこは、超事務職業である。

クリックする腕さえ動けば、あとは肉体の機能は必要ない職場である。

 

 


見渡せば、

この異様な状況をみな受け入れて、もくもくと体操をしている。

誰も長に理由を聞かない。

 

 

 


この状況は毎朝続いた。

 

さらにその長が、朝体操をさせるのを忘れた時には、

 

「パッショさんが帰る前にやろうな!」

 

と夕方五時から体操を開始させるのである。

 

 

 

 

私は憤慨した。

 

 

 

帰宅前に体操をさせる理由とは、一体何であろうか???( ;゚皿゚)ノシ

 

 

 

 

 

 

 

○舌打ちを堪える日々

 

 


毎体操度ごとに、舌打ち寸前で、怒りをこらえる日々。

 

私もまだまだ未熟者。

 

扁桃体の力が強い側の人間である。

 

このイラつきを毎日押さえるのに、ひどく消耗した。

 

 

 

 

○危険な集団意識

 

 

この出来事は私に、非常に不愉快で生理的な嫌悪を生じさせた。

 

「集団がみなそうしているし、リーダーがそう命じたから、従うべき」

 

という圧力の名のもとで、人間はいともたやすく、思考停止に陥るのである。

 

 

 

 

 

 


私はこのようなものが大嫌いだ。

 

それには明確な理由がある。

 

乳を揺らされる云々以外に、だ。

 

 


「リーダーが命じたから、是非はともかくやらなければならない」

 

 


これがどんなに危険なことか。

 

 

 

 

 

 

こういうことを掘り下げないから、

 

日本社会は、大量のうつ病患者を量産してしまう。

 

 

リーダーが命じれば、集団は従う。

 

そして集団からはぐれることに本能的な恐怖を感じる。

 

恐怖によって扁桃体は操られ、

 

人間は思考停止の操り人形になるのである。

 

 

 


この恐怖は利用される。

 

人間は、集団がそれを行えば、どんな非道なことでも行ってしまう。

 

人間はその恐怖に支配され、子供や妊婦や病人たちですら大量に虐殺してきた。

 

 

 

人間の弱く危うい部分は、利用されやすいのである。

 

 

 

 

 

 

 

○脱出せよ

 


とうとう私はそこを辞め、

 

別の職場へ行くことを考えるようになった。


なにしろ扁桃体が、猛烈に拒否しているのである。

 

毎日毎日イライラしてしょうがなかった。

 

こうなってしまったら、

 

逆らうだけデメリットが増える。

 

扁桃体の力は強いのである。

 

 

 

 

 


そして・・・・・・

 

 

 


今、現在、別の職場で仕事をしているが、

 

結論として、その安定高待遇のところを去ったことで、

 

よりしあわせになった。

 

 

 


より満たされる日々を生きているのである。

 

 

 

 

このような事も起こりうるのだ。

 

 

 

世間一般の価値感、または自分で思い込んでいた価値観にとらわれることは、

人間だから多々ある。

 

 

しかし、捕らわれることをやめることでも、

予想を上回るしあわせを得ることができる。

 

 

 

 

それが真実だ。

 

 

 

 

 

 

 ○世界はあなたの想像を超える

 

 

 


重度のうつと言われ、

 

 

治療が私のように十五年など長期に及んでも、

 

 

 

抗うつ剤を完全に止めて、

 

 

しあわせに元気に健康に生きることは、

 

 

必ず出来る。

 

 

 

 

 

不安や恐怖にこつこつ対応し、

 

小さな成功を積み重ねていけば、

 

大きな力、

 

真に自分にとって活きる力を、

 

手に入れることができる。

 

 

 

 

 

 

いわゆる、物質のみがあなたにとっての、幸福のすべてではない。

 

金銭や待遇を満たすだけが、あなたという存在の真の望みではない。

 

 

 

これを自覚し、しっかり意識してみよう。

 

 

 

 

 


時に、あなたを困らせる扁桃体

 

 

その扁桃体が、時には、あなたに素晴らしい道を示してくれるのだ。

不安に耐える力は、単なる”技術”である(抗うつ剤なしに不安を解消する方法16)

 

 

世間や自分が「これはいいものだ」と云っている価値感は、

 

あなたにとって実のところ、いいものなのだろうか?

 

 

そうではないだろう、と本やら何やらで云われているが、


今回は、それをリアルに感じた実例を書いていく。

 

 

 

 

○とても条件のよい職場での仕事

 


知人から、条件も仕事内容も良い職場を紹介され、

そこで仕事をすることになった。

 

向こうは正社員にと言ってくれたが、

育児もあるため断って時給換算にし、勤務時間にも都合をつけてもらった。


人間関係も穏やかで、ほのぼのとした職場だった。

仕事内容も良い。

 

 

 

私は安定と収入を考え、この会社に落ち着いたほうが良いのでは、と考えるようになった。


本心の部分では、その会社の業務内容に対して、燃えるような熱意はなかったが、

トシもトシなので、世間一般的な価値観からかんがみて、

「ここいらで一発、安定しておかなければならないかも」

と思い始めるようになったのだ。

 

 

しかし、それから数ヵ月経ち、

朝に妙な疲れを感じるようになった。

 

朝から、疲労感が強いのである。

さらに、手首に強い痛みを感じるようになった。


そうなる理由は、全くわからなかった。

 

 

 

 

○事件は突然起きた

 

また幾月か経ったころ、

なぜか事務所の長(おさ)が若手の職員を叱責するようになりだした。

 

この長も根はわるくないが、癖のある人物だった。

いわゆるオレオレタイプで、何かと自己アピールをしたがる。

部下を叱りつけることで、

自分の経験や知識を会社の人に知ってもらいたい、という感じだ。

 

私は、このいたぶられている若手君がかわいそうで仕方なかった。

 

 

 

それだけではない。

 

事件はいつも突然起きるのである。

 

 

ある朝突然、私が出社するなり、

 

「さあさあさあ!! パッショさんが来たから、やろうかね!」

 

と全員を立たせ、

 

エッチラ体操という、わけのわからないトンデモ体操をすることを、強いたのである(注;AVではない)。

 

 

 

 

(;゜Д゜)

 

 

 

 

唖然としながらも、ついつられて、


見よう見まねでその意味のわからない体操をした。

 


言っておくがそこは、超事務職業である。

クリックする腕さえ動けば、あとは肉体の機能は必要ない職場である。

 

 


しかし見渡せば、

この異様な状況をみな受け入れて、もくもくと体操をしている。

誰も長に理由を聞かない。

それが、ちょっと気持ちわるかった。

 

 


この状況は毎朝続いた。

 

さらにその長が、朝体操をさせるのを忘れた時には、

 

「パッショさんが帰る前にやろうな!」

 

と夕方五時から体操を開始させるのである。

 

私は憤慨した。

 

 

帰宅前に体操をさせる理由とは、一体何であろうか???( ;゚皿゚)ノシ

 

 


毎体操度ごとに、舌打ち寸前で、怒りをこらえる日々。

 

私もまだまだ未熟者。

 

扁桃体の力が強い側の人間である。

 

このイラつきを毎日押さえるのに、ものすごく消耗した。

 

 

 

 

○危険な集団意識

 

 

この出来事は私に、非常に不愉快で生理的な嫌悪を生じさせた。

 

「集団がみなそうしているし、リーダーがそう命じたから、従うべき」

 

という圧力の名のもとで、人間は思考停止に陥るのである。

 

 

 

その長は、「長」であるという権力と支配力によって、

 

 

胴体に腕をあて、

乳をゆさゆさゆするようなふりつけの体操を、強いるのである。

 

 


私はこのようなものが大嫌いだ。

 

それには明確な理由がある。

 

乳を揺らされる云々以外に、だ。

 

 


「リーダーが命じたから、是非はともかくやらなければならない」

 

 


これがどんなに危険なことか。

 

 

こういうことを掘り下げないから、

 

日本社会は、大量のうつ病患者を量産してしまう。

 

 

リーダーが命じれば、集団は従う。

 

そして集団からはぐれることに本能的な恐怖を感じる。

 

恐怖によって扁桃体は操られ、

 

人間は思考停止の操り人形になるのである。

 

 


この恐怖は利用される。

 

人間は、集団がそれを行えば、どんな非道なことでも行ってしまう。

 

人間はその恐怖に支配され、子供や妊婦や病人たちですら大量に虐殺してきた。

 

 

 

人間の弱く危うい部分は、利用されやすいのである。

 

 

 

世間一般的、そして自分の古い価値観のもとでは、

 

辞めないほうが良い会社である。

 

そこにいる金銭や待遇などの物質的なメリットは大きい。

 


そう考えて、結論を出すのを引き伸ばしているうち、

 

しだいしだいに体調を崩し始めた。

 

 

 

精神的には、そんなにうつうつと悩んでいる感じではない。

しかし、背中が痛み頭痛がし、疲労感が強く、

その会社のその椅子に座っているだけでも体が痛くて、

ひどくエネルギーを消耗するようになった。

 

 

○脱出せよ

 


とうとう私はそこを辞め、

 

別の職場へ行くことを考えるようになった。


なにしろ扁桃体が、猛烈に拒否しているのである。

 

毎日毎日イライラしてしょうがなかった。

 

こうなってしまったら、

 

逆らうだけデメリットが増える。

 

扁桃体の力は強いのである。

 

 

 

 

 


そして・・・・・・

 

 

 


今、現在、別の職場で仕事をしているが、

 

結論として、その安定高待遇のところを去ったことで、

 

よりしあわせになった。

 

 

 


より満たされる日々を生きているのである。

 

 

 

 

このような事も起こりうるのだ。

 

 

 

世間一般の価値感、または自分で思い込んでいた価値観にとらわれることは、

人間だから多々ある。

 

 

しかし、捕らわれることをやめることでも、

予想を上回るしあわせを得ることができる。

 

 

 

 

それが真実だ。

 

 

 

 

 

 


重度のうつと言われ、

 

 

治療が私のように十五年など長期に及んでも、

 

 

 

抗うつ剤を完全に止めて、

 

 

しあわせに元気に健康に生きることは、

 

 

必ず出来る。

 

 

 

 

不安や恐怖にこつこつ対応し、小さな成功を積み重ねていけば、

 

大きな力、

 

真に自分にとって活きる力を、

 

手に入れることができる。

 

 

 

 

 

 

あなたはヒーローになるのだ。

 

 

 


なぜなら、あなたはヒーローだからだ。

 

 

 

 


時に、あなたを困らせる扁桃体

 

 

その扁桃体が、時には、あなたに素晴らしい道を示してくれる。

不安に耐える力は、単なる”技術”である(抗うつ剤なしに不安を解消する方法16)

 

 

世間や自分が「これはいいものだ」と云っている価値感は、

 

あなたにとって実のところ、いいものなのだろうか?

 

 

そうではないだろう、と本やら何やらで云われているが、


今回は、それをリアルに感じた実例を書いていく。

 

 

 

 

○とても条件のよい職場での仕事

 


知人から、条件も仕事内容も良い職場を紹介され、

そこで仕事をすることになった。

 

向こうは正社員にと言ってくれたが、

育児もあるため断って時給換算にし、勤務時間にも都合をつけてもらった。


人間関係も穏やかで、ほのぼのとした職場だった。

仕事内容も良い。

 

 

 

私は安定と収入を考え、この会社に落ち着いたほうが良いのでは、と考えるようになった。


本心の部分では、その会社の業務内容に対して、燃えるような熱意はなかったが、

トシもトシなので、世間一般的な価値観からかんがみて、

「ここいらで一発、安定しておかなければならないかも」

と思い始めるようになったのだ。

 

 

しかし、それから数ヵ月経ち、

朝に妙な疲れを感じるようになった。

 

朝から、疲労感が強いのである。

さらに、手首に強い痛みを感じるようになった。


そうなる理由は、全くわからなかった。

 

 

 

 

○事件は突然起きた

 

また幾月か経ったころ、

なぜか事務所の長(おさ)が若手の職員を叱責するようになりだした。

 

この長も根はわるくないが、癖のある人物だった。

いわゆるオレオレタイプで、何かと自己アピールをしたがる。

部下を叱りつけることで、

自分の経験や知識を会社の人に知ってもらいたい、という感じだ。

 

私は、このいたぶられている若手君がかわいそうで仕方なかった。

 

 

 

それだけではない。

 

事件はいつも突然起きるのである。

 

 

ある朝突然、私が出社するなり、

 

「さあさあさあ!! パッショさんが来たから、やろうかね!」

 

と全員を立たせ、

 

エッチラ体操という、わけのわからないトンデモ体操をすることを、強いたのである(注;AVではない)。

 

 

 

 

(;゜Д゜)

 

 

 

 

唖然としながらも、ついつられて、


見よう見まねでその意味のわからない体操をした。

 


言っておくがそこは、超事務職業である。

クリックする腕さえ動けば、あとは肉体の機能は必要ない職場である。

 

 


しかし見渡せば、

この異様な状況をみな受け入れて、もくもくと体操をしている。

誰も長に理由を聞かない。

それが、ちょっと気持ちわるかった。

 

 


この状況は毎朝続いた。

 

さらにその長が、朝体操をさせるのを忘れた時には、

 

「パッショさんが帰る前にやろうな!」

 

と夕方五時から体操を開始させるのである。

 

私は憤慨した。

 

 

帰宅前に体操をさせる理由とは、一体何であろうか???( ;゚皿゚)ノシ

 

 


毎体操度ごとに、舌打ち寸前で、怒りをこらえる日々。

 

私もまだまだ未熟者。

 

扁桃体の力が強い側の人間である。

 

このイラつきを毎日押さえるのに、ものすごく消耗した。

 

 

 

 

○危険な集団意識

 

 

この出来事は私に、非常に不愉快で生理的な嫌悪を生じさせた。

 

「集団がみなそうしているし、リーダーがそう命じたから、従うべき」

 

という圧力の名のもとで、人間は思考停止に陥るのである。

 

 

 

その長は、「長」であるという権力と支配力によって、

 

 

胴体に腕をあて、

乳をゆさゆさゆするようなふりつけの体操を、強いるのである。

 

 


私はこのようなものが大嫌いだ。

 

それには明確な理由がある。

 

乳を揺らされる云々以外に、だ。

 

 


「リーダーが命じたから、是非はともかくやらなければならない」

 

 


これがどんなに危険なことか。

 

 

こういうことを掘り下げないから、

 

日本社会は、大量のうつ病患者を量産してしまう。

 

 

リーダーが命じれば、集団は従う。

 

そして集団からはぐれることに本能的な恐怖を感じる。

 

恐怖によって扁桃体は操られ、

 

人間は思考停止の操り人形になるのである。

 

 


この恐怖は利用される。

 

人間は、集団がそれを行えば、どんな非道なことでも行ってしまう。

 

人間はその恐怖に支配され、子供や妊婦や病人たちですら大量に虐殺してきた。

 

 

 

人間の弱く危うい部分は、利用されやすいのである。

 

 

 

世間一般的、そして自分の古い価値観のもとでは、

 

辞めないほうが良い会社である。

 

そこにいる金銭や待遇などの物質的なメリットは大きい。

 


そう考えて、結論を出すのを引き伸ばしているうち、

 

しだいしだいに体調を崩し始めた。

 

 

 

精神的には、そんなにうつうつと悩んでいる感じではない。

しかし、背中が痛み頭痛がし、疲労感が強く、

その会社のその椅子に座っているだけでも体が痛くて、

ひどくエネルギーを消耗するようになった。

 

 

○脱出せよ

 


とうとう私はそこを辞め、

 

別の職場へ行くことを考えるようになった。


なにしろ扁桃体が、猛烈に拒否しているのである。

 

毎日毎日イライラしてしょうがなかった。

 

こうなってしまったら、

 

逆らうだけデメリットが増える。

 

扁桃体の力は強いのである。

 

 

 

 

 


そして・・・・・・

 

 

 


今、現在、別の職場で仕事をしているが、

 

結論として、その安定高待遇のところを去ったことで、

 

よりしあわせになった。

 

 

 


より満たされる日々を生きているのである。

 

 

 

 

このような事も起こりうるのだ。

 

 

 

世間一般の価値感、または自分で思い込んでいた価値観にとらわれることは、

人間だから多々ある。

 

 

しかし、捕らわれることをやめることでも、

予想を上回るしあわせを得ることができる。

 

 

 

 

それが真実だ。

 

 

 

 

 

 


重度のうつと言われ、

 

 

治療が私のように十五年など長期に及んでも、

 

 

 

抗うつ剤を完全に止めて、

 

 

しあわせに元気に健康に生きることは、

 

 

必ず出来る。

 

 

 

 

不安や恐怖にこつこつ対応し、小さな成功を積み重ねていけば、

 

大きな力、

 

真に自分にとって活きる力を、

 

手に入れることができる。

 

 

 

 

 

 

あなたはヒーローになるのだ。

 

 

 


なぜなら、あなたはヒーローだからだ。

 

 

 

 


時に、あなたを困らせる扁桃体

 

 

その扁桃体が、時には、あなたに素晴らしい道を示してくれる。

不安に耐える力は、単なる”技術”である(抗うつ剤なしに不安を解消する方法15)

「認知のかたより」は実際のところ、

どのようなものなのか。

あなたはご存じだろうか。

 

 

人間の認知は偏りがちだ、

 

とわかっていても、

 

実際どんなふうに偏っているのか、

 

偏っている間はどうなのか、

 

という点に関しては、あまりよく知られていない

 

 

 

 

では早速、例題。

 

 

 

 

下のGIF画像は有名なので、よくネットで見かけると思う。

 

どちらに回転しているように見えますか?

 

 

f:id:papaissyoo:20180704231031g:plain

 

 

右? 左?

 

 

 

 

右回転であっても左回転であっても、構わない。

 

 

ここであなたが注視するべき事は、

 

 

1) 一度右回転に見えたものは、

左回転に修正しにくいということ(逆も同じ)

 

2) 右回転に見えている間は、

左回転を見ることができない(認知できない)

 

 

 

 

これがあなたの脳の認知機能により、見えている世界の特性なのだ。

 

 

○たとえば、あなたが「自分はこうである」という思い込みによって、自身を評価しているときは、それ以外の見方をしにくい。

 

○どうしにくいかというと、上記の画像のような感じで、左回転に見えるはず、と頭でわかっていても、右回転にしか見えない。

 

○そして慣れないうちには、簡単には修正できない。

 

 

 

 

つまり、ある人が「きっと私は、こういう人間だ」「他者は私をこう見ている」と一度認識してしまうと、

それが事実でなかったとしても、その思い込みを解除しにくい。

 

 

上記の画像のように、

「いちどその方向に回転していると感じると、

なかなか逆回転には見えない」というように。

 

 

 

 

おわかりだろうか

 

 

 

悲観的な思い込み、

 

他者がこう自分を評価しているという思い込み、

 

社会はこうであろうという思い込み、

 

自分で自分に課す思い込み、

 

 

 

それらはバイアスがかかっている可能性が、非常に高い。

 

 

 

さらに、認知が「偏っている」と頭でわかっていても、

そのことで悩んでいる間は、

上記のように決まった方向にしか考えられず、

別の見方ができない。

 

 

 

悲観的になることは、私も多々あるのでいたいほど気持ちはわかる。

 

その最中は、どうしても、そうとしか考えられないのである。

 

他者でも自分でも「こうである」と決めつけてしまいがちである。

 

 

 

 

では、それをどう修正していくか。

 

 

 

 

この「不安に耐える力は、単なる”技術”である」のシリーズに記述している内容にも、ヒントがある。

 

 

不安や恐怖におそわれ、過去の苦しみから逃れられず、

 

抗うつ剤を服用するしかないほど傷んだあなたの心は、

 

上記の図のように、

 

同一方向の回転ばかりを見ている可能性が高いのだ。

 

 

 

 

そして、ひとたび不安の渦に巻き込まれたら、

「もうずっとこの不安が続くのではないか。どうなってしまうのか」

「自分はこんな風になってしまったから、もうだめだ、終わりだ」

と思い込み、その思考や感覚からなかなか抜け出せないものなのだ。

 

 

 

 

 

が、しかし……、

 

 

 

 

 

必ず不安が消えている瞬間があるのだ。

 

 

 

不安を具体的に解消する行動をしたり、きっかけがあったり、

 

もしくはきっかけがなくても、時間の経過で薄まったりしていくなど。

 

 

 

 

あなたがそこでするべき仕事は、何かというと…

 

 

 

そのときに、意識の焦点を当てるのだ。

 

 

 

 

これを繰り返していくと、

 

右回転しか見えなかったものが、

 

しだいに左回転も見えていくのと同様、

 

自分にも不安を解消する力があるのだ、

 

とすんなり理解することができるようになる。

 

 

 

 

その認識の部分を強化してやると、

 

脳はかならず、あなたに答えるようになる。

 

 

 

それから、また別の方法。

 

 

 

「こうだろう」というマイナスの考えしかできないときには、

上記の図を思いだしてみる。

 

 

 

すると、

「人間は、認知の仕方に癖があるのだ」

ということを、脳が意識するようになる。

 

 

 

 

そうしておけば、

 

そのときは、まだまだ悲観的な考え方しかできなくても、

 

数時間後にはゆっくりと鎮静され、

 

「まあ、別の見方もあるのかもしれないな」と少しずつ修正されやすくなる。

 

 

 

 

さいわい上記の図は印象に残るので、

 

苦しいときや不安なとき、

 

マイナスの思考に陥っているときには、

 

上記の図を思い出すだけでも良いと思う。

 

 

 

一方向の認知にかたよる癖がある、

 

ということを自身で意識できていくと、

 

心の自由度は高まっていく。

 

 

 

 

その小さな訓練が、あなたを確実に強くしていく。

 

 

 

不安に耐える力は、単なる”技術”である(抗うつ剤なしに不安を解消する方法14)


人間は自分の能力に蓋をしている。

 

 

自身で制限をかけているのだ。

 

自分がこの程度でしかない、と考えていれば思考も停止してしまう。


しかし、自分は結構できる、いろいろやっていけると自信を持てば、

脳が目覚め、能力が発揮されていく。

 

 

 

知人の職場での話だが、

専務の立場にある四十代ほどの男性がいた。

酒好き女好きでのみ歩き、職場でも態度が傲慢だった。

職場の飲み会などでもお金にルーズで、ちょっと危ない感じの人物だったらしい。

しかし、どういうわけかこの人が支部の社長に抜擢された。

ほかに人材が居なかったからだと思うが、なぜか社長になったのだ。


すると、この人物がまるで別人のようにがらりと変わった。

 

お金に関して緻密に計算をし社員に分配する。

好きなだけ飲んで荒れた生活をしていたのに、

飲むのも午後十一時までと自分で決め、酒にのまれなくなり、

仕事でも誰もが想像しえなかったほどの業績をあげたのである。

 

 

その人物は、社長という肩書きを手にしたとたん、
それにふさわしい行動を取るようになった。

 

お金やお酒に関してコントロールするようになったのも、
自分の肩に責任がのしかかっているため、
失敗することに「恐怖」を感じたからだという。


「恐怖」という名目で、

役割を与えられた扁桃体が協力してくれたのだ。


「恐怖」はとてつもない力を持つ。

それがときに味方になるのだ。

 


また、私の経験談だが、


あるところに仕事の依頼があったとき、


通常の相場よりも高く時給を設定した(注:風俗ではない)。

 

最初のうちは、それにみあう能力が出せるのか、


失敗するとまわりにどう思われるのか、非常に怖かった。

 

しかし、だんだんと脳が変化していった。

 

「その時給にみあう仕事とは、一体なにか」を勝手に考えだしたのだ。

 


会社のほうでは、逃げたくなるようなレベルの高い仕事をちらちら頼むようになってきた。
最初は怖くて仕方なかったのだが、やるしかないので、一応やってみた。
そうすると何故か自分が思っていたより対応できる。



ついでにIQテストもやってみた。


するとびっくりするような結果が出た。

 

大学生のときよりも、ずっと跳ね上がっているのである。


摩訶不思議としか云いようがないが、事実なのだ。

 


別に私が特別なのではない。
人間は自分に制限をかけて、その通り行動しているのだ。
蓋をはずせば、本当の力が解放される。

 


自分に役割を与えてやると、


押さえ込んでいた能力が、覚醒していく。

 


自分で思うより、あなたはすごい人間なのだ。

 

 

あなたの扁桃体が、どういうときにどういう感情になるのか、いちどつぶさに観察してほしい。

 

どういうときに、あなたをコントロールするのか。

 

せひ、あなたの行動をやすやすと支配してしまう扁桃体の力に注視してほしい。

 

 

一方で、扁桃体「快」という報奨と、
自分はこうありたい(抗うつ剤をのまなず不安をコントロールする技術を身に付けたい等)という方向性、
この二つをセットを与えてやると、

 

 

あら不思議・・・

 

 

呪文をかけられた魔法のごとく、


脳は動き出す。


ものすごい結果が必ず出る。

 

 


不安や恐怖は、自己防衛のための感情であり、必要な感情でもある。

 

一方で「快」という感情がもたらす報奨は、想像を越えるほとの大きなパワーを持つ。

 


この「快」→「小さな達成」や「報奨」を積み上げていってみよう。

 

自分が不安から脱したときに、メモをとってみよう。一行でいい。

 

どうやって不安から脱出したか。書いてみるのだ。

 

スマホのメモ機能に入力してもよい。

 

 


地獄の火に焼かれるほど、不安にさいなまれていた私が、

いまは普通に暮らしている。抗うつ剤なしで。

こういうことは可能なのだ。不可能ではない。



 

コツとしては、

 

抗うつ剤をやめ、

 

1不安が消えたこと


2どうやって消えたか

 

の二点を意識していってから、

 

一年半ほどで社会に復帰し、人間関係の交流も普通にできるようになった。

 

 

上記、1と2では、脳になにが起きていたかというと、、

扁桃体に自分で報奨を与えていたのだ。

 

 

小さな達成の力は、自分が自身を認める力になる。礎になる。

 

礎があると、自然に他者からの評価もついてくる。

 

 

 

まずは基礎を作るのだ。

 

その基礎を作っていく過程こそ、


もっとも強力な武器になるのだから。

 

 

 

 

 

不安に耐える力は、単なる”技術”である(抗うつ剤なしに不安を解消する方法13ー2)


「自分はこうである」という思い込みから、人間は出来ている。

 

スタンフォード監獄実験というものをご存じだろうか?

 


1971年にスタンフォード大学で実際に普通の学生たちを用いて行われた実験だ。

11人が看守で、10人が囚人として行われた。

目的は、ごく普通の人でも、役割を与えられるとその役割にあわせて演じ、

行動様式を変えてしまうという仮説への検証である。

 


この実験では、実際に囚人には囚人と自身を思い込ませるために、
看守には看守と思い込ませるために、
リアルに環境設定がなされた。


たとえば囚人役を、パトカーなどで逮捕し、指紋を採取し、下着をはかせず、薄手の囚人服を着せるなどしたのだ。


近年、この実験の信憑性が問われる証拠などが見つかっており、実験結果は必ずしも評価されるものではない。


しかしこの実験により、看守は囚人を虐待するようになり、
囚人は囚人らしくふるまうようになってしまった。
囚人のなかには実際に錯乱し、精神的に追い詰められる者も居た。


実験は大混乱に陥り、6日で中止された。

これは実験であり、演技である、と看守役も囚人役もどちらも認識していたが、
それでも尚、役割にしたがって人間性を変えたのである。


人間の心、人格は、粘土のようなものなのである。

 


こういった事例は、超・負のエネルギーを出しており、

このような記事ではあまり紹介するべきではないのだが、

あえて、意図が伝わりやすくするように、インパクトのある事例を出してみた。

 

 

これらは「役割演技」とも呼ばれ、よい方へも活用されている。

企業などや教育の場で、よりスムーズに対応できるために行われているのが、
ロール・プレイングと呼ばれる訓練法だ。

 

フライングシュミレーターなどで、パイロットが訓練するような事例がある。

 

役割などを疑似体験をさせることによって、現実の対応をより迅速にさせるのだ。

 

何度も繰り返し演じさせたり、集団で役割を持って演じさせたりすることで、
仕事や対応などが円滑に行えるようになる。

 

スチュワーデス(死語)がスチュワーデスらしくふるまうのも、

教師が教師らしくふるまうのも、

牧師が牧師らしく、

一流人が一流人らしく、

母親が母親らしくふるまうのも、

父親が(以下同文)。

 

 


人間というものは、その都度都度で、役割を演じる生き物なのである。

 

 

何が言いたいのかというと、

このように、自分自身というものは「自分がこうである」という思い込みからできている。


あなたはダメな人間だから、ダメにふるまうのではない。


自己嫌悪に落ちいり、自分はだめだと思い込んでいるから、


ダメなようにふるまうのだ。

 


私自身、家庭のために仕事を長期間休んでいる時と、

実際、職についたときの自分の精神的な変化を知っているので、

これはこの通りだ、といたいほどわかる。

 


人間は、リアルに環境を設定されて、その役割を演じさせられると、


それがあたかも自分自身のように思い込み、


そのように行動し、


そのような感性を持ち、


そのような感情を持つのである。

 


だから、自分はダメだ、と思うあなたは、

そう思い込んでいるだけで、

 真実の姿ではないのだ

 

 

 


ふとしたきっかけ。
少しずつの訓練。
自分がやっていける、という小さな自信。

 

それらを持つ場面を体験するにつれ、
とたんにあなたは、「やり手のあなた」になる。

 

 


人間社会というものは、その人が自分に自信を持っている、かどうかで結構評価される。
もうわかっているとは思うが、思ったほど学歴社会ではない。


社長をやっていたり、数億の年商を弾き出しているのは、高卒や中卒の人たちだった。


そういう現実を、私はこの目で見てきた。

 

 

自分のなかに、培ってきた乗り越えていける、という自信があるだけでよい。

他者はそれを確実に見抜く。

 

わたり歩いていける。

そういうものなのだ。

 

 

ただし自分というものは騙せないから、

自分のなかに、自信を培わなければならない。

ここがどうすればいいか、わからなくなるところだろう。

 

 

大それたことなどしなくてもよい。
大それたことをして何らかを得ようとすると、
とたんに扁桃体が不安を感じ、苦しみだす。

 

大それたことで喝采を浴びるのは、他者からの評価を求めているからだ。
他者の評価を求めるための行動は、別に今じゃなくてよい。
この目的のために行わなくてもいいのだ。

 

 


あなたのなかで、小さなことを積み重ねていく。

 

あなたが不安に対処するという目的を持ち、

行動し、

達成させるのだ。

 

人間関係の不安や苦しさを、

かすかであっても自分なりに気にしないようにしたり、

 

不安を感じてもその波が過ぎ去ったことを、

ちゃんと自分で評価し、報奨を与えていれば、

必ず大きな自信に繋がっていく。

 

 

それを、たまにでもいいので、続けていくのだ。

 

 

そうすると、苦しいことを乗り越えたというゆるぎのない基礎となる自信が形成されていく。

 

 

 

ちなみにスタンフォード監獄実験は、

悪魔のように残酷でもろい人間性を浮き彫りにする胸クソのわるい実験だが、
これを逆方向に応用したものがある。

 

少年犯罪を減らすために、
その少年が善行を行ったら、映画鑑賞などの無料チケットなどを与えるなど報奨を与えたり、
社会的に評価するなど、本人の達成力を認め、自尊心を満たしてやるのだ。


結果として実際に再犯率も減り、人間性も良い方へ変容した結果がデータとして残っている。

 

 

 

” 「スタンフォード監獄実験」の逆は実行できるか” という記事を参考にしてほしい(以下URL参考のこと)。

 http://www.dhbr.net/articles/-/2578


ここでも、「小さな成功を称える」ことの効果について記されている。

 

 


小さな成功やあなたにとっての小さな克服の積み重ねが、

 

実は他者から喝采を浴び、評価されるよりもっとずっと、

 

大きな威力を持つことを理解してほしい。

 

マグナム級の威力を持つのだ。

 

 

 

 

それは、ゆるぎのない真の強さと自信をあなたのなかに育てていく。

 

 

あなたは素晴らしい人間なのだ。

何度でも云う。

 

 

 

 


あなたは素晴らしい人間なのだ。

 

 

 

 

どうか思い込まないでほしい。

 

 


私のこの言葉は、根拠がないと思っていますか?